一週間は連続投稿予定でしたのに、六日でつい頑張りが利かなくなり、お休みを取ってしまいました。
その期間も、予想外に長くなりご無沙汰致しました。
年末年始に体調を崩し、年が明けてからも、体調は万全ではありませんでした。
それにもかかわらず、お正月記事はタイミングよく投稿したいがために、無理してブログ綴りを開始した私です。
読み直すと、お正月に関連しない記述も多いですね~
いつものような下準備は全くなく、日々ぶっつけ本番の記述でした。
私の体力では、疲れるのが当然。
その後も風邪の症状がなかなか抜けず、微熱も午後になると出るありさま。
酷い、首と肩の懲りにも悩まされました。
生活のリズムは狂ったままで、軌道修正が思うにまかせず、ストレスはたまる一方。
風邪をひくまでの、呼吸法による元気復活は何だったのでしょう。
少々年明けらしくないスタート振りで、夢のような元気には幾分裏切られた感がしています。
しかし一方、またまた夢のような嬉しい出来事もありました。
どうか、この夢が醒めることなく、今後も順調に進展してくれますように。
この詳細については、次回の記事でお知らせいたしますね。
ウインターコスモス
年末から、全く写真を撮っていません。
画像は、12月の中旬頃のものです。
こんな私ながら、ブログを開設した頃は、時に休憩を入れてはいるものの、長い期間にわたって連続投稿していたなんて。
信じられないようなことです。
それも長文。
どこに、そんな体力と集中力があったのかしら。
たまに過去の記事を読むと、文章が余りに拙く、同じことを二度繰り返して書いていたり、と。
読むのが嫌になってしまうほどです。
そのころは、書きっぱなしで、丁寧な推敲などほとんどしていませんでした。
そのため、その当時の文の推敲し直しを始めた時期もありました。
けれど、そんなことに時間を割く余裕もなく、なんだかばからしくなって、すぐ止めてしまいました。
でも永久保存になるのなら、いつかまた手を加えたい、との気持ちは常にあります。
文章を綴るには、かなりの体力と集中力を必要としますよね。
ほどほどの好奇心も持ち合わせないと、書き続けることはできません。
ですから、頭脳を働かせ、多少でも感性を磨いてくれるブログ綴り作業は、頭の老化予防には最適。
それを疑う余地はないでしょう。。
だから、最近は止めたくなっても、私はもうやめられない。
止めてはいけない。
そんな心境でいます。
それなりに時間を割き、頑張り続けてきたこの作業を、突然止めると、きっと私の頭脳老化が一気に進みそう。。
冗談ではなく、真剣にそう思うからでず。
ですから、お休みの間も、短時間でも書く作業は継続していました。
65歳以上は、5人に一人が認知症だとか。
信じられない現象ですね~
認知症は、日本人に特に多いそうです。
そういえば、旦那さまとの会話も、かみ合わないことが最近多くなってきて、よくYさんが、いらいらしたりするんですよ。
私には、Yさんが頓珍漢なことを言っていると感じることが多いのですが。
旦那さまは、逆なことを思ているでしょう。
「これから年を取るにつれ、このようなことがますます頻繁になっていくわよ。
そのたびにイライラするのは、あまりに大人気ないわ。
笑い飛ばす度量を老夫婦はお互いに持ち合わせなくてはね」
と、私はYさんによく注意します。
だって先に私が呆けてきて、いつも叱られてばかりいるような哀れな妻にはなりたくありませんもの。
過去のYさんは、実に寛容な人柄で、私に文句を言った事など一度もなかった、といっても過言ではありませんでした。
ところが60代後半に入った頃からかしら。
特に最近は、些末なことで、いらいらすることが多くなってきたようにも。
難病の目の症状は悪化していますし、数年に及ぶがんとの闘病生活もあり、止むを得ない事なのでしょうけれど。
今は、抗がん剤の副作用で、日々、大変辛い思いをしているYさんですから。
けれど時に、旦那さまの理解に苦しむ態度に傷つき、私は心が折れそうになる事もあります。
決まって、疲労が濃い時ですね~
イライラは多分に、老化によるところがあるのかもしれません。
気にしない、気にしない、と自分に言い聞かせ、心の平衡を保つように努力しています。
どうにも辛くなった時は、妹にしゃべりまくり、ストレスを発散。
翌日は軽くなった心で元気復活。
妹は迷惑至極かもしれないけれど、よくあるパターンです。
とはいえ、今なお、記憶力抜群で頭脳明晰な旦那さま。
馬鹿にされないためにも(笑)、ブログ綴りは今後も出来るだけ続け、凡庸な頭が、これ以上悪くならないように気を付けます。
最後になりましたが、1昨日の17日は、阪神・淡路大震災から20年目になるのですね。
私は当時の早朝、今いる部屋でNHKニュースを観ていて、それを知りました。
最初の報道は、割と淡々としたものでしたが、これはただ事ではないのでは、と大きな不安が胸をよぎった事を今でもはっきり覚えています。
その時の部屋の空気感までも。
二十年前のこととは、とても思えません。
その後、見事な復興を遂げた阪神地区。
家族の犠牲を目の当たりにした多くの方々も、その悲しみの慟哭から這いあがり、徐々に元気を取り戻されたに違いありません。
亡きご家族や友人に心配をかけまいと、その方達の分まで頑張って生き抜いてこられたのではないでしょうか。
その切ない思いをお察しすると、いまでも胸が痛み、頭が下がる思いが致します。
そして自分も如何なる苦難に出遭っても、くじけないで生き抜かなければ、と励まされます。
改めて、ご遺族の皆様の御心中を心よりお察し、今後のご多幸をお祈り申し上げます。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように