今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

やっぱり腹式呼吸は、本当に大切 

2016-08-25 07:12:23 | 日記

最近読んだある記事の事です。

新聞記事だったか、ネットのヤフーによる情報だったか、記憶が定かではありません。

いつもですと、新聞記事なら切り抜いたものを保管、ネットの情報なら、それをお気に入りに入れたりするのですが、今回は、その形跡が全くなくて。

記事を書くにあたって、うろ覚えの記憶をたどるしかありません。

 

その記事を読んだとき、その内容に心底納得し、今後、ますます私も実践に努めよう、と思ったことだったのです。

ブログ上で皆様にも、是非ご紹介したい、と私は思いました。

ところが、それが見当たらなくなってしまったので、仕方がありません。

思い出し思い出し、話を進めていきますね。

 

おおらかな景色そのものの海に相対すると、
私たちはきっと自然に腹式呼吸を行っているのではないでしょうか?

 

腹式呼吸。

雑誌、新聞などでよく目にするこの言葉。

ほとんどの方は、この呼吸法の大切さを、御存じでしょう。

私もその一人です。

副交感神経の働きを強め、自律神経を整えるのに、とても良いこの呼吸法。

 

記事によると、イチロー選手は、この呼吸法を日頃常に取り入れて、試合にも臨んでいるとのことでした。

打席に立った時、手を胸のあたりに当てる独特のポーズも、それが関係していると、確か書かれていました。

彼は実にゆっくりとした落ち着いた口調で話されますよね。

それも、腹式呼吸を実践しているから、といった内容でした。

うろ覚えなどで、正確ではありませんが。

それを読んだ時の私は、心から納得。

私も腹式呼吸を、日頃の暮らしにもっともっと取り入れた生活をしなければ、と真剣に思いました。

 

 

私は、かなり前の記事にも、この効用を綴った事があります。

床に就き、しばらく腹式呼吸をして休むと、中途覚醒がなく、よく眠れるようになったことを。

私は寝付くのは、あっという間なのですが、夜中に目が覚めるのが、悩みの種。

けれど大抵、又すぐ寝付けます。

とはいえ、一度ならともかく、二度、三度だと、起床時の気持ちは、熟睡感からは程遠く、悲しいものがあります。

 

或る日から思い立ち、床に就いて寝入るまで、この腹式呼吸をまめに心がけるようにした時期がありました。

すると、どうでしょう。

それをきっかけにして、睡眠の質が驚くほど改善されました。

一度、夜中に目が全く覚めず、夜明けまで、約七時間、ぐっすり熟睡できたことがありました。

その時の感激は、今でも忘れられません。

 

妹と出かけた尾道・倉敷旅行の時の写真です。
雄大な景色を前にして、思わず腹式呼吸を私はしたことでしょう。

 

でも私は、その後、毎日の雑事に追われ、腹式呼吸を特別気に留めない暮らしに戻ってしまいました。

恐らく慣れ切った、鼻先だけの浅い呼吸法で、日々を送っているのだと思います。

特別、その暮らしでも、差し支えはありませんから。

意識して努力しないといけないことは、なかなか持続は難しいものですね~

私のように意志が弱い人間は、特にそうです。

 

この呼吸法を、もっとまめに行えば、いろんな効用が期待できるのではないでしょうか。

睡眠の質が高まる意外に、どんなことが望めるのでしょう。

次にあげることは、私の勝手な思い込みで期待していることに過ぎませんが。

 

私の悩みの種の疲れやすい体質が、改善される。

疲労回復には、背伸びが良いと書かれていたものを、最近目にしました。

背伸びをすると腹式呼吸を自然に行っていますものね~

 

目を閉じて、この呼吸をすると、リフレッシュ効果も期待できます。

 

腹式呼吸は、酸素をいっぱい体に取り入れるので、健康維持にも役立つでしょう。

その酸素が脳にも行き渡れば、認知症の予防にも。

もしかすると、肌のコンディションも良くならないかしら。

チョッピリでも、体重の減量効果が期待できないかしら???

欲張りな私です。

 

ブロッコリーのポルペテイ・かぼちゃのアグロドルチェ・
ファッロと夏野菜のサラダ・チキンソテーマルゲリータ風・ジェノベーズソースのご馳走パスタ

 前菜から始まった本格的なイタリア料理です。

次女宅で、次女にも手伝ってもらい、私が振る舞ったご馳走です。
これに至る、素敵な経緯と思い出は、またいつか記事にしたいと思います。

 

時間も、場所も選ばず、思い立ったときが実行できる腹式呼吸。

こんなに安上がりで、便利な健康法は他にはありませんもの。

 

腹式呼吸の効用の見本がイチロー選手と思い、彼を頭に浮かべ、私も、もっともっと日々、腹式呼吸に努めたいと思いました。

そして、幾つ年を重ねても、背筋がすっと伸びた姿勢で、溌剌とした美しい身のこなしができる人でいたいもの、と。

これは、あくまで私の理想。

現実とは違います。

いつもは相変わらず浅い呼吸をし、集中するときは、私は息を止めているようです。

癖は、なかなかなおせないものですね~

有言不実行の情けない私。

有言実行の人になれるように、努力します。

 

追記

お断りする必要があるのかどうか、いつも迷うことですが、更新を期待してご訪問下さる方に申し訳ありませんから。

明日からまたしばらくお休みさせていただきます。

ランキングに参加しているときと変わらない、多くの方々のご訪問、応援、本当に有難うございました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ランキングには参加していませんが、ポイントはマイページに反映されています。
宜しければ、ポチッをお願い致します。

  

 花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日が一番素敵の思いで、明日から心機一転です♪

2016-08-18 22:47:08 | 日記

既にお断りしていたことですので、15日投稿の記事は非表示にさせて頂きます。

もう、~さんの事実無根の執拗な中傷には、一切かかわりたくありません。

相手になっていると、自分の品位まで下げてしまいそうで、辛く悲しい事ですので。

~さんの中傷は、今後も続くのかもしれませんが・・・・・・。

一方的にしゃべられると、それを信じる方もいらっしゃるかもしれません。

怖い事ですが、いちいち真実を説明して否定するのに、もう疲れました。

 

今日は、新盆に当たり、供養のお品を届けてくださった会社の方などに少々肩の凝るお礼状を認め、夕方投函しました。

とてもほっとした気分です。。

ここ数日、何だか亡き夫に申し訳ない事をしてしまったような気持ちがしています。

「なんで、相手になるのだ、くだらない!」としかめっ面をして、思っていたことでしょう。

夫に詫び、明日から、心機一転、

「今日が一番素敵」の思いを大切に、良き日々を紡ぎたいと思います。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ランキングには参加していませんが、ポイントはマイページに反映されています。
宜しければ、ポチッをお願い致します。

 

  

 花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清々しい気持ちでお盆を迎えるために・・・・・・

2016-08-13 07:19:37 | 日記

途中下車し、二泊の旅行も兼ね、郷里の菩提寺での夫の墓参を済ませてまいりました。

一昨夜遅く戻り、昨日はまた、両親の菩提寺の住職様を、朝、お迎えするといった多忙さでした。

強行軍でさすがに疲れたのでしょうか。

 読経が終わり、居間で住職様のお話を伺っているとき、頭が真っ白になるような目眩に、何度も襲われました。

 

 銀閣寺の境内より

 京都観光の写真の中で、お気に入りの一枚です。

 こんなに青い空ではありませんでしたが、カメラのむけ方で、鮮やかな色に変身。
カメラの取り扱いの妙味は、私には不可解なことばかりが多くて・・・・・・。
未熟者のカメラマンです。

 

今夜は、迎え火を焚いて、夫とご先祖様たちをお迎えするつもりです。
清々しい気持ちで迎えるためにも、嘘偽りのない事ですから、今回の~さんの中傷は、きっぱり否定して置きたいと思いました。

~さんも、こんな時期に、他人を中傷するのはやめて、御身内の方の供養を心静かに行っては如何でしょうか。
コメント欄でお願いしても、削除され、聞き入れて頂けませんでしたので、またブログ上に書くことにしました。

 

もうこれ以上、嘘を書くのはやめて下さい。
妄想病にかかられたのでは、と思ってしまうほどです。
私が、どうやってあなたの実名を知ることができるのですか。
知るすべなどありません。

私は今までひどい中傷をあなたから散々浴びてきました。
けれど実名を書いた投稿をした、と言われたのは初めてです。
なぜ突然、こんな中傷が、新たに飛び出すのでしょうか。

私にとってはもう遠い過去の事ですが、違うHNを使用したのは貴女への声掛けの時だけで、数回に過ぎません。
止むにやまれぬ思いで、そうしました。
貴女の言動で、理解に苦しむことがあったからです。
まともなHNでは、聞く耳など全く持ってくださいませんでしたから。

管理人さんには、HNを変えても、私が書いたことは、すぐわかります。
それを承知の上での事です。
どなたにも平等に接する、とても穏やかな人柄の管理人さんでした。
私は心から敬愛していました。
その方の面前で恥をかくような言動は絶対したくありませんでした。
HNを変えなければならなかった私の気持ちを理解していただけることを祈りながら、そうしました。
貴女を中傷するために、HNを変えたわけではありません。

それに比べ、貴女はいつも上から目線で、いかに私を傷つけるようなひどい言動を繰り返されてきたことか。
最近の数年間もそうでした。
多重HNを頻繁に使用されるのは、貴女の方ではありませんか。

自分の事はすべて棚に上げ、嘘までついて、私を一方的に非難するのは、もうやめて下さい。

私は、たとえ「馬鹿だ」「かすだ」「品が悪い」その他、如何なる悪口を言われても、それは受け止め方の主観の問題ですから、聞き流す度量はあると思っています。
但し、全く身に覚えのない事で、口汚い言葉を吐いたとか、しもしない行為をした、と書かれるのはあまりにつらく、耐えられませんでしたし、今もそうです。
そのような時だけ、反論してきました。
「いつそんなことを、私が言いましたか、しましたか?」と。
すると相手の方達は、いつもその指摘を無視されました。

途中から夫の菩提寺の法要と墓参に同伴してくれた長女に、帰りの新幹線の車中で、この度の~さんの中傷の件を話したところ、

「相手になるママも、愚かよ。どうして聞き流せないの?」と言われました。

私は応えました。
既に書いたことと重複しますが、

「どんなひどい悪口を書かれても平気だけれど、事実無根の虚言を吐かれるのは堪えられないの」と。

 

鎌倉旅行の続きは、もうしばらくお休み後とさせて頂きます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ランキングには参加していませんが、ポイントはマイページに反映されています。
宜しければ、ポチッをお願い致します。

 

  

 花のように泉のように

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今後の暮らし方に思い巡らす私 

2016-06-09 08:11:27 | 日記

親友のKさんから、お誘いのメールがあったのは、今回の谷根千散策のひと月半ほど前の事でした。

NPO主催企画の案内が目に留まり、興味を持ったので、早速問い合わせられたようです。

ところが参加費が4200円と高額だったので、他の友人を誘うのには躊躇いがあり、私に声をかけて下さったとの事。

いつもはご一緒のご主人様は、予定が他におありだったようです。

彼女の誘いを、心から嬉しく思い、参加したい旨、お返事を出したのはいうまでもありませんが・・・・・。

参加費に気を遣う彼女に、私はとても考えさせられました。

 

年金暮らしともなると、むやみにお友達を誘って負担をかけてはいけないのかもしれない、と。

わたしも今後、気を付けなければ、と思いました。

私も遺族年金暮らしとなり収入は激減し、今までよりシビアな予算生活を送っています。

友人とのお付き合いは愉しいけれど、頻繁にとはまいりません。

夫が亡くなり、自由時間はたっぷり。

まだ何かと忙しく、そんな気分からは程遠いですが。

けれど、経済的自由は遥かに縮小。

この矛盾がチョッピリ悲しいけれど、現実をしっかり受け止めて、心豊かに暮らしたいものです。

 

さて、楽しみにしていた谷根千散策の日がいよいよ迫ってきました。

この日のために、初めて紐靴をヨシノヤで購入した私です。

今はやりの、お洒落なスニーカーに惹かれはしたものの、さすがに私の雰囲気には無理があり過ぎと思い、普通の紐靴になりました。

白のパンツを意識して、薄めの色に。

 

左のヒールは、私が今一番気に入っているお出かけ靴です。

 

この靴を履いて、日帰りの散策や旅行を、今後積極的に愉しみたいと、或るデパートの旅行パンフレットなども取り寄せ、意気込んでいる私ですが・・・・・・。

果たしてどうなることでしょう。

それにしても、ここは割高過ぎ。

行き届いたサービスが期待できそうで、一番惹かれる旅行社ですが・・・・・・。

 

 

「おうちでのんびりマイペース」に、幸福感を一番感じる私です。

妹にも、

「無理して旅行しなくてもいいんじゃない。

家庭的なことが好きで、家に一日いても退屈しないお姉さまなんだから、それを心から愉しめば」

 と言われました。

 

旅行に出かけても、帰宅するとぐったりで、しばらく体調をいつも崩す私。

気持ちのリフレッシュとは、必ずしもなりません。

 

でもでも一方では、それでは暮らしの意欲がなさすぎ。

これまでは、家族のために、母親業と主婦業に明け暮れひたすら頑張ってきた私です。

それが生き甲斐でもあり、私の心を十分に満たしてくれることでした。

 

けれど、今後の残り少ない余生は、一念発起。

外に目を向け、行動範囲を一気に拡げ、豊かな体験をしなければ、と思う自分がいます。

さてさて、その気持ちを行動に移すことが、本当にできるでしょうか。

自分自身でも、よく分りませんが・・・・・・。

ネットは既に私の興味の対象を察知しているようです。

私が見るサイトにことごとく、旅行社の広告ばかりが載ります。(笑)

 

 

十位は妹のブログです。

 

一層の事、旅行の予算を、家の充実にすべて向けてはどうかしら。

それなりの価格の絵画など買えて、お部屋の空間を引き立ててくれそう。

旅行と異なり、形となっていつまでも残り、私の心を潤し満たしてくれることでしょう。

 

家具も一部取り替えて、お部屋の模様替えも出来そう。

毎週、切り花をいっぱい買い、お部屋中に飾る程度の贅沢ならできそう。

節約志向が強くなり、かなり削っている食費の予算もアップできそう。

友人達を時々家に招いて、軽い昼食を振る舞ったり、アフタヌーティーのひと時を持っのもいいなぁ~。

上に挙げたことが実現するなら、旅行より、私はもっと幸せな充実感を味わえるかもしれない。

何だか、とても裕福な印象を与える描写になりましたが、さにあらず。

遺族年金の暮らしですもの。

いずれもささやかな思い入れです。

 

 

最近は頻繁に訪ねる次女宅ですが、いつもさりげなくお花が飾られています。

 

何だか、今後の暮らしが混沌としてきて、何を選択すれば良いのかよく分からなくなってきました。

最近は、こんな悩みに明け暮れ、限られた収入の一番良い使い道を模索する日々です。

 

まだ今日の記事は、長々と続くのですが、いったんここで打ち切らせていただきますね。

私のブログ記事の文章は長過ぎと、つくづく思うこの頃。

妹とも、昨夜この悩みで長話。

読む方にも、こんな拙い文ですのにお付き合いくださり、貴重な時間を割いていただくのはあまりに心苦しくて。

私も要らぬ苦労をして、ブログライフが心から愉しめてていません。

文章を短くすれば、もっと軽やかな気持ちでブログに臨めることでしょう。

 

と決心しても、すぐ元に戻ってしまう私ですが、しばらく努力してみますね。

この続きは明日、またつづります。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
宜しければ、足跡変わりに、バナーにポチッ!をお願いいたします。

  

  花のように泉のように

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後、楽しい事もいいろいろ

2016-04-10 08:40:05 | 日記

夫が亡くなり、四か月以上が経過しました。

厳しい寒さも和らぎ、本格的な春の到来です。

ほの暖かな優しい日差しに当たると、私の心は癒され、幾分でも元気が湧いてきます。

冬の寒さは、心を、時に一層重くしていましたから。

今年は、春の訪れが、殊更嬉しくて・・・・・・。

 

とはいえ、真冬の間も、家に籠って一人寂しく暮らしていたわけではありません。

週末は、ほとんど次女宅に招かれ、一緒に夕食を共にしてきました。

 

かれんちゃんのお部屋が、元K君のお部屋だった広い場所に移りました。

 

今春から小5になる孫息子K君のバイオリン発表会に、小さなブーケを手にして、出かけもした私です。

けれど撮影禁止で、孫の晴れ舞台を写すことができなくて残念。

多くの先生方の教え子たちによる、合同発表会だったからでしょうか。

何だか難しそうな曲を、一か所つかえただけで、見事に弾きこなし、胸をなでおろしたばあばです。

 

次女宅で、長女家も一緒に、ひな祭りの会もしました。

初節句の時、私から贈ったお祝いののひな人形です。選んだのは娘です。

 

妹と、エルメス劇場に出かけ、久々の映画鑑賞も。

今もいろいろなシーンが心に刻まれている私です。

印象的な美しい映像の映画でした。

題名は、「青いパパイヤの香り」。

すみません。詳しい説明は省略させて頂きます。。

 

 

 エルメス本店 総ガラス張りのモダンな建物。

 

先月の26日には、さっちゃんと私のお誕生会が、長女宅で開かれました。

さっちゃんの中学合格祝いも。

久々の長女宅でした。

インテリアは変わり映えしないけいれど、いつ訪ねても、開放的な空間が本当に素敵!

 

  

さっちゃんは、クラスでいつも先頭のおちびさんでしたのに
お兄ちゃん同様、急に背が伸び始めています。
お顔が小さくて八頭身のよう。

私からのささやかなお誕生祝の贈り物

 

29日には、ご近所の仲良しさんと三名で、目黒川沿いの桜のお花見にも出かけました。

ご近所に心から信頼できる友人達がいることを、とても心強く嬉しく思っている私です。

お花見の最中に、私が手付まで払ったのに、長女夫婦に譲ってしまったマンションの前に、いつの間にかたどり着きました。

なんだか懐かしさ一杯で、感激。

譲らなければ、高額のお家賃が入って、今、悠々自適の暮らしだったのですけれど・・・・・・。

管理が行き届いているのでしょう。

新築当時と変わらない美しいマンションを見て、一瞬、残念な思いが、また心をよぎりました。

友人達は、そのあと見た億ションよりもこのマンションの方が素敵、と褒めてくれました。

でも、それで終わり。

もう過去の事です。

チョッとした面白いハプニングが、そこでありました。

またいつか詳しくお話しさせて頂きますね。

 

目黒川沿いの桜。
まだ七分咲きのところが多かったです。

 

そして4月2日は、ママ友さん達とのお食事会で、麻布十番の和食処へ。

次女が中学入学以来のお付き合いですから、星霜の歳月を思うと感慨無量です。

もうメンバーのうち、三名の方が亡くなられました。

未亡人は、私とIさん。

脱会した方、全く見えなくなった方、色々ですが、メンバー数が減りながらも細く長く、三十数年来お付き合いが続いています。

目にも明らかに体の不調がわかる方も、その体を押してまで参加して下さっていました。

パーキンソー病を長期にわたり患っていらしたUさんもそうでした。

年初に亡くなられ、その寂しさはひとしおです。

厚い信頼関係がある私達ゆえ、外観の変わりようにもひるまず、参加してくださるのでしょう。

私も同様の状況になった時には、そうありたいもの、と願いました。

辛い時こそ支え合うのが、本当の友情ですものね。

私も一杯元気をもらって、帰ることができました。

 

 

更に、先週末は、今春小5になった孫息子のK君と、上野国立科学博物館で催されている恐竜展へ。

初孫のR君とも何度も通ったところです。

涙が出そうになるほど心優しいK君と、気もぴったり合って、童心に帰っての本当に楽しい一日でした。

この時の写真を収めたメモリーカードは、次女宅に預けたままなので、画像のアップができません。

次回の一連の投稿時に、詳しくお話したいと思います。

今後も、楽しみにしている親友とのイベントがまだあります。

 

 宮島の厳島の鳥居

 

語るのが最後になりましたが、一大イベントが、もう一つ。

お彼岸中に、郷里の広島にお墓参りに出かけ、二泊三日の一人旅をしたことです。

久しぶりの一人旅で、思いがけないハプニングにも見舞われ、かなり慌てましたが、何とか無事に戻ることができました。

脱いだ衣類と貴重品を収めたロッカーのキーが、温泉浴場で無くなって大慌て・・・・・・

カメラの充電が切れかけていたのに、旅行に充電器を持ち合わせなかったり、と。

楽しいながら、少々疲れた珍道中でしたが・・・・・・。

お墓参りはその間二度し、心満たされて帰途に就いた私です。

 

ハイライト的に述べてきた話題を、次回の一連の投稿時では、もう少し詳しく綴りたい、と思っています。

けれど、記憶が持つかどうかが怪しくて心配。

勝手ですが、またしばらくお休みを取らせていただきます。

 

次回の投稿までの間隔をできるだけ縮められるように頑張りますね。

そのためには、もっと文章を短くし、アップする画像も少なくしなければ。

文章を書くことへの苦手意識が強いのに、どうして苦労してまで、こんな長い文章を、私は書くのでしょう。

変な私です。

 

拙い長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださいまして、本当に有難うございました。

たくさんの応援もいただき、心よりお礼を申し上げます。

春爛漫の良い季節。

ご自愛の上、心ゆくまでお楽しみ下さいませ。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
宜しければ、足跡変わりに、バナーにポチッ!をお願いいたします。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しすぎる不運な出来事 

2016-04-07 07:35:09 | 日記

今日もまた、携帯電話のお話です。

病室の夫と私を結びつけてくれた、この電話の恩恵は、計り知れないものがありました。

まだ夫が割と元気な頃も、入院中、私は頻繁に夫に電話をかけました。

一方、Yさんから私にかけてくる頻度が異常なほど増したのは、亡くなる一月ほど前あたりからだったでしょうか。

ところが、夫が亡くなる一週間くらい前の事。

その見守り携帯が、突然故障してしまったのです。

コードを差し込む箇所が具合が悪くなり、充電ができなくなってしまいました。

 

私は、とてつもなく慌てました。

今の二人にとり、携帯が使用できない暮らしは考えられませんでしたから。

私の声を聞くことが、旦那さまの心の安らぎ、気力を奮い立たせる原動力になっているように感じられたからです。

 

 

 

故障の箇所を販売店で即日修理してもらえるのなら、その手立てを取るべきだったのかもしれません。

しかしその時は、大変なことになってしまった、と思いが強い余り、性急な対処をしてしまいました。

その後の不都合を知るすべもなく・・・・・・。

翌日病院に出かける前に量販店によって、すぐ新しい見守り携帯を購入しました。

 

お店の方が、

「古い携帯は処分してもいいですか?」

と問われたので、そのようにお願いしてしまった私です。

想い出品として、取っておくべきでした。

処分しなければよかった、と後悔しきり。

今も悔やまれます。。

 

 

眼の悪い旦那さまの視界に入りやすいように、と派手な色の物を選びました。

ところがです。

時々頭が繊毛状態になり、的確な判断が難しくなっていった旦那さまにとっては、新しい携帯の操作は、不可能でした。

今までの携帯のように一回のワンタッチでは、すぐつながりませんでしたから。

私も扱い方を戸惑うほどでしたので、無理もありません。

 

悲しい事に、それ以来、Yさんから電話が一度もかからなくなりました。

今でもその不運を思うと、悔し涙が溢れそうになります。

それは、亡くなる一週間ほど前からの事でしたから。

おそらく携帯の故障が、夫の死期を早める原因の一つになったのではないか、と思えてなりません。

 

 

 

亡くなる前日の日曜日の事です。

私は週末は休養日にしていましたから、その日は長女が夫に付き添っていました。

長女に、お願いしました。

「新しい携帯は、パパが操作するのは無理のようなの。

だから、看護師さんに、病室に来たときは必ず携帯をかけて、夫に手渡すようにお願いしてね」

と。

けれど結局、新しい携帯に替えて以後、夫からの電話で、私の携帯のメロディーが鳴る事は一度もありませんでした。

 

長女のMちゃんは頼んでくれたのかもしれませんが・・・・・・。

土曜日から、モルヒネの投与量が増やされ、ほとんど眠った状態で、食事も水分も受け付けなくなってしまっていたのです。

次女の話によると、

「痛みを楽にするために、そのような対応を採った」

との担当医のお話だったようです。

 

画像は、すべて我が家の周辺にある、二つの公園の桜です。

 

家族への説明はいつもほとんどなく、治療法を勝手に変える先生。

私の抱く疑問と不信感は、常日頃相当なものがありました。

モルヒネの量が増えたことを娘から聞かされた時は、憤りを感じました。

相変わらず、家族の承諾も取らないままだったからです。

その週末は、私の先生への苛立ちは、頂点に達しました。

この翌々日、最悪の事態を迎えてしまった夫です。

私のこの苛立ちが、虫の知らせだったのかもしれません。

明日に続きます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
宜しければ、足跡変わりに、バナーにポチッ!をお願いいたします。

  

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旦那さまからのラブコール(?)

2015-12-09 07:20:39 | 日記

12月も半ば近くになりますと、いよいよ年末年始に向けての心準備で気ぜわしくなり、主婦特有の務めがあれこれ頭を巡るものですが。

今年の今の私は、旦那さまの介護一色。

例年とは、全く異なる色に染まった年の瀬を迎えようとしています。

色にすると、何色でしょうか。

グレー?

 

辛さ任せで、夫から放言を浴びせられた時は、少々落ち込み、グレーの心境になる時もありますが、

いつまでもそこに留まらず、すぐ元気復活できるのが、私の特技。

元気を取り戻した時の私の心の色は?

若いころ大好きで、好んできたカラー、水色のような澄んだ思いで、夫の介護に当たるのが私の理想です。

 

私と家族を今日まで養い、恵まれた生活を送らせてくれた旦那さまに、感謝の一念のみで、お世話に精進したいもの、と。

これはあくまで、私の理想。

いくらこのようなきれいごとを書いても、理想通りには自分の心をコントロールできない時も、たまにありました。

 

我が家の幸せの原点と言ってもいいような木彫りのお人形です。
夫が海外出張したとき、スイスに寄り、お土産として購入してくれたものです。

 

けれど、今は違います。

私の心は、旦那さまへの感謝の思いで一杯。

澄んだ水色と言えるかも。

そのうえ、まるで新婚時代のような、いえそれ以上の良好な信頼関係で結ばれている、と言って良いかもしれません。

 

その訳は、旦那さまの最近の、驚くばかりの変わりようにあります。

毎日毎日、ラブコール?(笑)の電話がしきりに鳴る日々。

「早く病院に来てくれ、会いたい」と。

真夜中にも、かかってくることが。

「君の声を聞きたくなっただけだ」と。

病院へ出かける前頃になると、待ち切れないように、

「何時に来るのか、家を出たのか」

としきりに訊ね。

電車に乗っても、携帯の呼び出し音が、しょっちゅう鳴ります。

 

週末は、娘たちが行くことになっていて、私はその二日間は休養日に当てています。

ところが、その説明をすると

「何故君が来ないのだ。君に会いたいのだ」とまで。

 

孤高の精神の人で、私を頼ることも甘えることも一切なかった人。

「君は君、俺は俺」の気持ちで、結婚生活を貫いた人でした。

それはある意味、有難く、私は自由の身で、好きなことが何でもできたはずでしたのに。

生真面目な性格で要領も悪かったため、夫の寛容さと、自由を享受する事もなく、家事、子育てが精いっぱいの日日。

典型的な主婦暮らしを、残念ながら送ってしまいました

 

毎日曜日、夜の七時半、カルピス劇場で放映された「アルプスの少女ハイジ」を家族で毎回夢中で見た頃の事です。

 

 更に、これも意外感でいっぱいなことですが・・・・・・。

最近では、旦那さまの心の中で、私の位置の方が、最愛の娘たちより上らしいのです。

父親としてのYさんは、幼い頃から、子供たちを叱ったことが一度もなく、その愛情には計り知れないものがあると感じていました。

大学も先輩後輩の間柄。

自慢の娘のようでした。

私には不機嫌な口調で話すことは再々あっても、娘には全幅の信頼を寄せ、常に柔らかな口の利き方で相対してきた父親です。

娘たちも同様で、パパには丁寧な話し方を常にします。。

 

その良好な関係を見るにつけ、娘たちと差別されていると、私は少々ひがんでいたのです。(笑)

ところが今は違うようです。

私が傍にいると、一番安心でき、心が安らぐらしいのです。

辛い時は言いたい放題なんでも遠慮なく言えるからでしょうか。

私の値打ちが突然、最近上がったらしくて、驚いています。

 

厳しく辛い状況の中での、夫の突然の変化ですが、妻としてこの上ない幸せと、尽くし甲斐を感じる日日です。

天才と鈍才の組み合わせ。

この間隙は埋めようがない、と半ば諦もしていた私でしただけに。

 

痛み止めの医療モルヒネで、夫の本来の性格が壊された事に因るのかもしれないけれど・・・・・・・。

夫との良好な関係を素直に喜び大切に思い、体が疲れ果てても、尽くす喜びに浸っている、この頃の私です。

 

その時のアニメに登場したハイジのように、心優しい元気な子に育ってほしい、と願いながら、
子育てをしました。
その後、ずっと我が家を見守り続けてくれた大好きなお人形。
今は夫の病室にお守りとして置いています。
これを見せたとき、ベッドに横たわる旦那さまの表情が一瞬輝き、とても嬉しかった私です。

 

これからは余談で、今日の記事の追記といったところです。

昨日は、週末でない時にお休みが取れたせいか、変な脱力感に襲われ、終日やる気が起きず、だらだらと過ごしてしまいました。

まるで張り詰めた糸が切れたような疲労感で、私にしては珍しく、なかなか心身が立て直せなくて。

妹に数度電話をかけたり、二度も日中に入浴したり、と。

前日の夫の体調が思わしくなかったことによる、不安が大きかったせいかもあるかもしれません。

 

私は医師がいかに悲観的なことをおっしゃろうと、決して希望は捨てていませんし、常に前向きの気持ちでいます。

けれど、久しぶりに夫の悪い顔色と、吐き気のする思わしくない体調をみて、暗くなる気持ちを抑えがたくなってしまいました。

けれど、昨日見舞った娘の話では、割と穏やかで、吐き気も収まっているとの事。

良かった、と今は胸を撫で下ろしています。

 

何も口にしてくれない時は心配の余り、

「何も食べないと体がどんどん衰弱して、死んでしまうわよ~」

と、ジョーク半分、真剣半分の気持ちで語りかけると、旦那さまは言います。

「死にはしない」と。

 

本当に嬉しく心強い言葉です。

夫の強い精神力できっとまだまだ生き延びてくれることでしょう。

骨がんの痛みは相当なものらしく、可哀想でなりませんが・・・・・・。

今使用している痛み止めの薬は、夫の体に合っっているらしく、激痛に襲われる回数が、以前より少なくなってきました。

看護師さんの話によると、私が傍にいる時は、夫は痛みをあまり感じないようです。

 

 

先生の最近のお話では、自宅療養することも可能ですが、やはり無理かもしれない、とのことでした。

夫のために今一番大切なことは、激痛を緩和して、できるだけ穏やかな日々を暮らさせてあげること。

たとえ数年の入院生活になろうとも、私は通い続け、旦那さまを精一杯支えてあげたい、と強く思っています。。

 

今一番心配なのは、大雪や嵐の悪天候に見舞われた時。

病院での宿泊も可能なようですから、近くのホテルか夫の病室に泊まって、備えることにしましょう。

 

旦那さまが、穏やかな体調で、新しい年を無事に迎えられますように。

 

今日が今年最後の記事になるやもしれません。

一年間、拙い個人日記のブログをお訪ねくださり、温かな応援までたくさん頂戴し、本当に有難うございました。

来年も変わらないお付き合いの程、宜しくお願い致します。

 

私はコメント欄を設けていなくて、一方的な発信で、少々心苦しく思っています。

そのうえ、最近はあまりに多忙で、皆様のブログをお訪ねするのもままなりません。

けれど、時間がある時は、できるだけ読ませていただきたく願っています。

皆様も、私同様にいろいろな思いを抱きながら、老い行く体を励まし、前向きに暮らしておられる様子を拝見し、いつも励まされています。

来る年も、ブロガー同士の見えない心の交流を大切に、心豊かな記事を綴れるように頑張ってまいりましょうね。

穏やかな楽しいブログ村の繁栄を祈りつつ・・・・・。

愚痴あり、泣き言あり、自慢話あり、なんでも素直に書ける環境を大事にしてまいりましょう。

私の記事は、時に自慢話に受け止められやすく、綴る時、その気が全くなくても、気になってしまうことがありますが。

臆せず、ひるまず、素直に私の日頃の暮らしや思いを書く個人日記でありたい、と願っています。

 

皆様におかれましては、来年が健やかな良い年となられますように。

くれぐれもご自愛下さいますよう、お祈り申し上げます。

 

一年間、本当に有難うございました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

 

  

  花のように泉のように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 医療制度の有難さ~介護制度の疑問点

2015-12-07 07:27:21 | 日記

昨日の記事の続編です。

皆保険が敷かれているお陰で、病気を患って病院や医院にかかった時の医療費の自己負担の割合が低く、その恩恵は計り知れないものがあります。

但しそのために、毎月、高額の保険料、介護保険料も支払わされている私たち。

有難く思う一方、なんだか複雑な心境にも。

その釈然としない気持ちを、最近は折々で感じてきました。

年金暮らしにもかかわらず、三割になってしまったがために、その負担感が一層気になるのかもしれません。

 

負担感のみならず、介護保険制度そのものに、今、利用している立場から、多少の疑問を感じています。

私は、まだしばらく夫の世話を自分でできると思い、専門の人たちの家への出入りに、かなりの抵抗をしました。

むろんやんわりとですが。

断りたい理由に、私が気疲れしてしまうというのもありました

 

けれど、病院側や、娘たちの勧めもあり、制度の支援を受けることになった我が家。

その後、偶然の一致かもしれませんが、夫の病状は悪化の一途をたどることに。

恐らく病人も、専門の方々の介護を受けることで、一人で頑張る気力が薄れてしまったのでしょう。

 

奥の介護ベッドは、フランスベッドよりレンタルしています。

 

私は、訪問看護師をお願いするまでは、多少不自由でも、夫が自分で何とかできることは手を貸さず、 ひとりで頑張ってもらうようにしていました。

自立の精神は、健康な心身を支える基になってくれると思っていましたから。

もちろん、人工肛門のパウチの取り換えなどは、私の仕事でしたが。

 

けれど、訪問看護師さんやケアマネージャーさんに、夫が一人でおこなっている事を伝えると、驚かれたような表情をなさいました。

次第に、なんだか自分が薄情な人間に思え、恥ずかしくなり、すべての事を私が世話することに。

ストマーのパウチ交換のみならず汚物の処理、ガーゼの交換など・・・・・・。

 

その結果、看護師さんと私に頼り切ってしまった旦那さま。

その後の体調の下り坂は、驚くばかりで、一気に弱っていきました。

 

 

それに似た現象が、病院の入退院でも見られます。

退院するたびに、夫の体調は悪くなっていく一方。

抗がん剤の点滴治療を受け、その副作用で、気分がすぐれないのは当然ですが。

私には、それだけが、体調悪化の原因ではないように思いました。

 

完全看護で寝たきり。

看護師さんにすべてをお任せして過ごす期間に、心の元気まで奪われてしまうのではないでしょうか。

自分で尿の処理はできていたのに、突然尿管をつけられてしまったり・・・・・・。

夫の間違った報告を受けて、モルヒネの量が倍になり、一気に体調が悪化したり・・・・・・。

そのたびに、遠慮がちに私は虚しい抗議をしたものですが・・・・・・。

私の意見を取り入れてもらったこともありました。

 

病院の雰囲気にも独特なものがありますものね~

私も夫を見舞った後、病院を出ると、いつもとは違った疲労感を感じます。

 

病院通いで疲れた心身を癒してくれるお庭の植物たち
手のかからない常緑のプランツが次第に多くなってきました。

 

既に、最初に述べたことですが、

介護保険制度が敷かれたからでしょう。

お年寄りが病気にかかると、当然の如く、その制度を利用することを勧められます

 

昨年まで通っていたT大病院でも、看護師さんから地域のケアープラザー宛のお手紙を渡されましたが、無視を通してしまった私です。

その必要性を、私は全く感じなかったからです。

苦労を伴ったとはいえ、夫はたどたどしい足取りでも、タクシーと電車を利用して、私と一緒に通院ができました。

自力の通院が、夫は介護保険制度を利用するまでは可能だったのです。

 

病気の治療はお医者様にお願いするのは当然のことながら、せめて、自宅療養における介護は、できる限り夫婦で力を合わせて乗り切りたい。

夫婦でできることを、無駄な支払いをしてまで、他人に頼る必要性はありませんもの。

それを利用すると、二割のわが家の支払いは一月数万になりました。

 

働きながら親の介護をしている方達にとっては、むろん有難い制度でしょうが。

ケースバイケースではないでしょうか。

昔は、近所のお医者様が往診に見える以外は、介護の仕事は家族の務めでしたものね~

 

その言葉に対して、病院側やケアマネジャーさんがおっしゃたことは、介護疲れで倒れてお願いするのでは遅すぎです、とのことでした。

最初のうちは、幾度かお断りした私ですが、再々の勧めで、ついに受け入れることにしてしまった私です。

私の場合、狭心症の発作に度々見舞われたり,ひどいめまいを起こし交差点で倒れ、救急車で病院に搬送されたことも、最近ありました。

こんな情けない身では、一人で頑張っていても、すぐ限界が来たかもしれません。

 

 

痩せ我慢し過ぎると、共倒れになったりして、却って取り返しのつかないことになるやもしれませんから、難しい問題ですが。

専門の方を頼り始めてから、夫の体調が一気に悪化し、病院に歩いて通院できなくなってしまったのは事実です。

 

そのために、介護制度の早まった利用には、疑問を感じざるを得ない私ですが、遅かれ早かれ、利用する時は必ずきたでしょう。

その時期を見極める大切さを、自分の経験から、皆様にはお伝えしたいです。

 

介護制度の早まった利用の疑問点をいくつか述べた私ですが、人にはとても恵まれてきた私です。

主治医のドクターも、お人柄には何お問題点も感じませんし、

ケアーマネージャーさんはじめ、訪問看護師さん、その他個人的にお世話になっている医療関連の方々は、皆さんとてもいい方ばかりです。

麗しいご人格から、学ぶことも一杯で、お世話になっていることに、心から感謝しています。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

 

  

  花のように泉のように

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が国の医療制度の有難さが身に沁みる私 

2015-12-06 07:31:17 | 日記

夫は肝臓がんを患い、それ以来、長い闘病生活に入りました。

既に6年以上が経過しようとています。

心が張り詰めるような心配な状況にも、幾度か見舞われてきた私。

その都度、無我夢中で、私なりに最善と思う対応を心がけ、頑張ってきたつもりですが・・・・・・。

今となっては、一つ一つ思い出す事がままならないほど、色々なことがありました。

今も、心を休めることができない厳しい状況です。

 

経済的な負担も、年金暮らしにもかかわらず医療費が三割の我が家は、数字上は相当なものになります。

過去の職業、収入のいかんにかかわらず、国民・厚生年金支給額には上限がありますよね。

ですから、退職後の年金暮らしの収入の差は、お給料の時のように大きくはないはずです。

企業年金があるかたでも、副収入がない限り一割が当たり前ではないか、と。

日本一の生命保険会社の部長さんでいらした前のお宅のご主人様ですら、今は一割とのことでした。

 

高齢者の医療費は大半の方が1割とはいえ、収入の差については、私の認識不足があるようです。

企業年金のない方、国民年金のみで暮らす方など、いろいろでしょう。

お給料の時のような差はないにしても、収入の差は紛れもない事実。

このことを心に留め、老後破産を心配される方々にも、思いを馳せなければなりません。

 

 

ではなぜ、我が家は三割なのでしょう。

その訳は、退職金の一部を会社に預け、年金に充てたためです。

そのため、老後の生活費にしては、とても恵まれた収入です。

その対応が良かったのかどうか、今は多少の疑問を感じていますが・・・・・。

 

恐らく、そうしなければ、未熟な私の判断で投資などに回し、増えるどころか激減していたに違いありません。

我が家の財産管理は、すべて私の役割ですから。

ですから、夫の賢い選択に、今は感謝一杯でいます

 

しかし一方、そのために、医療費は三割、介護費用も今年度の八月から二割となり、その負担が我が家の家計に、数字上はずっしりと重くのしかかる事に。。

但し、幸いなことに、その負担の大部分を医療保険で賄えている我が家。

それが、想像以上に身を助け、ストレスの解消にもなってくれています

 

割と最近の記事で、私の目標の貯金額をほぼ達成した、と書いたことがありました。

年金暮らしの身で、よくそんな余裕があるわね、と怪訝に思われた方々もいらっしゃるのでは。

それは、上記に挙げたような我が家の事情からです。

 

私は、節約の五年間ほぼ国民・厚生年金のみで暮らし、企業年金の八割がたを貯金に回してきました。

年金運用に回した退職金のかなりの部分を、五年間の節約で取り戻せたように、感じています。

 

 

旦那さまの賢明な退職金の配分同様に有難く感じているのは、我が国の皆保険の医療制度です。

アメリカでは、オバマ大統領の努力で、やっとこの制度が、最近敷かれたようですね。

世界を代表する豊かな民主国家のアメリカで、貧しい人たちが医療の恩恵がなく、まともに治療が受けられない国だった何て、信じられないことですが。

 

その点、日本は皆保険のために、医療費の自己負担の割合がとても低い上に、さらにいろいろな助成や支援も受けられます。

私は恵まれた環境で暮らさせてもらっていますが、そんな身にも、十分な恩恵があります。

その中でも、高額療養費制度は、いくら感謝してもしきれないほどのもの。

このことについては、既に以前にも書いたことがありますから、詳細は割愛します。

 

今、74歳の夫は、上限が44400円。

入院が継続したとき、四か月目から、上限がほぼ半額になります。

決して安い金額ではありませんが。

最近介護保険の利用金額の支払いにも、上限があることを知りました。

やはり44400円。

 

私の計算では、すべてが在宅医療になると、医療費、介護保険の利用費を限度額いっぱいに我が家は使用することになるでしょう。

そうなると、我が家の場合、十万円は軽く超えてしまいそうです。

おむつ代、医療用のガーゼ、テープその他の医療用品の支出も、思のほか大きいです。

その時は、入院保険は利用できませんから、すべて自費となり、家計の負担は相当のものになりそう。

今は止むを得ない事情で個室にいますので、差額ベッド代には保険が適用されず、とても大変です。

 

退職金の一部を年金に回したことは、我が家の場合は、特殊な経緯から、よい選択だったと思いますが

医療費の割合が高くなったりすることを考えると、考えものですね~

まだお若い方は、医療負担が老後軽くなるように、この点は色々工夫されるのが、賢明かと思います。

 

 

 

一割の方は、上に挙げた額が三分の一になりますから、うらやましい限りですが。

一割が、二割に昨年からなったのでしたね~

間違った記述を今までしてしまいました。

一気に二倍では、その負担感も相当なものでいらっしゃるのでは。

 

けれど、人の命はお金には代えられません。

こんな事を話題にすることさえ、不謹慎に思えますが、皆様の参考になれば、と思い書かせていただきました。

 

但し、このような制度も、自ら調べ、知りつくさない限り、この恩恵を最大限に利用するのは、なかなか大変なこと。

かなり複雑な内容です。

区の職員さんが、積極的に教えて下さるわけではありません。

それどころか、間違った計算をされ、戻る金額数万円ををもらい損ねてしまいそうな経験もしました。

皆さまは、この知識に精通し、賢く利用なさってくださいね

この忙しい中、私も最近届いた葉書を持って、高額療養費制度による還付金の手続きをするため、近日中に区役所へ、また行く予定でいます。

 

追記

読み直し、内容が金銭に関したことばかりで、少々恥かしくなりました。

昨夜から、投稿することにためらいが起き、悩んでばかりでしたが。

折角綴ったので、思い切って公開にします。

医療費の支払に数年追われ続けてきたわが身の経験が、皆様の参考に多少でもなれば、幸いです。

明日はこの続編を載せる予定です。

 

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

 

  

 

 花のように泉のように

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥の深い日本語 

2015-10-31 07:17:24 | 日記

ブログを綴るようになり、日本語は、実に奥が深い言葉だと、ますます思うようになりました。

とは言っても、私は使用できる語彙は貧弱そのもの。

公開して文を綴っている自分の所作が、無性に恥ずかしくなることもあります。

 

そういうときは、開き直るしかありません。

ブログは文章の上手下手は、関係ない。

素直に心情を吐露し、自分の気持ちを見つめ励ます日記のようなもの、と思うようにしています。

 

私が愛読している大切な書物ですのに。
読書中にコーヒーをこぼしてしまい、ブックカバーが染みだらけに。(涙)
含蓄ある文章に私は惹かれ、最近は気が向いたところを読み続けています。

 

私が今再々読している草柳大蔵氏の著書「花のある人 花になる人」に、日記について、アミエルの言葉を引用した個所があります。

その言葉に、私は心から共感を覚えましたので、その文節を、前記事に続いてご紹介させて頂きすね。

 

<日記とはペンを手にした瞑想であるといったのはアミエルです。

中略

 「生きるということは、日ごとに快癒し、新しくなること、また自分を再び見出し、回復することである。日記は孤独なものの心の友であり、慰めてであり,医者である。毎日のこの独白は祈りの一つの形式であり、魂とその本体との会話であり、神との対話である」

ここまで自分を純化できれば、日記は反省の場になるでしょう。でも自己純化はなかなか難しいでしょう。しかし生きることは日ごとに快癒し、新しくなること。また自分を見出し、回復することはできるのではないでしょうか。いやその様な日々を送っていただきたいと思うのです。>

 

こんなに堅苦しい気持ちでブログを書いている人なんていませんよね。

ブログを綴る作業は、文章を書く能力もなく話題にも乏しい身には、苦労を伴うものだけれど、

思いを整理し、自分を見つめ直す充実したひと時であることも確かです。

ブログを書くことで、日ごとに快癒し新しくなることができれば、本当に幸せなことですね~

そのくらい価値ある、早朝のひと時にしたいものです。

 

50代のころ読んだ草柳大蔵氏の他の著書です。
両本とも、傍線がいっぱい引かれ、自分磨きの健気な努力の跡が……。(笑)

 

 最初から、文が思わぬ方向に流れてしまいました。

今日話題にしたかったことは、タイトル通り、日本語の奥の深さについて語りたかったのです。

もっと具体的に述べれば、漢字の奥の深さと言うべきでしょうか。

なぁ~て、大袈裟な表現。

身の程知らずでした。

夫婦の間で交わされた他愛ないエピソードをお話するだけに過ぎません。

 

私は毎朝、旦那さまの一通りのお世話の一回目を済ませます。

お食事を食べさせてあげ、ストマーのパウチ袋の汚物の処理、ドレーンの挿入口の消毒と滅菌ガーゼによる手当をします。

その後、20分くらい両足にマッサージを施しています。

足をさするようにそっと揉むのですが、その最中、文庫本をそばに置き、旦那さまに読んで聴かせてあげている私です。

 

Yさんは、肝臓がんの手術を行った後、目の難病が発覚しました。

それが進行し、数年前から読書もテレビの視聴も出来なくなりましたから。

 

 

意外にもYさんは、私の読み聞かせに素直に耳を傾けてくれます。

今は、新聞の連載小説になった井上靖著の小説「星と祭り」を読んでいます。

紹介分に惹かれネットで購入した中古本です。

現代の流行作家の著書より、昭和の書物や古典に惹かれる私。

感性に似たものがあり素直にその世界に入っていけ、心が、とても落ち着きます。

夫は、特別好きな作家ではなかったようですけれどね。

 

或る時は、私の読み違いを指摘され、夫の博識に改めて驚いたり、と。

いえいえ、私が非常識なだけです。

ヒマラヤ山脈の山の一つを読み間違えたところ、旦那さまに、

「マナスルだよ。この山を読み間違えるなんて、恥ずかしいことだ。

日本人が最初に登頂したヒマラヤの山ではないか」

と。

 

一方、私も、読み方に自信がない漢字は、度々夫に尋ね確認します。

夫婦揃っての、ほんの15分程度の読書タイムに過ぎませんが、私にとっては国語の学習時間にもなっています。

 

 

 つい先日の事。

私から、最近とても気にかかっていたことを質問をしました。

「あなたは、~がわかる、といった文を書いた時、わかるにどの漢字を当てるの?」

「判断の判かなぁ~、」と、旦那さまが答えました。

「あなたも、やっぱり『判』」

「実は井上靖も、わかるはすべて判を使用しているのよ」と私。

 

すると旦那さまが言いました。

「その人の好みで変わるよ。恐らく井上靖は、その字が好きなのだろう」と。

 

「好み」の意外な言葉に、漢字の奥の深さをチョッピリ理解したような気持ちになり、私なりに納得。

更に私は言いました。

「私が読んでいるカテゴリーのブログでは、理解の『解』が使用されていることが多いの。

私自身は、それを見るといつも迷うのだけれど・・・・・・。

分がどんな言葉にも当てはまる無難な使用に思えて、この字を当てること私は多いわ。

解は、ちょっと堅苦しいイメージに感じるの。

私の好みではないということかしら。

これからは、私も『判』を使用しようかしら」

 

二階の寝室と居間につながる夫の書斎。
壁面がすべて書棚になっています。

 

漢字には、すべて固有の意味がありますが、例えば「みる」を取り上げると。

これも受け売りの引用です。

<論語に『そのなす所を視、その因る所を観、その案ずる所を察(み)れば、人いずくんぞかくさんや』という言葉があるそうです。

その人が何をするか、どういう方法でするか、どうすれば満足するか、と言うように慎重に観察すれば、人間だれしも自分を隠すことができない、という意味のようです。

この文で使用されている「視」「観」「察」ですが、視よりも観、観よりも察がさらに詳しく「みる」ということになるようです。

察には、「気配を察する」「心中をお察しす」等のように、「察」には目に見えないものを見るという意味もありますが>

 

「みる」の漢字も、綴る人の好みで、使用頻度が変わってくるのでしょうね~

 私は恐らくふさわしくない漢字、あるいは間違えて、当て字を使用している事もよくあるに違いありません。

恥ずかしいことかもしれないけれど、ブログでは、他の方の記事でそれに気が付いても、私は特別気になりません。

私は、他のブロガーさんに間違いを幾度か指摘されたことがありますけれどね。(笑)

私は指摘するほど、自分の言葉の使用に自信もないし、その辺は自他ともに、実におおらかです。

 

文才を認められている旦那さまが、私のブログ記事の言葉の使用の間違いを見たらどうでしょうか。

ヒマラヤの山の名称をの間違いを指摘された時同様に、「日本人として恥ずかしいことだ」と言われてしまうかも。

幸いにも、私の夫は、ブログに全く興味がない人。

開設後、私のブログを一度も覗いたことがありません。

この幸運を喜びましょう。

 

徒然なるままに、私の思いを、勝手に書きましたが・・・・・・。

ブログを綴るときは、日本語を大切に扱う心がけを、多少でも常に忘れないようにしたいもの、とも思っています。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです。

  

 花のように泉のように

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心身ともに弱い私ながら、生きる目標は高く 

2015-10-08 06:58:04 | 日記

前々回の続編です。

既に大雑把な下書きをしてあったのですが、読み直すと、前の記事と重複したところがあまりに多くて、投稿する心が引けてしまいました。

けれど、書き直すのも面倒くさくて、そのままの文章で、推敲のみして公開させていただきますね。

お読み苦しい点は、お許しください。

 

私の疲労の原因は?

今はむろん夫の介護でしょう。

しかし似た疲労感を、私は長い人生、日常茶飯事のように嘗め尽くしてきました。

濃い疲労に見舞われても、子供が幼い頃は休むこともままならなくて・・・・・・。

這ってでも、家事をこなさなければ、との悲痛な思いがしたものです。

前回の記事でも書きましたが、よくそれを「魔の時間」、と私は言っていました。

 

「這いたいほどの疲れ」の言葉に、妹は首を傾げたものです。

信じられないといった面持ちでした。

そして、「私は疲れをを感じたことがない」と豪語。

私には「豪語」という表現がぴったりの、驚きの言葉で、羨ましい限りでした。

年を重ねた今は、妹もさすがに疲労を感じるようですが。

 

 

この体質は、幼い時からで、小学生の高学年の頃、病院で検査を受けたところ、「無力体質」との診断を受けました。

母も私に似ていて、日中でもよく体を横にしていました。

けれど、気力で頑張る働き者だった母。

私の暮らし方も、母に似ているのかもしれません。

前回と重複した文章が続きますけれど、悪しからず。

ごめんなさい。

 

そんな疲れやすい体質ながら頑張り屋で、向上心だけは人並み。

常に暮らしと精神の充実を人一倍心がける性格でした。

若い頃は、頑張りたい気持ちが空回りばかりして、私はさぞ非効率な暮らし方をしていたことでしょう。

要領のいい性格ではありませんでしたから。

試行錯誤が連続の我が人生でした。

 

夫が転勤が多い職業柄、海外を含め、転居を数度繰り返した私たち家族です。

 その度に私は、尊敬できる素晴らしい友人たちに恵まれてきました。

その方達の影響を存分に受け、私は少しづつでも成長することができたと思っています。

 

 

若い時に比べれば、曲がりなりにも成長した自分に、幾分でも満たされる思いがしている昨今の私です。

育児書その他、修養書、自己啓発本の類が大好きでした。

ロサンゼルス在住中は、4年間、熱心に教会にも通い続けました。

そのおかげも、多少はあるでしょうか。

 

妹に、60代の始め頃、言われました。。

「今のお姉さまは別人のよう」と。

おそらく心身ともにひ弱で繊細だった娘時代の私と比較しての言葉だったことでしょう。

 

若い頃の自分より、今の私が好き、と言えるのは確かだけれど・・・・・・。

死ねまで、不断の努力を怠らないで、成長し続けることが、私の目標であり、生甲斐。

人生の目標は、常にそこに定めてきた私です。

観念的で抽象的過ぎる理想ですね~

きれいごとを言って恥ずかしい限りですけれど、思いだけはその通りでした。

 

その割には、余り成長していない自分に落胆もします。

満足なんて、まだまだ程遠い未熟な私。

 

 

このように、前向きの心構えで暮らしてきたのは事実だけれど・・・・・・。

体が思うようについて行ってくれないもどかしさは、相当なものでした。

夫を介護するようになってから、その不甲斐なさが、一層身に沁みます。

如何なる時も、笑顔で優しく接してあげたいと思っても、ひどく疲れていると、つい心も曇りがちに。

恐らく、私は少々不機嫌な顔になっているのでは・・・・・・。

介護を尽くすには、元気な体が不可欠。

その元気を何とか身につけたいと、私なりにいろいろ努力中です。

 

そして、最近、その努力の一つが間違っていなかったことを証明してくれる書物に出合い、心から納得。

本に書かれていることを、すでに私は去年の暮から、時々実行してきましたが。

けれど、習慣として身に付けるのは並大抵ではありません。

その心がけとは?

明日の続編で、綴りたいと思います。

 

 

最後に、私が座右の書にしている稲盛和夫氏の書物「生き方」の一節をご紹介させていただきますね。

この世に何をしにきたか」と問われたら、私は迷いもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます」

「現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある」

私は、この文章を読んだとき、長い間、私が人生の目標にしてきたことは正しかった、と感じ、心から嬉しく思ったものでした。

でも現実の私の暮らしは?

疲れやすい自分の体を持て余し、身の回りの雑事をこなすのが精いっぱい。

自己中心的な暮らしを送っているにすぎません。

理想からは程遠い暮らしの佇まいですが・・・・・・。

この目標を常に意識して、残り少ない余生を送りたいものです。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

 

花のように泉のように

 

 

   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今度は私が救急車のお世話に

2015-09-18 06:51:02 | 日記

我が家は波乱万丈。

私の身にも、思いがけない事が起きたり、と悩ましい日々が続きますが・・・・・・。

ストレス多い生活の割には、心はいつも穏やかで前向き。

これは、私が根っからの楽観主義者であるからかもしれません。

それに、心配し過ぎると、疲れやすい体に酷く応えるため、それがいやで、できるだけ早く気分転換を図るように努めています。

 

最近は特筆すべきことが、ありすぎて困るほど。

あまりにいろいろあって、いつものように草稿記事としてメモすることを一切していませんでした。

ですから記憶を手繰り寄せ、思い出し思い出し、綴っています。

どこまで正確に書けるか自信がありませんが、我が家に最近起きた一大事や心配事などを更にお伝えしていきますね。

 

今日は珍しく、わが身に起きた一大事(?)を、お話したいと思います。

私は最近、水曜日の午後、ある小さな総合病院のリハビリテーションに通っています。

そこで、理化学療法の本格的なマッサージを受けています。

このお話の詳細は、いつか改めてさせていただきますね。

 

緑ばかりの我が家の庭。
お花を植えるスペースが、小さくなっていく一方ですが、これは私の理想です。

 

今からお話するわが身に起きた一大事(?)とは、マッサージ(運動療法が正しい名称のようです)が終了後の帰り道での出来事です。

理学療法士さんに全身をほぐしてもらい、幾分軽やかになった体。

気分も悪くありませんでした。

駅の近くの小さなお花屋さんで、草花の苗を数種、久しぶりに購入しました。

体調も今一つですし、夫の介護はますます大変になっていく一方の私。

しばらくガーデニングはお休みしようかしら、と思っていたのですが。

急に涼しくなり、その凌ぎやすい気候に背を押されるようにお花屋さんへと。

 

 

その後、駅前の信号を渡って、いつも行き付けのショッピングビル地下の大手スーパーに行く予定でした。

放射状のようになった広い横断歩道。

四方八方に行き交う人たちで、いつも大変混雑するところです。

その横断歩道を渡りきる直前で、私は視界が急に悪くなるような気分に。

直後に激しいめまいが襲ってきました。

公衆の場所ゆえ、何とか足を踏ん張ってこらえようとしましたが、どうにも耐えられません。

横断歩道を渡り切ったところで、平衡感覚をすっかり失い、崩れるように倒れてしまった私です。

途端に、私の周りが人だかりになりました。

遠くの人たちの視線も、一斉に私に注がれているであろうことを意識しないではおられませんでした。

 

 

頭はもやがかかったような、くらくらした状態。

起き上がるのは無理でしたが、意識はしっかりしていた私です。

恥ずかしいといったらありません。

「みっともない、早く立ち上がらなくては」と駆り立てるもう一人の自分がいました。

けれど、どうすることもできなくて・・・・・・。

三、四名の方が、優しい言葉をかけて下さり、私を心配そうにご覧になています。

 

「お騒がせしてすみません。もう少し経てば起き上がって、タクシーで帰れると思います。

どうぞ私にお構いなく。

私は大丈夫です」

そんなことを言ったように思います。

私を取り巻く見も知らない方々の、優しさと温かさが身に沁みました。

そのうち、交差点の反対側の一角に在る交番のお巡りさんが、三名来られました。

さてその後の展開は、明日の続きとさせていただきます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

   

  花のように泉のように

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族一同揃っての病院でのコンファレンス

2015-09-17 06:56:23 | 日記

いよいよ家族揃っての、医師、看護師さんとのコンファレンスが始まりました。

夫は立ち上がると、時々激痛が襲うので、ベッド毎、面談用の個室に移動。

夫をよく見舞ってくれる娘たちですが、先生に正式なご挨拶をするのは初めてのことではなかったでしょうか。

娘たちより、数歳お若い先生。

実は、娘たちと同じ大学を卒業した、一応後輩に当たられます。

医学部の先生とは、むろん学部は異なる娘たちですが。

 

一見、さわやかな印象がする、とても感じのよい先生です。

けれど、物事を単刀直入にズバズバおっしゃりすぎ。

私は夫の心中を察して、ハラハラすることがよくあります。

そのため、先生に数度、勇気を出して苦言を呈しました。

 

しかし、先生は次のようにいつも答えられます。

「正直にすべてを患者に伝えるのが、僕の方針です。

今はどこの病院でも、同様の態度で患者さんに臨んでいると思いますよ。

真実を伝えなかったばかりに、医師が後で責められたり、裁判沙汰になることがありますから」

 

 

最後の言葉に、私はかなりの抵抗がありました。

「この先生は、患者の気持ちを慮るより、自分を守ることが優先されるのかしら?」と。

 

私達は、そんなことで医師を批判したり、裁判を起こすような人間ではありません。

私の両親は、ひどい医療ミスで突然亡くなりました。

不運な医療事故だったとはいえ、そのあといくら騒ぎ立てても、父母の命が取り戻せるわけではありません。

静かに見送ってあげたいとの思いで一杯でした。

母の場合は、訴訟を起こせば必ず勝てたはず、と今でも思っているほど、ずさんな対応だったのですが。

大学付属の大きな総合病院で入院中の出来事でした。

 

今の先生は、転院前、担当医だった大学付属病院の助教授の医師と連絡を取り合いながら、一生懸命、夫の治療に当たってくださっています。

ですから先生の心配は、取り越し苦労なのですけれどね。

若さゆえの頼りなさには、拭い切れないものがありますけれど。

 

担当医、看護師さん二名、揃った家族で、いよいよ話し合いが始まりました。

これまでの治療の経過と、今後の治療方針、我が家の介護計画などが話の中心でした。

ところが、介護の話になった時です。

娘たちが積極的に看護師さんとお話をするようになりました。

私の事はそっちのけで、訪問看護師さんの訪問回数、在宅医を依頼するかどうかなど、具体的な介護計画がどんどん進められていきました。

 

 

私は、心の中で、

「ちょっと待って!私はマイペースをできるだけ崩したくないの。

私には、私が望む介護スタイルがあるの。

私は自分でまだまだ頑張れる、と思っているの。」

と、心の中でつぶやいていました。

でも医師や看護師への遠慮もあって、それが口にできないまま。

お話が、具体的に進んでいく一方でした。

このお話の途中で、夫は病室に戻り、家族と看護師のみの話し合いになりました。

 

私は、どんなに嫌な思いをしても、その感情を他人に向けて露わにすることは、まずありません。

けれど、この日は、自分の顔がどんどん曇り、険しくなっていくのが分かりました。

 

二時間近くの話し合いが終わり、廊下に出て、私が娘たちに言い放った言葉。

「あなた達がパパの介護をしているわけではないでしょ。

介護者は、ママよ。

ママの気持ちを察することなく、どうして一方的に話を進めてしまうの???」

その後、娘たちを置き去りにして、早々と病院を出てしまった私です。

娘たちは、呆気にとられたようなポカーンとした顔をしてましたっけ。(笑)

 

翌日、電話で話した時の娘の弁は、

「先生や看護師さんに会い、直接お話する機会は私達はめったにないから、一生懸命になりすぎちゃった」

とのことでした。

その気持ち、理解できないわけではありません。

しっかり者の娘たちが傍にいると、私はすっかり娘たちを頼ってしまうところがありますから。

 

 

あまり人の出入りが頻繁になると、マイペースで暮らせなくなる上に、気も遣わなくてはなりませんから、私は疲れてしまいそう。

パウチ交換、ドレーンの挿入口の消毒とガーゼの取り換えは、自分でしっかりやってきたとの自負もありました。

却って看護師さんが出入りするようになり、トラブルが続出。

とても複雑な心境に、私はなっていました。

 

けれど、看護師さんは、とても心のきれいな方。

実に一生懸命、夫の介護と看護に当たってくださいます。

ケアーマネージャーさんも、同様に素敵な方で、心から信頼しています。

病院の、我が家と訪問看護ステーションとの連絡担当の看護師さんも、然りです。

 

ケアーマネージャーさんに、いつか良い方達ばかりに恵まれた我が身の幸運を、喜びと感謝の気持ちを込めて語ったところ、とても嬉しい言葉が返ってきました。

「~さんがとても優しい良いお人柄だから、そういう人の周りには、自然と良い人たちが集まるものなのよ」と。

励ましを込めたお世辞とは、むろん分かっていますが。

褒め言葉は、いくら年を重ねても、子供のように嬉しいものですね~(笑)

 

とは言っても、看護師の訪問回数は、迷うところ。

在宅医の訪問まで依頼する必要が、本当にあるのか。

 

けれど結局、娘たち、病院、訪問看護ステーション側の勧め、夫の気持ちを優先する事になりました。

訪問看護士を週に三回お願い、緊急用の契約料金も別に毎月支払うことに。訪問医の依頼も。

ベッドは結局レンタル。

入退院時には、介護タクシーを利用。

 

介護保険の支払いが、8月の改正で、1割から二割になった我が家です。

すべてを加算すると、一体いくらになるのでしょう。

医療用品の購入費もあります。

私の病院通いの出費も。

十万はくだらないでしょう。

いつか、皆様の参考になると思いますので、具体的な料金を表示させていただきますね。

 

それ以外に、病院に支払う医療費も。

入院費は、医療保険でまかなえてる我が家ですが。

 

何と重たい家計負担でしょう。

二年間限定のお買い物の夢は萎んで行く一方だけれど・・・・・・・。

夫の命には代えられません。

 

介護保険制度による国の助成は大変助かるものの、医療サービスが過剰になるようにも。

色々複雑な思いが拭い切れない私ですが・・・・・・。

これからも悔いの残らないように、夫の介護と看病に、誠心誠意、励みたいもの、と願っています。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

   

  花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夏を穏やかに乗り越えられますように

2015-08-17 07:26:06 | 日記

お久しぶりです。

お盆も過ぎ、処暑ももうすぐ。

今日は、久しぶりに本降りの雨で、雨音に幾分の涼を得て、ほっとしています。

昨夜は病院を出たのが七時半で、我が家には九時ごろ戻ってきました。

私がこれからお話することは、前回の一連の記事の投稿終了後から、毎朝少しづつ書き留めたものです。

ですから相変わらず、大きな時間のずれが生じてしまっています。

その点をご了解の上、お読み頂きたく、宜しくお願い致します。

最近も悩ましいことが色々起きていますが、順序立ててこの二週間で書き留めたものから、投稿してまいりますね。

 

今年の暑さは、かって例を見ないほど異常なものになりそう、とか、

東京は40度になる日も・・・・・といった記事を、七月の下旬ころ目にした時は、これは大変なことに、と私は身構えたものでした。

病人もいる我が家のことですから。

 

夫は、弱音を吐いたり、愚痴を言う人では、もともとはありませんでしたから、暑かろうと寒かろうと、いつも淡々と過ごしていました。

病を患うようになって、性格がずいぶん変わってしまいましたけれど。

 

 

私は、年を重ねるごとに、暑さと寒さが、身に応える一方。

今年は、介護の大変さもあり、疲労が濃くなりがちです。

そのため今夏は、一層厳しい暮らしになるのでは、と心配でなりませんでしたが・・・・・・。

時に息絶え絶えながら(笑)今日まで何とか乗り切ることができました。

息絶え絶えと書きましたが、これは誇張表現ではなく、本当の事。

最近また、一昨年頃苦しんだ息苦しさの症状が再発しています。

 

首の皮が張り詰め、締め付けられているような感覚。

頸椎のだるさとともに、私を悩ませていて、腰痛よりはるかにつらいものです。

腰痛は今のところ、かなり治まり、それだけで、随分救われている私ですが。

息苦しさも、二年前ほどひどくはありません。

 

この症状は、病気ではなく精神的ストレスが原因であることは承知している私。

気にしないように心がけるしかありませせん。

 

旦那さまが、容態が思わしくなく、イラついた態度で当たってくると、私は疲れ果て、この症状がひどくなったりと。

このままいくと、共倒れしてしまうのではと、一気に弱気になることもありますけれど。

体力は情けないほどない私ながら、人並み程度の精神力はあるようです。

立ち直れないほどの心身の疲労を感じても、必ず元気を復活できます。

心の入れ替えの速やかさは、私の特技かもしれません。

この技を生かして、今後も頑張るしかありません。

 

 

旦那さまは、抗がん剤の副作用で、暮らしは忍耐一筋の日々。

最近の夫は、新たなる症状で苦しみ始め、性格の変わりようが甚だしくて、私のストレスも相当なものになってきました。

お医者様の治療方針には、私は納得できないものがあり、それがストレスを増幅。

そうなると、今までできるだけ避けてきたネット検索の知識に頼り始めてしまって・・・・・・。

良いこととは思いませんが。

断末魔のような痛みに時々襲われる旦那さまを救ってあげたいとの思いがあふれ、私は素人ドクターになりかけています。

 

さて、その苦しみとは。

次回にお話させていただきます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

 

  

 花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで自信が持てない私の思いですが~安全保障関連法案について

2015-08-02 07:45:51 | 日記

メディアのみならず、にほんブログ村でも、安全保障関連法案に反対の記事をよく見かけるこの頃です。

世の中が騒然としていることも、その場に居合わせなくても肌で感じられてきます。

「戦争法案」とまで言われては、さぞこの法案を成立させたい側にとっては、不服もいいところなのでしょうが。

 

安倍首相が、いつも逃げ腰の答弁ばかりでは、国民が納得できないのは当然でしょう。

逃げ腰なんて言いましたけれど、国会中継を一度も視聴したことがない私。

私はテレビはほとんど観ません。

購読している朝日新聞の反対一色の記事を読んで、なんとなく理解しているに過ぎません。

 

安全保障関連法案の是非は、外交上の問題でもあるがゆえ、奥が深すぎて・・・・・・・。

十分な理解から程遠いわたしは、軽々しく意見が言えない問題のような気がしています。

それなのに、あえて私の思いを語らせて頂く身の程知らずが、少々恥ずかしいですが。

宜しければ、聞いてくださいね。

 

 

ノーベル平和賞の候補にもなった憲法九条は、今後も守り抜いてほしいし、燦々と輝いて、私達国民の誇りであり続けてほしい。

その様に願う気持ちは、何ら変わりありません。

集団的自衛権が、その条文を犯す違憲になるのかどうか、今の私の知識ではよくわかりません。

多くの憲法学者は憲法違反と断定されているのを聞くと、やはりそのようにも思えてきます。

 

私の勝手な想像ですが、我が国は、イラク戦争の時、巨額のお金で支援したにもかかわらず、その貢献が認められないどころか、世界中から非難されました。

結果論ですが、間違った戦争であったことは、今では自明の理ですけれど。

安倍首相は、そのことがトラウマになっているのかもしれませんね。

憲法九条に違反しないであろうぎりぎりの線で、積極的平和主義外交をすすめたいゆえんなのでしょう。

 

 冷戦の時以上に、今は世界が混とんとし、紛争は至る所で勃発。

経済は資本主義化しても、体制は古いままの大国の台頭と、理解しがたい国策も、世の中の平和を乱しつつあるようで残念でなりません。

そのために抑止力、力の均衡といった問題がクローズアップされてくるのでしょうか

 

日本ほどの大国となれば、具体的な行動でもって、世界平和のために貢献するのは、当たり前のことでしょう。

とはいえ、このたびの法案を可決することが、その目標をかなえることになるのかどうか、私にはよく判りません。

戦争と安易に結び付けて非難するのには、多少の抵抗がありますが

 

 

一昔前、似たような騒動で、我が国は騒然となりました。

安保闘争です。

日米安全保障条約改正の締結反対がスローガンでした。

私の夫は、デモに加わったことはないようですが、それを目前にした学生時代を送っています。

私の従兄は、何とその学生運動の中心的存在で書記長でした。

小さい時は、寝小便小僧だったHちゃんです。

その後は研究所勤めの学者になりましたが。

 

今思うと、あの騒動はいったい何だったのかしら、と思わないでもありません。

私は、今回の問題同様、何を言う資格もないほど、当時の運動の根本的理由すらよく解っていません。

ですから、勝手な推測に過ぎませんが、日米安全保障条約を締結すると、アメリカの戦略に巻き込まれ、日本が戦争することにまたなるのでは、との不安が大きかったのではないでしょうか。

 

けれど、それは全くの杞憂に過ぎませんでしたね。

それどころか、日本はそのお蔭で、防衛の心配をしないで目覚ましい発展を遂げ、平和を享受できました。

アメリカとの間に経済戦争らしきことはありましたが、無謀な要求をアメリカが日本に押し付けるようなこともありませんでした。

 

 

今回の法案の良し悪しは別にして・・・・・・。

もし自民党がこの法案をいかにしても可決したいなら、もっともっとわかりやすい説明を国民にすべきです。

安倍首相は、安全保障関連法案のみならず、教育改革などでも、独断により性急に、自分の考えを国民に押しつけようとする言動が、甚だすぎますね。

それが国民の怒りを一層かっているような気がしてなりません。

民主主義をないがしろにし過ぎ。

国民の合意を得てもいないのに,アメリカの議会で、この法案の確立を約束するなんて、言語道断です。

 

外務大臣就任時代が長かった、高村副総裁の悲痛な決意の言葉が、私にはとても印象的でした。

記事の内容はうろ覚えのため、表現はかなり異なると思います。

その点はご容赦くださいね。

 

「国民の反対を押し切ってでも重要な法案は成立させてきたのが自民党だ。

今回も、国民の不支持の増大は気にしないで、通さなければなければならない法案は通すべきだ」と。

外交に精通した高村氏の、絶対に必要な法案との並々ならぬ決意のようなものが私にも伝わってきましたが。

 

 

最後に気にかかる点をもう一つ、述べさせて下さい。

 

もし米国が日本を見放し、自主防衛を迫まってきても、我が国は今のままで済まされるでしょうか。

核大国の米国への甘えの体質はないでしょうか。

「核の傘」といった米国の安全保障に依存したままで、理想論を述べては、身勝手な国との印象を与え、世界中から非難されないでしょうか。

 

スイスでさえ、徴兵制の軍隊は持っています。

自分の国を攻める理不尽な国が万一あったなら、国民は一丸となって闘い、自国を守り抜く覚悟だけはあるようです。

とはいえ、Natoにも参加せず、近いロシアへの協力もむろんありえない永世中立国のスイスの国の形態が、私の理想ですが。

とは言っても、徴兵制の軍隊は、断固私は反対ですけれど。

 

肉団子のトマト煮・春雨のサラダ・冷奴のにんにくソースかけ

 

今後、もしこの法案が可決されたなら、安保闘争後の日本のように、良識ある日米の政治家の下、世界平和のために最大限にこの法案が生かしてほしい、と強く願って止まない私です。。

そしてあの騒然とした世の中の雰囲気は何だったのかしら、と将来振り返って、思いたいものです。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

 

  

 花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする