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御嶽山捜索終了

2014年10月16日 | 時事
年内の捜索打ち切り=環境悪化で「断腸の思い」―不明7人、春以降再開へ・御嶽山
未だ行方不明者のいる可能性の残る御嶽山ですが、今季の捜索は終了となった模様です。

それにしても、発生当初はこれほどの被害になるとは想像もできませんでした。結局噴火当日と翌日に自力下山や避難・救助された方々以外に生存者は見つからず、2日目以降の救助活動からは、もう事実上の遺体捜索となってしまいました。ただ、1週間の時点で見つかっていた47名全ての方を、雨が降る前に下ろせたのは英断だったといえるでしょう。その後行方不明者の人数も絞り、全員発見を目指して捜索範囲や人員をどんどん増やして探していましたが、雨や火山ガス、台風の影響で何度も捜索が中止となったり、地面がぬかるんで捜索隊が足を取られることが頻発したりと難航し、3週間近く経ちましたが日ごと明らかに発見ペースが落ちてきていました。現時点で56名まで見つかり、残る不明者は7名となったものの、灰や煙のせいでただでさえ見通しが悪いのに、昨日からは冠雪もあり、もう目に見える手がかりは何もなくなってしまいました。残る手段は宝探しのように地面に棒を突き刺していくしかないわけです。3000m級の山では気温も既に氷点下でしょうから、これ以上捜索を続けると救助隊の生死に関わるかもしれないということで、明日の降雪の前にして本日打ち切りが決断されたようです。いつまた大爆発するかも分からない極限状況の中で、二次災害の危険も顧みずここまで懸命に活動された関係者の方々には本当に頭が下がりますね。
エベレストでは、デスゾーンと言って山道に登山者の遺体がそのままになっている所があるそうです。世界一高い山は世界一過酷な山でもあり、当然誰もが自分自身のことで精一杯となるため、救助したくてもできずにずっと放置されているのだとか。その点、御嶽山はまた来春には捜索が開始されるでしょうから、まだ救いがありますね。しかし、おそらく来年は捜索というよりも、ポンペイ遺跡の発掘のようになってしまうことは想像に難くありません。また災害救助にかかる費用は税金であり、ここまでの救助に関わった方が延べ1万5千人で、日給1万円だと仮定しても1億5千万円もかかっていることになります。ヘリや機材などの活動費も含めると、数億円は下らないでしょう。登山は単なるレジャーでなく、こうしたリスクもしっかり認識しておく必要があるものだということを、今回多くの方が感じたことと思います。

報道によると、「事前に注意喚起できなかったのか」という視点から、警戒レベルが1のままだったことに非難が集まっているようです。しかし、何でも行政のせい、自治体のせいだと決め付けて責任を押し付ける論調は、朝日新聞の行っているような反政府体質の一方的な見方です。だってこれ、もし完璧に対応されていたら、後は登山をアピールした出版社やテレビ局などを追及するか、もう自己責任だと言うしかなくなってしまいますが、そんな報道はありえないでしょう。何か起こるとすぐそういう叩き易い所を叩きにいくのはマスコミの悪習だと思います。また、例えばもし自分の立場で、先月富士山が2に上がっていたら登るのを止めたかと自問してみると、多分無視して登っただろうなあと思うわけです。気象庁からも、御嶽山で近々に地震が頻発していたという情報は公開されており、地元メディアでも事前に危険性の報道がされていたのは事実です。少なくとも、通常より警戒すべしという情報は事前に出ていましたし、知ろうと思えば十分入手できたはずです。山に登りたいと思うのは個人の自由意志なので、情報が公開されている以上、「聞いていなかった」は通りません。まあ、中にはレベル2になったと知ったら登山を諦めた人はいたかもしれませんが、そんなものは所詮結果論に過ぎません。禁止されていても登る人は登るでしょうし、そこで働いている人にとって見れば、禁止は正に死活問題なわけですからね。
ただし、だからといって全て自己責任、自業自得だという論調もまた間違っていると思います。そもそも天災に遭うか遭わないかは、突き詰めると確率の問題であり、例えばベテラン登山者でも噴石に当たれば死にますし、山頂で噴火に巻き込まれても、奇跡的に下山している方もいるわけです。自分も富士山の前には一応天気・気温・風量などに加え火山の情報も見ていて、「明日しかない」という判断をして向かいましたが、実際は5合目から7合目まで霧雨に見舞われました。でもこのことで別に気象庁のせいにしようとも、自分の判断が悪かったとも思いません。「山の天気は変わりやすい」とも言われているように、たまたまそうなっただけの話であり、自然は人間の予報や判断などでどうこうできるようなものではないのです。山岳信仰というものがあるように、古来より日本では自然を神として崇めてきましたが、人知を越えたものに対して人が責任を押し付けあったり対策の不備を追及したりするのは、お釈迦様の掌で弄ばれる孫悟空のごとく、ひどく滑稽に見えますね。

天災の前に人間など無力であり、様々な検証は行われるべきですが、それは誰かに責任をなすりつけ追及するためではなく、今後の教訓としていくために行うべきです。自分の場合は、雨は降らないと思っていましたが、用心のためにちゃんと合羽を持っていたので大した問題にはなりませんでした。今回の場合では噴石が頭に当たって亡くなるケースが多かったので、ヘルメットをかぶっていればもしかしたら助かった可能性があるわけです。また、もしかしたら噴火の写真を撮ろうとして逃げ遅れたという場合もあったかもしれません。冷静にそういった事実だけを見つめ、もし今後登山に行くことがあれば、教訓として今後はヘルメットを持参していく、異変を感じたら写真を撮る前に逃げるなど、自らのリスクを管理する術を身につけていくことが、自然と共に生きる我々にできるせめてもの手段であり、犠牲となった方々から学ぶべきことなのだと思います。

同様に、是非助かった人達からもどこにいてどう行動したか、徹底的にリサーチして欲しいですね。