《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「水の落ちていない滝ですが…」

2018年03月23日 | Weblog

到着殿から少し進むと白藤滝への道がある。
明治8年に造られた滝で、夏の涼み処として親しまれていた。
平成16年に再興されたもので、水はあまり落ちていない。
画像右側には第二代郡山藩主の柳澤信鴻(宝暦5年)、
第三代但馬出石藩の仙谷正辰(宝暦2年)寄進の石燈籠がある。

今日の暦:昭和28(1953)年、中国からの引き上げ第1船線が舞鶴に入港。


今昔奈良名所「遠路、はるばると…」

2018年03月21日 | Weblog

到着殿の東にある延享5(1748)年の造立の、細身の石燈籠。
安定と不安定が紙一重「細微にして精妙なること類を見ず」と
評されている名物燈籠。
「雲卜」は石工の号で台石にその名がある。
薩摩の人で大仏再興時に奈良へ来たという。
瀬戸内を船で来たのか、陸路を歩いて来たのだろうか。
また所要日数はどれぐらい掛かったのだろうか。

今日の暦:国民の祝日春分の日で、自然をたたえ、生物をいつくしむ日。
過去に於いては「春季皇霊祭」と言って、皇室の先祖を祀る日だった。


今昔奈良名所「ドラマはドラマっ」

2018年03月19日 | Weblog

春日祭りの勅使は、ここで記録をして神殿へ詣でる準備をする。
現在の建物は応永20(1413)年のもの。
西側の丘の上に第六代奈良奉行の
大岡忠高(大岡裁きで有名な越前の守忠相の父)寄進の石燈籠元禄5(1692)年がある。
寄進は東大寺大仏再興の開眼供養にが行われた年。
テレビドラマでは隠居後、忠高と奉行の忠相と江戸で暮らしている姿があるが、
忠相が南町奉行になったのは忠高の死後16年後だった。


今昔奈良名所「これも橋、橋、橋」

2018年03月16日 | Weblog

馬出橋が「八位橋」、馬止橋が「七位橋」、参道には五位橋、四位橋、三位橋がある。
ここ四位の橋は剣先の分岐点にあるので気が付くが、各橋を確認するのはなかなか難しい。
画像右側に六代熊本藩主細川重貴寄進の石燈籠(延享5年)がある。

今日の暦:昭和41(1966)年、アメリカの人工衛星「ジェミニ8号」が初の宇宙ドッキングに成功。


今昔奈良名所「謎かけ。誰の物、藤原さんの〔モン〕です」

2018年03月15日 | Weblog

春日祭のときは、藤原姓の人はこの道を通り、藤鳥居をくぐって本殿へ進みました。
この名前も、藤原氏ゆかりの藤の花がかかる鳥居だったからでしょう。
現在でも藤の老木の多いところです。
鳥居を抜けた左手石灯籠の後ろにとぐろを巻く太い藤の根が見えます。
蔓は道の上空を横切って向かいの杉に絡みついています。
花の季節には遠く離れたところからも白い藤が
ご覧いただける本殿への近道でもあります。
慶賀門をくぐると、目の前には春日大社の名物とも言える
「砂ずりの藤」もあります(春日大社HP)。

今日の暦:昭和2(1927)年、東京で銀行取り付け騒ぎ、金融恐慌始まる。