春日祭りの勅使は、ここで記録をして神殿へ詣でる準備をする。
現在の建物は応永20(1413)年のもの。
西側の丘の上に第六代奈良奉行の
大岡忠高(大岡裁きで有名な越前の守忠相の父)寄進の石燈籠元禄5(1692)年がある。
寄進は東大寺大仏再興の開眼供養にが行われた年。
テレビドラマでは隠居後、忠高と奉行の忠相と江戸で暮らしている姿があるが、
忠相が南町奉行になったのは忠高の死後16年後だった。
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