《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

幸村探索・大坂「勝って兜の緒を締めよ」

2017年02月17日 | Weblog

萬福寺から東へ登ること約20mの標高差。
増福寺には夏の陣でのヒーロー薄田隼人正(隼人)の墓碑(供養塔)がある。
彼は豊臣秀頼に仕え、大坂の陣では侍大将に任じられた武将だ。
無類の酒好きと伝えられ、冬の陣では、博労ヶ渕の砦(現大阪市西区立売堀6丁目あたり)に立てこもり、
木津川を上る徳川の軍勢を散々に打ち破り名を挙げた。
大勝利に酔い側近を引き連れ新町の色里に入り浸っているすきに、
砦は奪われ『橙(だいだい)武者』と評された(橙は大きい割には中身はまずい。見掛け倒し)。
夏の陣では東西両軍が相まみえた5月6日の道明寺の戦いで後藤又兵衛、塙団右衛門など共々奮戦し討死した。
豪傑『岩見重太郎』のモデルと言われる。
なお山門は創建当時(慶長7・1602年)から残っている歴史ある門。