《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道・大和奈良街道3「金魚のマンホール」

2016年02月12日 | Weblog

大和郡山市に入る。いまさらと思うが、金魚の原種は中国の赤い野生の鮒。日本には1502年頃に渡来されたらしい。
富豪の愛玩物として飼われていたものが、民間で流行したのは明治時代と言われ、
1724年に柳沢吉里が甲斐の国から大和郡山に移った時、
藩士の副業として金魚の養殖が始まったとされている(大和郡山市HP)。


旧街道・大和奈良街道3「二宮尊徳の教え」

2016年02月11日 | Weblog

最近すっかり見かけなくなった二宮尊徳像。勤労、分度(贅沢を慎むこと)、
推譲(余剰を他に譲ること)を勧め、
積小為大(小さなことの積み重ねが大きなものを生む)、
五常講(仁、義、礼、智、信)を人々に説いた「二宮金次郎」。
昨今の事件を見ていると日本人に今一度必要な教えではないだろうか。


旧街道・大和奈良街道3「継母とまま子と地蔵さん」

2016年02月05日 | Weblog

手前にあるお堂は、その昔、立田村の意地汚い継母が継子に10日も飯を与えず、
「地蔵が飯を食べたらお前にもやる」と云ったら、不思議や地蔵さんが飯を食べた。
それから継母も改心しましたと云われている日切地蔵。
その右奥にある青い三角屋根のあるところが、恋多き在原業平、云われ井戸の「姿見の井戸」。