羅城門を出発して約35分、上鳥羽の「恋塚寺」に到着。お寺の名前にしては「ちょっと、ちょっと」である。しかしここは吉川英治「新平家物語」にも登場する「文覚」が人妻に横恋慕し、誤ってその人妻を殺してしまって、その菩提を弔うために建てた寺と云われている。しかし恋塚寺は下鳥羽にもありどちらがどうだか。一説には上鳥羽の「恋」は魚の鯉の「鯉塚」とも云われている。京の六地蔵めぐり」の一つ「鳥羽地蔵尊」。
西寺から羅城門跡へ戻る。「七口の関」と云われる関所は鎌倉時代には八瀬、今道の下、東寺口、法性寺、鳥羽、七条口、長坂口の七ヶ所とされたが、現代においては鞍馬口、大原口、荒神口・今道の下口、粟原口・三条口、伏見口・五条口、竹田口、丹波口、長坂口・清蔵口である(wikipedia)。今日は羅城門跡を背にした画像正面の道を南に向かって「鳥羽作道」を歩く。
恥ずかしながら、東寺は知っていたが羅城門を挟んで西側に「西寺」があったとは知らなかった。794年平安京の造営の際に創建された東寺と共に二大官寺の一つ。創建当初は東寺より格上とされていた。また平城京のように増大した寺院勢力の台頭を排除するため政治的意図により「この東寺と西寺以外の寺院の建立は平安京内には認められなかった」とも言われている。
羅城門は816年大風で倒壊、再建されたが980年の暴風雨で再度損傷してからは再建されず荒廃。門周辺には引き取り手のない死者がこの門の上階に捨てることが常態化していた。芥川龍之介の小説「羅城門」や黒沢明監督映画「羅城門」で有名。近代的なマンションの奥にその石碑が立つ。
世界遺産で教王護国寺とも呼ばれる。平安京鎮護のために官寺として建てられ、真言密教の真言宗の根本道場。12月21日に開催される「終い弘法」は年末行事の一つでテレビでよく見るが、弘法市は毎月21日に開催されている。