《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道2・京街道1「航海記念大石塔」

2014年11月23日 | Weblog

石清水八幡宮境内の東隣にある全国最大の五輪塔で国の重要文化財。下から池、水、火、風、空の五大要素を表している。諸説色々あるが「摂津尼崎の商人が中国宋との貿易の帰途、石清水八幡宮に祈って海難を逃れその恩に報いるため建立された」とある。手前にある石碑は昭和2~3年に三宅安兵衛の遺志により建立さた約400基中の1基。


旧街道2・京街道1「敗軍の運命」

2014年11月22日 | Weblog

廃城となった伏見城に代り京都警衛の拠点となった。戊辰戦争時幕府軍の宿泊所となり、幕府軍はこの淀城から京都に向けて進軍した。しかし3日後に敗走の幕府軍となって戻ると、入城を拒否されると云う何とも悲しい運命。淀君が住んだ淀古城の妙教寺の跡とは別。「淀小橋旧跡」の道標は旧奈良街道から幾つも見てきた三宅安兵衛の建立の一つ。


旧街道2・京街道1「変りましたなー」

2014年11月21日 | Weblog

京阪淀駅に到着。すっかり変わってしまった高架下。昭和3年建立の「淀川渡し場」への三宅安兵衛の道標。春の天皇賞や三冠競走の最終レース秋華賞・菊花賞などが開催される競馬場の駅として名が知られている。「この競馬場の入り口にあった幕軍戦死者の埋骨碑を撤去しようとしたところ、交通事故が相次ぎ戦死者の祟りと噂が出たために工事を中止した(街道資料6より抜粋)」


旧街道2・京街道1「京都人の気遣い」

2014年11月19日 | Weblog

京都府京都市伏見区千本通 納所中河原付近。ここにも供養碑が。鳥羽・伏見の戦い後、戦死した将兵の遺骸はそのまま放置されていた。でも、戦乱で家を焼かれ被害を被った下鳥羽の人々は、それでも引き取り手のない遺骸を火葬のうえ埋葬したという。日本でもっとも戦の多かった京都ならではの気遣いか?