《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を南から北へ「藤原清河」

2011年01月18日 | Weblog
奈良時代の貴族で阿倍仲麻呂と共に遣唐使として入唐。在唐30余年後仲麻呂と鑑真和上を伴って帰国の途に付くが、鑑真和上の乗る舟は無事に日本に着いた。しかし清河と仲麻呂の乗る舟は逆風に合い現在のベトナムに漂着。船員の多くは殺害されるが二人は再び唐へ戻る。その後日本への帰国は許されないまま没する。清河は唐の婦人との間に「喜娘」と云う娘がいて彼女は遣唐使に伴われて来日したが、その後の消息は不明。藤原清河の邸宅を寺にした済恩寺がこの西音寺橋の奥にあった。


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