奈良・高取城址3 2007年04月26日 | Weblog 家康は、薩摩・島津が京都に入って近畿を抑え、天皇を擁して幕府と対決するという、架空の状況においてその場合、大和の幕軍は郡山城を捨ててこの高取城にこもる戦略があった(街道を行くより)。杉木立に囲まれた屋敷跡の石垣。これら石垣に使われている石の中には飛鳥から持ち寄った石があるという。