鶯の山とも呼ばれる若草山。
日本固有の芝に覆われたなだらかな山で、
江戸時代から蕨つみ、野遊びの山であった。
幕末~明治頃から菅傘を三重に重ねたような山容から
「三笠山」と呼ばれることがあるが、
春日の「御蓋山(みかさやま)」との混乱が生じた。
昭和10(1935)年、三笠宮の宮号制度により、「三笠山」では
宮様の名のついた山を土足で登るのは不敬ということで
「若草山」へ統一の徹底が図られ、奈良県知事がラジオ放送を行った。
今日の暦:昭和27(1952)年、日本がヘルシンキ・オリンピックに復活参加。
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