普段目にしている石垣は根石、隅脇石、築石(平石)、間詰め石と云う石を平面で見ている。
その裏にはコブシ大の石が2~3m位の幅でぎっしりと詰まって、またその裏には裏栗巻石が積まれている。
その次に盛り土層があり天守が建てられていた。石垣の裏は三層構造になっていた。
現場では裏込石に名前や願い事の記入を受け付けていた。
この石垣の次回の修復時(400年後?)にそれは現れる。
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