法輪寺から発起寺に向かう道の南側に柿畑があり、そこをさらに登ってゆくと有刺鉄線で囲まれた墳墓がある。「岡の原」と呼ばれていて、ここも山背大兄王墓と云われているが定かではない。「戦えば百姓民も傷つき死ぬ者もあるだろう。自分がここで死せば彼らは助かる」と一族もろとも自害し一族は絶える。百姓民のことを自分以上に考えることは太子の教えだともいえ、太子信仰へとつながったのではないだろうか。戦後教育で失われた嘘をつかない、生き物を慈しむなど日本人の「和の心」がここにあるのかもしれない。
(今日の歴史=834年班田収授の期間が6年から12年に改められる)
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