春日大明神が白鹿に乗り、常陸鹿島から遷幸された由来によって、
奈良では鹿は神の使い、神鹿として扱われた。
幕末には鹿殺しが死罪と言うのは遠い話で、芝居上の話となっていた。
奈良奉行・川路聖謨も「鹿殺しの死罪に及ぶと言うは、
梨園の戯曲の演義せしもの」等と日記に記している。
2003年に「白鹿」を探して奈良公園を右往左往して、
やっと春日大社参道わきで出会うことが出来たことをおもい出す。
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