「真田丸」顕彰碑は心眼寺と道を挟んで西隣にある。
一段低くなっている碑の後ろ、明治36(1903)年に設立された
大阪明星学園のグランド辺りが真田丸の中央と思われている。
この辺りは先の大戦で心眼寺を始め焼け野原となったが再建されされた。
心眼寺より道路は約1.5㍍程低く、さらにグランドは低くなっており、削り取られたということになる。
学校創設時に削り取られたのか、家康が削り取ったのか気になるところだ。
陶板には大阪城天守閣が所有する「大坂三郷町絵図」、「大坂冬夏陣立図」のうち「冬の陣図」、
東京国立博物館が所有する「大坂冬の陣図屏風」なども表示されている。
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