境内榎木には多くの「鎌」が打ち込んであったが撮禁だった。
「境内にある榎木に鎌を打ち込むことで悪縁を絶つ、と古くから信仰を集める。
大坂冬の陣の際、幸村も”鎌八幡大菩薩”と称して鎌を打ち込んで戦勝を祈願し、見事に大勝を収めたそうです。
ご神木の西側から寺の北側までつづく石垣(塀の土台)は、元禄時代以前からあったものらしく、
出城”真田丸”の名残りではないかといわれています」とある。
地形も西へ低くなり、南側は今里線に向かって約3~4㍍低くなって行く。
画像右には南北の道があり真田丸の西南角となるのだろうか。
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