月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

あとどれだけ?

2014-12-14 | 仕事
今年の終わりが静かに近づいてくるのを感じながら、ふと「私の秋はどこへ行ってしまったんだろうか」と思う。
思い出すことができない。

芸術の秋、スポーツの秋、行楽の秋、読書の秋・・・
いろんな秋があるけれど、何の秋もなく終わってしまった。
今年は食欲の秋すらなかった。
ただ、生き延びるためにエサのように何かを食べ、過ごしてきただけの日々。

駅からの帰り道、雨に濡れたアスファルトの上で、くすんだ色の紅葉が落ちているのを見て、「ああ、いつの間にか秋は去ったんだ」と気づいた。

淋しい。
でも、そんな感傷に浸っている時間もない。
とにかく時間との闘いだ。

しかし、一体いつから休んでいないんだろう。
もう土日を「休日」だと思う感覚はすでになく、土日が来ると「ここで挽回せねば!」といつもよりはりきる。
クライアントが休むので、その間だけは先方での作業が止まる。だから挽回のチャンスなのだ。

この土日も同じ。
また3日間、ひきこもり。パソコンと酒が友達。

不思議と辛くはない。
辛くはないが、間に合うのかどうか心配で、心が折れそうになる。
布団に入っても、「あとどれだけで、あと何時間あって・・・」とそんなことをぶつぶつ考えてしまい眠れない。
「あと」という言葉の使い方を知らないんじゃないかと思うくらい不自然な、「あと15時間!」と叫んで焦ったり。
改めて600ページの本を一人で書ききるという恐ろしさを思う。
それと同時に、64ページの冊子と日本酒雑誌、さらに200ページの本の校正が年末に向けて進んでいるわけで・・・。
無理だ。いくらなんでもムチャだ。

それでも、精神障がいの本の校正(200ページのやつ)を断らずによかったなと思う。
作業は主に移動中の電車の中で、なかなか進まないが、それでもとりあえず前半の3章まで送ったら、とても感激してくださった。
「さすがです!自分には気づかないことばかり!」と。

私は「餅は餅屋」という言葉がとても好きなのだが、その道のプロの力を活用するということは大事だと思うし、また自分はそういう専門性をもった人間でありたいといつも思っているのだ。
だから、精神障がいに関してはプロであるその人が、自分で本を作る際に、書くことのプロである私に校正を依頼してくれたこと、そして「やっぱり頼んでよかった」と思ってもらえたことが、とても嬉しかったのだ。

きれいごとを言うつもりはないし、お金を稼ぐための仕事でもあるけれど、やはりそれ以前に、「誰かの役に立つ」ということは嬉しい。
こういうとき、自己満足でも生活のためでも、はたまた自分の権威や名誉のためでもなく、ただ素直に誰かの「役に立った」と思いたくて仕事をしているんだなと思う。
そうでなければこんな忙しいときに、特に「書く」仕事でもなく、お金儲けにもほとんどならない校正の仕事なんて引き受けられない。

さあ、今日もまた朝が来た。
明日は朝から某大手酒造会社の社長取材があるので、1時には寝ないといけない。
いよいよクライマックスの「黒田官兵衛」だけは見逃すわけにもいかないし、選挙も行かねばならないし、そう思うとやっぱり今日も「あと15時間」しか仕事ができない。

そして、今年もあと半月。(この「あと」の使い方は合ってる)
無事に年を越せるのか、やや不安ではあるが、とにかく今は駆け抜けるしかない。
年末は、大掃除とおせちを作る時間さえ確保できればそれでいい。
「会えたら会おうね」「忘年会しようね」と言っていた人たちとも誰とも会っていないが、それも仕方がない。(ごめんね)
少なくとも、会社勤めの人達が年末年始のお休みに入る26日までは何もできない。
みんなが休みになれば、少しこちらもスピードダウンできるだろうが・・・。

結局、今日も、久しぶりにブログを開いてみても、書くのはこんな愚痴ばかり。
おもんないね、すみません。ストレスたまってるねん。