月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

私の師匠

2014-12-19 | 仕事
ぶつぶつ文句ばっかり、ぐちぐち愚痴ばっかりの毎日だが、
ひとまず、日本酒雑誌の原稿は完了!
あと、残した造りのシーンの撮影があり、来週カメラマンと某酒蔵へ行くが、原稿自体は終了した。
何度かデスクとやりとりして、今朝、ようやく修正も終えて入稿に至った。

今回は3本だけど、いいものが書けたと思う。
担当者からも「この原稿一番好きです。読んでいて楽しかった」という言葉をいただき、飛び上がるほど嬉しかった。

良い原稿がかけるのは、デスクのYさんのおかげである。
Yさんは、いつもとても真摯に私の原稿に向き合ってくれる。
私が書くのと同じような気持ちで読み込み、的確な指示をくれる。
そこには一切、妥協がない。

それは、私がどんな思いで書いているか、それをわかってくれているからだ。
彼はいわば、プレイングマネージャー。
自身もライターなので、書き手の気持ち、言葉の大切さを理解してくれている。
だから、少しも偉そうにしたり、上から手直しをしたりしない。
同じ目線に立って、同じものを見て、同じように感じようとしてくれる。
そのうえで、客観的な意見を読者としても与えてくれる。
言葉選びに迷えば、ぴったりの言葉を探してくれる。

なんと素晴らしいデスクなんだろう!
この人と出会えて、今、文章をもう一度鍛えてもらえていることに心から感謝している。

私はYさんのことを絶対的に信頼しているので、「ここはこうしたほうがいい」と言われると、基本的には従う。
せっかく書いたのに・・・また書き直し・・・と泣きそうになることもあるし、「いや、ここは削りたくない!」と思うこともある。
そんな時は、自分の気持ちはきちんと伝えたうえで、じっくりと推敲してみる。
「ちょっと時間ください。書き直します」と。
今回もそうだった。
すると、「いつもそうやって私の指摘に向き合ってくださる姿勢に打たれます」と返事があった。

そりゃ、向き合うさ!!
だって、うまくなりたいから。もっといいものを書きたいから。
タダで文章の先生に指導してもらえる機会を逃すなんて、もったいなくてできるはずがない。
なにくそ、なにくそ、と思いながら、必死に書き直す。
絶対に認められたい。次こそ褒められたい。
そう思って、眠くても忙しくても、これを優先して書き上げる。

仕上がると、いつも恍惚とする。
今、こんなふうに恍惚とする仕事は他にないのだ。

入稿すると、ホッとして涙が出る。
何かをやり遂げた充実感で満たされる。
それと同時に、この仕事に出会えた奇跡と、素晴らしい人たちと一緒に仕事ができていることに感謝の気持ちがあふれてくる。
そして、またそのことで涙が出る。

担当者、カメラマン、デスク、デザイナー、ライター。
みんなが一つになって、いいものを創り上げようと、たった1つの言葉を何度も何度も話し合ったりもする。
次にバトンを渡す人が仕事をやりやすいよう、できるだけ早く良いものを作ろうと、自分自身の担当を必死にこなす。
それがよくわかるから、いいメンバーだなと思うのだ。

今日は私が使った「底力」という言葉が何か違うということで、皆で他の言葉を考えた。
こんなふうに言葉一つ妥協しない。
(結局「真価」になった)

年が明ければ、また静岡と福島の酒蔵に取材がある。
楽しみで仕方がない。
お酒を好きになってよかったなぁ。

タンクの中の小宇宙をまた覗きに行こう。
いろんな人の思いを、誠実にカタチにしよう。

正月の憂鬱

2014-12-19 | 生活
もう長い間、布団で寝ていないような気がする。
リビングかパソコンの前で机に突っ伏してうたた寝が基本。
どうせ布団に横になっても眠れないか、寝てもうなされるだけなので、うたた寝のほうが熟睡できるんじゃないかと思う。
細切れだが、足すと意外に長時間寝ていて、なんとも効率が悪いというか、体に良くない寝方だが・・・

なんとか29日にはいろんな仕事を終わらせて、30日・31日は大掃除やお正月の準備をしたい。
そう考えると、結局、ゆっくりできるのは、年が明けて3日と4日だけかなぁ。
1日・2日はお互いの実家まわりがあるし・・・。
また夫の実家でキツイ時間を過ごすと思うと、疲労の上に疲労がたまる。
夫の両親に会うのは楽しみだし、少しもイヤではないのだが、お義兄さん夫婦が子供を連れて来るのだ。
全員がその子供に集中するので、お父さん・お母さんとも何の会話もできない。
私と夫はただ端っこで2人でお酒を飲んでいるだけ。
あの、なんとも居心地の悪い、いたたまれない感じ・・・。地獄の時間。

朝ドラ「マッサン」を見ていて思う。
子供の産めない女は離縁されても仕方がない時代があったんだなーと。
今はそこまで厳しくないが、それでもこういうお正月の集まりなどではなんとなく肩身が狭い。
私が勝手に感じている部分が多いのもわかっているが、まあ、とにかくキツイのだ。

お義姉さんも気を遣ってくれるようなキャラではないので、見たくもない子供の分厚いアルバム2冊を見せられ、
「かわいいでしょー」
「あ、この表情いいでしょ」
「あ、これもお気に入りやねん」
「あー、かわいいー!」
と自分で言ってくる。

確かに可愛いものもあるが、親が思うほど他人は子供のヘン顔まで「愛嬌がある」と好意的には見れないわけで・・・。
というか、正直、過去に遡ってまで見たいほどその子に興味がないのだ。(目の前にいるし)
でも、そうは言えないから、とにかく機械的に「カワイイ」と言うしかない。
これは別に私が冷たい人間だからではないと思う。
夫でも「カワイイ」か「これどこ?」しか言わない。(撮影場所を聞く)
そんなもんでしょー!

不思議なもので、姪っこ(姉の子)は、わがままでもある程度、心からかわいいと思えたのだが、夫のほうの甥っこにはたいして感情が動かない。
目の前にいれば、それなりにかわいいとは思うが、離れている時間に思い出して可愛かったなーとか思うことはまずない。
これが「血」というやつか?
いや、でも、それこそ全く血のつながりのない友達の子はかわいいと思えるので、これは何なんだろうなぁ。
結局、親に好意を持っているかどうかが、子供にも影響するということか。

さて、朝6時半。
今日もまた長くて早い1日が始まる。