今月中旬、私の運転する車にて、家族で道東方面を旅行してきました。
今回は2泊3日の旅行で、1泊目は帯広駅前で、2泊目はサロマ湖畔のホテルでそれぞれ宿泊したのですが、折角の機会なので、北見やサロマ湖の周辺で静態保存されている蒸気機関車なども見学してきました。
上の地図は、サロマ湖を中心とした、この辺り一帯の鉄道路線図ですが、地図中の青色の路線は、既に廃線となっており現存しておりません(黒色の路線は、JR北海道の路線として現存しています)。今では鉄道空白地帯のこの辺りも、かつてはこれだけの路線があったのです。
ちなみに、上の地図はこのままだと小さくて見辛いと思いますが、クリックすると拡大されますので、是非拡大の上、御覧になって下さい。
ちなみに、オホーツク海と直結しているこのサロマ湖は、琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で3番目に面積が広い湖(北海道内では最も広い湖)で、汽水湖(海と繋がっていて海水と淡水が混じり合っている湖)としては、日本最大の湖でもあります。
以下の写真3枚は、北見市中心部に近接している住宅街にある三治公園で保存されている、D50形蒸気機関車です。
全国各地で広く保存されているD51形とは違って、一般にはあまり目にする機会が少ない機関車で、今回は旅行2日目のお昼過ぎ頃に見学してきました。
今月2歳になったばかりの息子は、以前から乗り物関係が大好きですが、恐らくはいつも見ているアニメ「きかんしゃトーマス」の影響なのでしょうけれど乗り物の中でも特に蒸気機関車が大好きです。そのため、この機関車の前では息子も大いに喜んでいました(笑)。トーマスに登場する機関車達の中では、日本のD51形がモデルの「ヒロ」に姿が似ていますしね。
ちなみに、今回の旅行で私達が見学した他の鉄道車両は、いずれも旅行前に場所を調べて地図等で確認してから見に行きましたが、この機関車については、事前に全く調べてはおらず、車を運転中、たまたま車窓から蒸気機関車の姿が見えたため、急遽立ち寄って見学してきました。
以下の写真4枚は、サロマ湖の隣に位置しサロマ湖同様にオホーツク海と直結している能取湖の湖岸にある、卯原内交通公園(網走市)で保存されている、9600形蒸気機関車と、その機関車と連結された状態になっている旧型客車のオハ47です。
この公園は、昭和62年に全線が廃線となった国鉄 湧網線の卯原内駅跡に、廃線の翌年に開設された公園で、ここは旅行2日目の夕方頃、ホテルにチェックインする直前に見学してきました。
ちなみに、下の写真は、私が所有している、Nゲージ(マイクロエース製)の9600形蒸気機関車です。卯原内交通公園に保存されている9600形とは細部がやや異なっていますが、これも北海道仕様車で、こちらの模型は二ツ目(前照灯2灯)タイプとなっています。
以下の写真5枚は、国鉄 湧網線の計呂地駅跡に、平成元年に整備された計呂地交通公園(紋別郡湧別町)で、ホームに横付けする形で保存されている、C58形蒸気機関車と、その機関車と連結された状態になっている旧型客車2両(スハ45とオハ62)です。
ここは、旅行3日目の午前中、見学してきました。
このC58形は、C57、C59、C62などと共に、私が個人的に特に好きな形式の蒸気機関車でもあります。そういえば、先日私が初めて購入したHO鉄道模型の蒸気機関車も、C58でした(笑)。
ちなみに、湧網線は、中湧別駅(当時の上湧別町)で名寄本線から分岐して、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走駅(網走市)に至る、全長89.8kmの長大路線でした。
今回の旅行では、その路線の一部区間と並行している道路を車で走ったり、かつての駅跡を散策するなどしましたが、正直なところ、失礼ながら私としては「よくこんな何もない所に鉄道を敷設したもんだなぁ」と思ってしまいました。もっとも、それはあくまでも現代の感覚であり、当然、最盛期の頃はそれなりに利用されていた路線だったのでしょう。
そもそも、戦前の北海道に於ける、長距離移動をする際の交通機関は、客貨問わずほぼ鉄道か船かの選択肢しかなく(内陸部への移動なら、実質鉄道一択)、今のようにマイカー、長距離バス、長距離トラック、航空機などが普及していたわけではありませんから、人が少なからず住んでいる以上、ここに鉄道を建設するのは、当時の感覚では恐らく必然だったのでしょう。
湧網線は、オホーツク海、サロマ湖、能取湖などに面した区間も多いため、海岸や湖岸で水揚げした海産物の輸送という役割も、きっと担っていた事でしょう。
なお、今回の記事では取り上げませんでしたが、この度の旅行では、平成18年に全線が廃線となった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の旧陸別駅(現在はりくべつ鉄道として同駅構内でディーゼル車両を動態保存中)も、見学してきました。
旧陸別駅も、私にとってはいずれまた再訪してみたいスポットです。
今回は2泊3日の旅行で、1泊目は帯広駅前で、2泊目はサロマ湖畔のホテルでそれぞれ宿泊したのですが、折角の機会なので、北見やサロマ湖の周辺で静態保存されている蒸気機関車なども見学してきました。
上の地図は、サロマ湖を中心とした、この辺り一帯の鉄道路線図ですが、地図中の青色の路線は、既に廃線となっており現存しておりません(黒色の路線は、JR北海道の路線として現存しています)。今では鉄道空白地帯のこの辺りも、かつてはこれだけの路線があったのです。
ちなみに、上の地図はこのままだと小さくて見辛いと思いますが、クリックすると拡大されますので、是非拡大の上、御覧になって下さい。
ちなみに、オホーツク海と直結しているこのサロマ湖は、琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で3番目に面積が広い湖(北海道内では最も広い湖)で、汽水湖(海と繋がっていて海水と淡水が混じり合っている湖)としては、日本最大の湖でもあります。
以下の写真3枚は、北見市中心部に近接している住宅街にある三治公園で保存されている、D50形蒸気機関車です。
全国各地で広く保存されているD51形とは違って、一般にはあまり目にする機会が少ない機関車で、今回は旅行2日目のお昼過ぎ頃に見学してきました。
今月2歳になったばかりの息子は、以前から乗り物関係が大好きですが、恐らくはいつも見ているアニメ「きかんしゃトーマス」の影響なのでしょうけれど乗り物の中でも特に蒸気機関車が大好きです。そのため、この機関車の前では息子も大いに喜んでいました(笑)。トーマスに登場する機関車達の中では、日本のD51形がモデルの「ヒロ」に姿が似ていますしね。
ちなみに、今回の旅行で私達が見学した他の鉄道車両は、いずれも旅行前に場所を調べて地図等で確認してから見に行きましたが、この機関車については、事前に全く調べてはおらず、車を運転中、たまたま車窓から蒸気機関車の姿が見えたため、急遽立ち寄って見学してきました。
以下の写真4枚は、サロマ湖の隣に位置しサロマ湖同様にオホーツク海と直結している能取湖の湖岸にある、卯原内交通公園(網走市)で保存されている、9600形蒸気機関車と、その機関車と連結された状態になっている旧型客車のオハ47です。
この公園は、昭和62年に全線が廃線となった国鉄 湧網線の卯原内駅跡に、廃線の翌年に開設された公園で、ここは旅行2日目の夕方頃、ホテルにチェックインする直前に見学してきました。
ちなみに、下の写真は、私が所有している、Nゲージ(マイクロエース製)の9600形蒸気機関車です。卯原内交通公園に保存されている9600形とは細部がやや異なっていますが、これも北海道仕様車で、こちらの模型は二ツ目(前照灯2灯)タイプとなっています。
以下の写真5枚は、国鉄 湧網線の計呂地駅跡に、平成元年に整備された計呂地交通公園(紋別郡湧別町)で、ホームに横付けする形で保存されている、C58形蒸気機関車と、その機関車と連結された状態になっている旧型客車2両(スハ45とオハ62)です。
ここは、旅行3日目の午前中、見学してきました。
このC58形は、C57、C59、C62などと共に、私が個人的に特に好きな形式の蒸気機関車でもあります。そういえば、先日私が初めて購入したHO鉄道模型の蒸気機関車も、C58でした(笑)。
ちなみに、湧網線は、中湧別駅(当時の上湧別町)で名寄本線から分岐して、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走駅(網走市)に至る、全長89.8kmの長大路線でした。
今回の旅行では、その路線の一部区間と並行している道路を車で走ったり、かつての駅跡を散策するなどしましたが、正直なところ、失礼ながら私としては「よくこんな何もない所に鉄道を敷設したもんだなぁ」と思ってしまいました。もっとも、それはあくまでも現代の感覚であり、当然、最盛期の頃はそれなりに利用されていた路線だったのでしょう。
そもそも、戦前の北海道に於ける、長距離移動をする際の交通機関は、客貨問わずほぼ鉄道か船かの選択肢しかなく(内陸部への移動なら、実質鉄道一択)、今のようにマイカー、長距離バス、長距離トラック、航空機などが普及していたわけではありませんから、人が少なからず住んでいる以上、ここに鉄道を建設するのは、当時の感覚では恐らく必然だったのでしょう。
湧網線は、オホーツク海、サロマ湖、能取湖などに面した区間も多いため、海岸や湖岸で水揚げした海産物の輸送という役割も、きっと担っていた事でしょう。
なお、今回の記事では取り上げませんでしたが、この度の旅行では、平成18年に全線が廃線となった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の旧陸別駅(現在はりくべつ鉄道として同駅構内でディーゼル車両を動態保存中)も、見学してきました。
旧陸別駅も、私にとってはいずれまた再訪してみたいスポットです。