北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

京都と尼崎での“国鉄最後”の瞬間

2010年06月26日 | JR
政府が100%出資する公共企業体(公社)として昭和24年6月に発足した「日本国有鉄道」は、鉄道での旅客輸送・物流を担う立場から、戦後の復興期や高度経済成長期の日本を支え、日本経済の発展や国民生活の向上などに多大な貢献をしてきましたが、昭和62年3月31日、分割民営化施行によりついに“最後の日”を迎え、その日をもって国鉄は約40年(戦前の鉄道省時代も含めると115年)の歴史に幕を閉じました。
そして、日付が変わった翌4月1日の午前0時、国鉄の事業を継承したJR各社が発足し、現在に至ります。

下の写真は、先日私が札幌市内の鉄道部品専門店で購入した、実車に使用されていた鉄製の「日本国有鉄道」のプレートです。当時はこのプレートを付けた国鉄の車両が全国各地を走っていました。
ちなみに、この写真では大きさの比較対照のため、プレートの前にNゲージの鉄道模型一両(トミックス製C57-135号機)を置いてみました。



国鉄の終焉・JRの誕生から既に20年以上が経ちましたが、国鉄が廃止されたその日のことは、私は今でもよく覚えています。
当時はテレビ番組でも、国鉄が廃止されJRが発足する話題は特集としてよく放送されていましたし、国鉄が廃止されるその瞬間(4月1日午前0時)には各地でカウントダウンの行事が行われるなどし、鉄道ファンであるか否かに関係なく、末期の国鉄は全国的に関心を集めていました。

当時まだ子供だった私の場合、国鉄が最後を迎える瞬間は、テレビの特番を見ながら迎えました。
北海道では、当時の小樽築港機関区でカウントダウンが行われ、国鉄北海道総局が昭和61年に初めて造りあげたジョイフルトレイン「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」や、その翌年に完成した当時最新鋭のジョイフルトレイン「フラノ・エクスプレス」、そして、静態保存機の状態から本線を営業運転できる状態に復旧するため整備中だった「C62-3号機」など、当時の北海道の鉄道を象徴する車両達が一堂に集結する中、午前0時の“その時”を迎えたのです。
ちなみに、“その時”は私個人にとっても、丁度小学校から中学校へ進学するという、人生における一つの節目の時でした。

下に貼付の動画は、先日、動画共有サービスの「YouTube」で見つけた、「国鉄最後の日」の特番の一部です。私はこの動画を見て、国鉄最後の日の事をとても懐かしく思い出し、今回のこの記事を書くに至りました。
京都の梅小路運転区で“その時”を迎える様子がアップされており、なかなか感動的です。改めて、また梅小路に行ってみたくなりました(笑)。



この動画には、『懐かしい、感動!郷愁を感じる。政府の一機関が単に無くなるだけの話だが、国民にこれほど別れの感動を与えた役所は他には見当たらないのでは。郵政民営化で泣いた国民はいるのか?? 』というコメントが付けられていましたが、確かに、国鉄の他にも日本電信電話公社、日本専売公社、日本道路公団など民営化された機関はいろいろとありましたが、全国各地でカウントダウンが行われるほどその終焉が惜しまれたり、その継承機関の誕生が期待されたりしたという事例は、国鉄・JR以外にはありませんでした。
そう考えると、国鉄は、鉄道でヒトやモノを運ぶための単なる一機関ではなく、明らかにそれ以上の意味や価値を持っていたと言えます。
今も昔も、列車や駅では、世間一般には知れ渡ることのない数多のドラマが繰り広げられ、そして、そこでは多くの人達の人生や運命が交差している、と言っても言い過ぎではないですよね。

下の動画は、西鹿児島(現・鹿児島中央)に向けて尼崎市内を走行中の寝台特急「はやぶさ」車内で迎えた“その時”の様子です。
寝台車の中ということもあり、こちらでは特に目立った動きはなく、静かな雰囲気の中で、国鉄「はやぶさ」からJR「はやぶさ」へと変わりました。

[[youtube:G-W5-rcspxU]]

ちなみに、上の動画の中でも触れられているように、国鉄が分割民営化されたことにより、鉄道公安官も、各都道府県警察の鉄道警察隊へと移行されました。最近の子供達は、多分もう、鉄道公安官なんて聞いたこともないんでしょうね(笑)。

中之島駅

2010年06月11日 | 京阪(中之島線関係)
中之島線の起点駅(京阪全線の中では最も西に位置する駅)である、大阪市北区中之島にある中之島駅は、平成20年10月の中之島線営業開始と共に開業した、島式ホーム1面3線の地下駅です。
中之島線が開業してから私もこの駅は何度か利用しましたが、「全体的にとてもきれいな駅だな」「地下駅にしてはなかなか凝ったデザインの駅だな」という印象を持ちました。
中之島駅は、京阪の駅の中では、特に私が好きな駅のうちの一つといえます。

ただ、ターミナル駅の割には駅構内がやや閑散とし過ぎているような印象も受けました(あまり人がいなかったです)。もう少し利用者が増えてくれるといいんですけどね…。
ちなみに、直結はされていませんが、中之島駅は阪神本線の福島駅とは徒歩5分程度の距離なので、阪神本線の電車との乗り換えが可能です。



▲ 中之島駅を含む中之島線の4駅と、中之島線開業に合わせてデビューした京阪3000系電車は、デザイン的に大変優れているとの評価を得て、財団法人日本産業デザイン振興会から「2009年度グッドデザイン賞」を受賞しました。
3000系電車の「2009年 ローレル賞」受賞と共に、京阪にとっては明るいニュースとなりました。



▲ 中之島駅の地上部出入口。
この出入口は最も西に位置する、堂島大橋最寄りの1番出入口です。中之島駅は「大阪国際会議場」という副駅名を持っていますが、その大阪国際会議場の最寄り出入口は2番です。





▲ 1番線(上段)と2番線(下段)それぞれの終端部。
1番線・2番線共に、車止めの先には、中之島線の建設工事で実際に使用されたシールドマシンのカッターの一部がモニュメントとして保存・展示されています。
中之島線は将来、中之島駅から更に西へ延伸し、西九条を経て新桜島へ到達する計画があるのですが、今にも動き出してそのまま地中を掘り進んでいきそうな感じのこのシールドマシンカッターのモニュメントは、将来この駅から始まるであろう延伸工事を示唆しているようにも感じられます。
なお、ホーム壁面には、中之島線全体の象徴である「木」が使用されています。



▲ 島式ホームの一部が切り欠き状となっている部分に設けられた3番線です。
この3番ホームは原則として平日のラッシュ時のみ使用され、それ以外の時間帯は閉鎖されており、私がこの写真を撮影した時(早朝)は、御覧のように青いテープで閉鎖されていました。



▲ 2番線に停車中の3000系電車の車内から撮った、ホーム壁面に掲げられていた中之島駅の駅名板です。

ラッシュ前の早朝だったとはいえ、結局、この電車が動き出した時に、この車両に乗っていた乗客は私一人だけでした。
中之島駅全体の閑散とした雰囲気は、同駅が開業しても、今まで通り淀屋橋駅が京阪の大阪におけるターミナル駅の地位を保っているという現状を意味しているのかもしれません…。

阪急9000系のホッチキス

2010年06月02日 | 鉄道関連グッズ
いつ購入したのかは忘れましたが、昨年だったか一昨年だったか、関西を旅行した際に、阪急のサービスセンターで阪急9000系の形をしたホッチキスを買ってきました。
今まではパッケージから開封もせずにずっと家で保管していたのですが、実際に使用するため、先月からは、開封した上で職場の自分の机の上に置いています。





改めて言うまでもなく、私が職場で使うホッチキスが阪急電車の形である必然性はまるで無く、なぜ阪急電車のホッチキスを自分の机の上に常備しているのかというと、それは間違いなく、私の趣味以外の何ものでもありません(笑)。
小豆色とかチョコレート色ともいわれている、阪急電車の上品なマルーン塗装は、私の心を癒してくれるのです。

…今度は京阪8000系の置時計を職場に持っていこうかな(笑)。