北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

大阪府北部で大規模な地震が発生しました

2018年06月20日 | 鉄道事故・災害
大阪府北部地震で被災されました皆様方に心よりお見舞い申し上げます


丁度朝の通勤・通学の時間帯であった、一昨日(6月18日)の午前7時58分頃、皆様方も連日の報道で御存知のように、大阪府北部を震源とするマグニチュード6.1の大地震が発生しました。
具体的には、大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市の大阪府内5市区で震度6弱が、京都市中京区・京都市伏見区・京都市西京区・亀岡市・長岡京市・八幡市など京都府内6市区を含む18の市区町村で震度5強が観測された他、近畿地方を中心に、関東地方から九州地方の一部にかけての広い地域で震度6弱~1の揺れが観測されました。



この地震により、大変残念な事に、倒壊した壁に挟まれたり倒壊したブロック塀に頭を打つなどして、大阪府内で5人の死亡が確認され、また、地震による負傷者は2府5県で435人(うち重傷者は17人)に及びました。





阪神淡路大震災東日本大震災の規模に匹敵する程の未曾有の被害が確認されていない事や、東日本大震災の時のような津波や原子力事故等が発生していない事は、辛うじて“不幸中の幸い”と言えるかもしれませんが、それでも、非常に激しい揺れだった事には違いなく、報道番組で放送されていた現地の人達へのインタビューなどから察すると、ほぼ同じ場所(阪神地区など)で阪神淡路大震災を経験した人達の多くは、やはり、23年前の同震災の激しい揺れやそれに伴う火災などが頭を過ったそうです…。

ちなみに、私が十数年前に2年間だけ暮らしていた京都府八幡市は、震度5強の揺れが観測され、同市に鎮座する石清水八幡宮では、社殿などに大きな被害は無かったものの「石燈籠全壊9基、石燈籠半壊2基、石燈籠擬宝珠落下32基」という被害が発生したと報告されています。


この度の大阪府北部地震は、勿論、関西圏の鉄道にも大きな影響を及ぼしました。
関西圏の鉄道の多くは、地震発生と共に運転を取り止め、東海道新幹線や山陽新幹線はその日のお昼過ぎ頃には運転を再開しましたが、JRの在来線の大半は、その日は運休し、そのため多くの帰宅困難者が発生し、新淀川大橋は一時、徒歩で帰宅する人達で埋まるなどしました。







ただ、鉄道の施設や車両への被害は少なく、関西圏の私鉄の多くは、地震発生当日のお昼過ぎから夜にかけて運転を再開し、JRの在来線も、翌19日朝の始発からは運転を再開させました。
上空に設備があるため復旧に時間を要する事となった大阪モノレールなどの一部を除き、関西圏の鉄道の大部分は、地震発生の翌日には、ほぼ平常の運行に戻る事が出来たのです。

とはいえ、鉄道の施設に全く被害が無かったというわけではなく、阪急京都本線の茨木市駅ではホームの電光掲示板が落下し、同線の大山崎駅と水無瀬駅ではホームやエレベーター出口付近にひび割れが発生し、阪急千里線の南千里駅でもホームの一部が損傷するなどしました。




それにしても、関西で大地震が起こったと聞くと、先ず思い返されるのは、平成17年1月17日の午前5時46分に発生した、あの阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)です。
あの地震が発生した時は、政府や国の機関が直接被災地域の情報を収集する手段はまだ整備されておらず、そのため、政府や関係機関の初動は大変遅く、それが後日、「救える命も救えなかった!」「人災だ!」などと指摘されて大きな問題となりました。

当時の村山首相は午前6時から放送されたテレビのニュース番組を見て、初めて関西で大地震が発生した事を知り、災害対策の所管官庁とされていた国土庁から首相への初報はそれから更に1時間半も経った7時30分頃で、その初報を受けた後も村山首相は、通常国会への対応や予定通りの公務をこなし、地震発生から4時間14分も経った午前10時に、漸く、政府として初めて非常災害対策本部を設置する事を決めました。
自衛隊も、地震発生数分後に、崩落した阪急伊丹駅へ自衛隊法第八十三条三項に基づいて「近傍派遣」(災害派遣)を行った陸自の第36普通科連隊を除き、被害が甚大だった神戸市中心部への災害派遣は直ちには行われませんでした。

これらの致命的な失敗への反省から、後に制度が大きく改められ、それに加え、政府や各関係機関も阪神淡路大震災後に発生したいくつもの大規模災害で着々と経験を積んできた事から、今回の地震では、阪神淡路大震災に比べると各関係機関の初動の早さには雲泥の差が見られました。
総務省消防庁や法務省は、大阪府北部地震発生と同時刻に直ちに対策部署を設置し、首相官邸・自衛隊・警察庁・海上保安庁・厚生労働省なども地震発生の僅か2分後には対策部署を設置し、その他のほとんどの政府機関(総務種・内閣府・農林水産省・環境省・文部科学省・金融庁など)も、地震発生から30分以内には対策本部等を開設し、必要な行動を迅速に開始しました。

現場への具体的な出動としては、午前8時台には京都府消防と大阪市消防のヘリコプターが情報収集のためそれぞれ出動しており、自衛隊も、地震が発生してから20分以内には、ヘリコプターや戦闘機などを情報収集のため現地に出動させています。
航空機の事情に詳しい人はよく分かると思いますが、戦闘機などの航空機が、これ程の短時間に全ての準備を整えて離陸出来るのは、とても凄い事です。
また、午前10時05分には、陸自第36普通科連隊のFAST-Force(人員約30名)が駐屯地を出発し、特に揺れの激しかった高槻市へと向かいました。ちなみに、FAST-Force(ファスト・フォース)というのは、国内で発生する様々な自然災害などに常時即応出来る態勢で待機している、自衛隊の初動対処部隊の事です。






勿論、阪神淡路大震災に比べて被害が少なかった要因は、こういった関係機関の初動の早さによるものだけではなく、同震災の後に建てられた全ての建物に於いて耐震構造が大幅に強化された事や、各家庭や個人でも予め家具を固定するなどの有効な地震対策を行っていた事、鉄道をはじめとする各公共交通機関でも地震発生を想定したシミュレーションや訓練を事前に行っていた事なども挙げられます。
実際には、今回の地震に於いても、駅に多くの人が滞留したり、鉄道車両の中に長時間閉じ込められるなどの混乱は発生しておりますが、それでも、過去の震災や災害ではもっと大きな混乱が生じていたので、混乱は可能な限り最小限に抑えられたと思います。

やはり、阪神淡路大震災での数々の失敗や失態は、国・地域・家庭・個人・会社をはじめとする社会全体で貴重な教訓として今に活かされているのだなという事を、別の表現に言い換えるなら、阪神淡路大震災での尊い犠牲は決して無意味・無駄ではなかったのだという事を、今回の地震では実感・再認識しました。


最後に、今回の地震で亡くなられた方々の御霊(みたま)の安寧を、そして、現在被災地で行われている救助活動・支援活動等が迅速に進みます事を、これ以上被害が拡大する事無く被災地が一日も早く復旧・復興されます事を、心よりお祈り申し上げます。
また、現地もしくは後方で、今も精力的な活動をされている消防・自衛隊・警察・自治体・医療機関・赤十字・その他関係者の皆様方には、心から敬意を表します。