北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

SLの復活運転

2009年01月29日 | 蒸気機関車
今回は、関西圏の鉄道に限定した話ではなく恐縮ですが(まぁいつものことですが・笑)、久々にSLについて書かせていただきます。

一昨年4月29日の記事ではSLを静態保存する自治体・団体等に対して、昨年8月6日の記事ではSLを見学をする人や写真撮影をする人のマナーについて、それぞれ苦言を呈させていただきましたが、今日は、SLを運転する事業者に対しての(苦言という程ではないですが)意見を紹介させていただきます。
以下は、昨年の秋頃に私が読んだ、鉄道ジャーナリストの川島冷三さんが著された『私の電車史 昭和30年代の関西私鉄から最新鉄道事情まで』という本(PHP文庫)からの転載です。私にとっては「なるほど…」と頷かされた文章でした。

SLといえばD51が代名詞のようになっているが、D51は貨物専用機であり、客車を専門に牽引するものではない。それに当時の非電化区間では腐るほど走り回っていた。「またD51か」とそっぽを向く人もたくさんいたのである。
そんな話を若い鉄道マニアにすると、その当時生まれていればよかったと言われることがある。鉄道趣味には懐古趣味という分野も強い。しかしあまり懐古的になると、鉄道が交通機関であるということが忘れられてしまい、たんなるノスタルジーに終わってしまう。これでは鉄道が将来にわたって利用される乗り物と考えられなくなり、逆に鉄道の発展を阻害しかねない。

各地で最近、蒸気列車が復活したりしているが、たんなるイベント的に走らせるのはどうかと思う。
それが過去の蒸気列車を再現して、昔はこうだったというものであれば、まだ後世に伝えるということで意味はある。
九州の裾野に走っている「あそBOY」なるSL列車は過去の再現ではなく、日本で走ったことのない、西部劇に出てくるような客車を牽引している。私自身は西部劇の列車が好きだからいいとしても、文化的にはまったく意味のない列車である。本当に西部劇に出てくる列車を再現するなら、完全に検証して細部まで本物に近いものをつくるべきで、「あそBOY」はエセでしかない。それに、そもそも阿蘇に本当に似合うとは思えない。ただ、カウボーイ姿をした名物車掌氏はこの列車に似合っている。

また、JR山口線を走るSL「やまぐち」号も、牽引される客車が冷房車というのもおかしいし、昭和風、大正風、明治風、そして欧風に改造しているものの、なんともチグハグである。乗っても歴史を感じることはなく、かえってその趣味の悪さに気味が悪くなる。
客寄せパンダでいいのだろうか。こういう列車は歴史を愚弄しているように思う。しっかりと当時の雰囲気を出すべきである。

その点、最初に保存蒸気列車を走らせ、今でもほぼ毎日運転をしている大井川鉄道は、客車もほぼ当時のまま、ほとんど手を加えずに走らせている。冷房がなく、石炭の臭いが客室内に入り汽車の煙が目に滲みなければ、蒸気列車に乗った意味がないのではないか。昔そのままの蒸気列車に乗るなら、大井川鉄道をお勧めしたい。


現役引退後、北海道小樽市の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)で静態保存されていたC62-3号機は、昭和62年、JR北海道の苗穂工場に回送されて徹底的な修繕と動態復元を施され、翌63年、同機は奇跡的に動態保存機として復活し、同年から平成7年までの約7年間、函館本線の小樽~倶知安間や小樽~ニセコ間などで「SLニセコ号」として復活運転を行いました。
結局、走行に必要な費用や全般検査費用の確保が困難になったことから、残念ながら平成7年を以って同機の運転は中止され、現在は静態保存機に戻って苗穂工場の構内で保存されているのですが、復活運転が行われていた当時、私はその「SLニセコ号」に父と共に乗ったことがあります。

当時の私は高校1年生くらいだったと思いますが、窓を閉めて走っていたにも拘らず、(目に見える程ではありませんが)客室内が何とか煙っぽかったのが今でも印象に残っています。
そして、車内で鼻をかんだ時、普段はそんな汚いことはまずしませんが(笑)、その時は「もしや」と思って、鼻をかんだ後にそのティッシュを開いてみたところ、やはり煤を少し吸っていたらしくティッシュの中身は何となく黒っぽくなっていました。
微量の煙や煤を浴びてSL特有の香りを五感で感じるというのは、SLに牽引される列車に乗った者だけが体感できる、電車やディーゼルカーでは決して味わえない醍醐味であり感動といえます。もっとも、現実にはそれを不快に思う人も少なくはないと思いますが(笑)。

なお、3号機は静態保存機に戻ってしまいましたが、C62-2号機は、現在、京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存されているため、梅小路へ行けば、同機が汽笛とドラフト音を響かせながら勇ましく走行する様子が今でも見られます。
しかし、2号機は梅小路蒸気機関車館の構内線で「SLスチーム号」として運転されているのみで、構内から出てかつてのように本線上で運転されることはありません。
C62は、元々特急・急行の牽引を目的に製造された大型の旅客用SLであり、短い期間とはいえ3号機が、現役時代に走った函館本線を復活運転したように、2号機もいずれは本線上を勇ましく走ってもらいたいですね。

ニュートラム 南港ポートタウン線

2009年01月19日 | 特殊軌道
日本最初の新交通システムは、平成18年5月24日の記事平成20年6月27日の記事で紹介させていただいた神戸新交通のポートアイランド線(ポートライナー)ですが、そのポートアイランド線の開通から1ヶ月後に開業した、国内では2番目に古い歴史を誇る新交通システムが、今日の記事で紹介させていただく大阪市交通局の新交通システム「ニュートラム」の南港ポートタウン線です。





ニュートラムは、大阪湾の埋立地である大阪南港(住宅団地ポートタウンやフェリーターミナルなど)への交通手段として中量輸送システムの検討をしていた大阪市が、新たな交通システムに注目し導入を決めたもので、先に開業していた神戸のポートアイランド線と各種構造はよく似ていますが、分岐方式などはポートアイランド線よりも簡単な構造のものを採用しており、その後に登場する新交通システムのお手本となった路線としても知られています。

上に貼付の写真2枚が、今から6年程前に南港ポートタウン線(但し、後述しますが当時は南港ポートタウン線ではなくニュートラムテクノポート線でした)のトレードセンター前駅の近辺から撮影した、同線の車両100A系です。
この100A系は、開業当初から走っていた100系(現在は全車が廃車)のマイナーチェンジ版で、100系の車体は鋼鉄製でしたが、同線は海風がよく当たり車体の腐食が心配されていた事から、100A系の車体はステンレス製となっています。

同線の起点は、大阪市交通局・地下鉄四つ橋線の南側の終端駅である住之江公園駅で、昭和56年に、まずはここから6.6km先の中ふ頭駅まで開通し、当初は乗務員が添乗していましたが平成3年からは無人自動運転を開始し、そして平成9年に、中ふ頭駅から1.3km先のコスモスクエア駅まで路線が延伸され、全長7.9km(全10駅、所要時間約17分)の現在の路線が完成しました。
現在、朝のラッシュ時は2分30秒間隔、昼間帯は6分間隔で運転されており、緊急時や乗務員の運転訓練時以外は、原則として全列車がATO(自動列車運転装置)とATC(自動列車制御装置)による無人自動運転で運行されています。
ホームは全駅が島式ホーム1面2線の構造で、列車は、開業以来2両1ユニットの4両編成で運転されていますが、各駅のホームは、6両編成での運行が可能な長さ(50m)が確保されています。

なお、平成9年に延伸された中ふ頭~コスモスクエア間は、大阪市交通局の南港ポートタウン線としてではなく、大阪市などが出資する第3セクターのOTS(大阪港トランスポートシステム)の路線「ニュートラムテクノポート線」として開業し(同線にはトレードセンター前駅という中間駅も開設されました)、そのため同区間の開業時は、中ふ頭駅を境として大阪市交通局とOTSの車両がそれぞれ相互乗り入れをするという形を採って住之江公園~コスモスクエア間の直通運転が行われていました。
しかし、大阪市交通局とOTSでは運賃体系異なっていた事から、中ふ頭駅を跨いで乗車すると通算運賃が割高となってしまい、利用者数が開業当初の見込みより大きく低迷する事態を招いていました。

このため平成17年、OTSは第一種鉄道事業者(鉄道施設を所有し車両の運転も自前で行う)から第三種鉄道事業者(鉄道施設は所有するが車両は所有せず、運転は他社に任せる)となって路線を大阪市に貸与し、ニュートラムテクノポート線は南港ポートタウン線に編入されました。
そのため現在は、ニュートラムの全区間(住之江公園駅~コスモスクエア間)が南港ポートタウン線と呼称・表示されています。

ちなみに、コスモスクエア駅では、大阪市交通局・中央線の西側の終端駅である、同名のコスモスクエア駅とも接続していることから、現在の南港ポートタウン線の両終端駅は、それぞれ別の地下鉄の終端駅と接続しています。
このため、大阪の鉄道路線図(正確な尺度・距離ではなく簡略化されたもの)を見ると、一応路線毎に違う色で表示はされているものの南港ポートタウン線・四つ橋線・中央線はまるで一つの環状線を描いているかのように見えなくもありませんが、鉄輪軌道の地下鉄とゴムタイヤ走行のニュートラムは全く異なる構造のシステムなので、勿論これら3線の相互乗り入れ運転などは行われていません。

とはいえ、南港ポートタウン線の両終端駅はそれぞれ地下鉄路線と改札内での乗り換えが可能で、ニュートラムテクノポート線がOTSから大阪市交通局に移管されて以降は運賃も地下鉄と一体計算されるようになったため、現在の南港ポートタウン線は、実質的には大阪市営地下鉄の1路線のような扱いとなっています。

鞍馬駅

2009年01月07日 | 嵐電・叡電
新年の御挨拶がすっかり遅れてしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しく御願い致します!

さて、平成21年の第1回目となる今回の記事は、「近畿の駅百選」にも選出されたことのある、叡山電鉄の「鞍馬駅」についてです。
この駅は、私にとっては京都に滞在していた頃僅か2~3回しか利用したことのない駅ですが、しかし、重層入母屋屋根の風情のあるその和風駅舎(下の写真参照)や、牛若丸・鞍馬天狗などの伝説で有名な鞍馬寺の門前町としての駅周辺の趣のある雰囲気は、今でもとても印象に残っています。



叡山電鉄は、出町柳~八瀬比叡山口を結ぶ5.6kmの叡山本線と、その叡山本線の中間駅である宝ヶ池から分岐・北上して鞍馬まで延びる鞍馬線8.8kmの2線から成っており、そのため叡山電鉄には、叡山本線・鞍馬線双方の電車が発着する京都市街地側のターミナル・出町柳駅(同駅は京阪鴨東線の出町柳駅とも地下の連絡通路で結ばれています)と、叡山本線の終点・八瀬比叡山口駅(ここから約200m歩くと叡山ケーブルのケーブル八瀬駅があり、比叡山山頂方面へと向かうことができます)、鞍馬線の終点・鞍馬駅の3つの終端駅があり、鞍馬駅はその終端駅のうちの一つです。

なお、出町柳駅の写真は平成18年6月22日の記事に、八瀬比叡山口駅の写真は平成19年5月26日の記事平成20年12月17日の記事の記事にそれぞれ掲載しておりますので御参照下さい。

昭和4年に建てられた鞍馬駅の駅舎は、写真のように神社仏閣型の和風木造建築で、京都は名立たる神社仏閣が多いにも拘らず実はそれらを模した駅舎は意外に少ないため、京都ではこのような形の駅舎は珍しい部類に入ります(全然古都らしくない、未来的なデザインのJR京都駅を筆頭に、京都は駅舎に関しては革新的な土地柄なのです)。

駅としての構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅(下の写真参照)で、出入口は分離されており、出入口共に自動改札機が設置されています。



早朝・深夜以外は駅員が配置されており、駅員が配されている時間内は、出町柳からの電車が発着し(出町柳~鞍馬間の所要時間は約30分です)、乗客が乗車・下車する時間帯以外は入口の改札機前にロープが張られホームに入場することはできなくなっています。
なお、駅員が無人の時間帯は駅舎は閉鎖され、乗客は駅舎内を通らずに直接外からホームに出入りします。

下の写真は、鞍馬駅構内に停車中のデオ900型で、この電車は平成10年に「第38回ローレル賞」を授章している叡電の傑作車で、一般には「きらら」の愛称で親しまれています。



駅舎の傍らには、鞍馬寺を象徴する巨大な天狗のオブジェと、旧型電車デナ21の先頭部と動輪が展示されており、また、駅から100m程歩くと鞍馬寺の山門(仁王門)があるのですが、この山門からは、日本で唯一宗教法人(鞍馬寺)が経営する地方鉄道として知られている、山門~多宝塔間200mの距離を途中行き違いなしに走る日本一短いケーブルカーが走っています。