今回は、関西圏の鉄道に限定した話ではなく恐縮ですが(まぁいつものことですが・笑)、久々にSLについて書かせていただきます。
一昨年4月29日の記事ではSLを静態保存する自治体・団体等に対して、昨年8月6日の記事ではSLを見学をする人や写真撮影をする人のマナーについて、それぞれ苦言を呈させていただきましたが、今日は、SLを運転する事業者に対しての(苦言という程ではないですが)意見を紹介させていただきます。
以下は、昨年の秋頃に私が読んだ、鉄道ジャーナリストの川島冷三さんが著された『私の電車史 昭和30年代の関西私鉄から最新鉄道事情まで』という本(PHP文庫)からの転載です。私にとっては「なるほど…」と頷かされた文章でした。
『SLといえばD51が代名詞のようになっているが、D51は貨物専用機であり、客車を専門に牽引するものではない。それに当時の非電化区間では腐るほど走り回っていた。「またD51か」とそっぽを向く人もたくさんいたのである。
そんな話を若い鉄道マニアにすると、その当時生まれていればよかったと言われることがある。鉄道趣味には懐古趣味という分野も強い。しかしあまり懐古的になると、鉄道が交通機関であるということが忘れられてしまい、たんなるノスタルジーに終わってしまう。これでは鉄道が将来にわたって利用される乗り物と考えられなくなり、逆に鉄道の発展を阻害しかねない。
各地で最近、蒸気列車が復活したりしているが、たんなるイベント的に走らせるのはどうかと思う。
それが過去の蒸気列車を再現して、昔はこうだったというものであれば、まだ後世に伝えるということで意味はある。
九州の裾野に走っている「あそBOY」なるSL列車は過去の再現ではなく、日本で走ったことのない、西部劇に出てくるような客車を牽引している。私自身は西部劇の列車が好きだからいいとしても、文化的にはまったく意味のない列車である。本当に西部劇に出てくる列車を再現するなら、完全に検証して細部まで本物に近いものをつくるべきで、「あそBOY」はエセでしかない。それに、そもそも阿蘇に本当に似合うとは思えない。ただ、カウボーイ姿をした名物車掌氏はこの列車に似合っている。
また、JR山口線を走るSL「やまぐち」号も、牽引される客車が冷房車というのもおかしいし、昭和風、大正風、明治風、そして欧風に改造しているものの、なんともチグハグである。乗っても歴史を感じることはなく、かえってその趣味の悪さに気味が悪くなる。
客寄せパンダでいいのだろうか。こういう列車は歴史を愚弄しているように思う。しっかりと当時の雰囲気を出すべきである。
その点、最初に保存蒸気列車を走らせ、今でもほぼ毎日運転をしている大井川鉄道は、客車もほぼ当時のまま、ほとんど手を加えずに走らせている。冷房がなく、石炭の臭いが客室内に入り汽車の煙が目に滲みなければ、蒸気列車に乗った意味がないのではないか。昔そのままの蒸気列車に乗るなら、大井川鉄道をお勧めしたい。』
現役引退後、北海道小樽市の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)で静態保存されていたC62-3号機は、昭和62年、JR北海道の苗穂工場に回送されて徹底的な修繕と動態復元を施され、翌63年、同機は奇跡的に動態保存機として復活し、同年から平成7年までの約7年間、函館本線の小樽~倶知安間や小樽~ニセコ間などで「SLニセコ号」として復活運転を行いました。
結局、走行に必要な費用や全般検査費用の確保が困難になったことから、残念ながら平成7年を以って同機の運転は中止され、現在は静態保存機に戻って苗穂工場の構内で保存されているのですが、復活運転が行われていた当時、私はその「SLニセコ号」に父と共に乗ったことがあります。
当時の私は高校1年生くらいだったと思いますが、窓を閉めて走っていたにも拘らず、(目に見える程ではありませんが)客室内が何とか煙っぽかったのが今でも印象に残っています。
そして、車内で鼻をかんだ時、普段はそんな汚いことはまずしませんが(笑)、その時は「もしや」と思って、鼻をかんだ後にそのティッシュを開いてみたところ、やはり煤を少し吸っていたらしくティッシュの中身は何となく黒っぽくなっていました。
微量の煙や煤を浴びてSL特有の香りを五感で感じるというのは、SLに牽引される列車に乗った者だけが体感できる、電車やディーゼルカーでは決して味わえない醍醐味であり感動といえます。もっとも、現実にはそれを不快に思う人も少なくはないと思いますが(笑)。
なお、3号機は静態保存機に戻ってしまいましたが、C62-2号機は、現在、京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存されているため、梅小路へ行けば、同機が汽笛とドラフト音を響かせながら勇ましく走行する様子が今でも見られます。
しかし、2号機は梅小路蒸気機関車館の構内線で「SLスチーム号」として運転されているのみで、構内から出てかつてのように本線上で運転されることはありません。
C62は、元々特急・急行の牽引を目的に製造された大型の旅客用SLであり、短い期間とはいえ3号機が、現役時代に走った函館本線を復活運転したように、2号機もいずれは本線上を勇ましく走ってもらいたいですね。
一昨年4月29日の記事ではSLを静態保存する自治体・団体等に対して、昨年8月6日の記事ではSLを見学をする人や写真撮影をする人のマナーについて、それぞれ苦言を呈させていただきましたが、今日は、SLを運転する事業者に対しての(苦言という程ではないですが)意見を紹介させていただきます。
以下は、昨年の秋頃に私が読んだ、鉄道ジャーナリストの川島冷三さんが著された『私の電車史 昭和30年代の関西私鉄から最新鉄道事情まで』という本(PHP文庫)からの転載です。私にとっては「なるほど…」と頷かされた文章でした。
『SLといえばD51が代名詞のようになっているが、D51は貨物専用機であり、客車を専門に牽引するものではない。それに当時の非電化区間では腐るほど走り回っていた。「またD51か」とそっぽを向く人もたくさんいたのである。
そんな話を若い鉄道マニアにすると、その当時生まれていればよかったと言われることがある。鉄道趣味には懐古趣味という分野も強い。しかしあまり懐古的になると、鉄道が交通機関であるということが忘れられてしまい、たんなるノスタルジーに終わってしまう。これでは鉄道が将来にわたって利用される乗り物と考えられなくなり、逆に鉄道の発展を阻害しかねない。
各地で最近、蒸気列車が復活したりしているが、たんなるイベント的に走らせるのはどうかと思う。
それが過去の蒸気列車を再現して、昔はこうだったというものであれば、まだ後世に伝えるということで意味はある。
九州の裾野に走っている「あそBOY」なるSL列車は過去の再現ではなく、日本で走ったことのない、西部劇に出てくるような客車を牽引している。私自身は西部劇の列車が好きだからいいとしても、文化的にはまったく意味のない列車である。本当に西部劇に出てくる列車を再現するなら、完全に検証して細部まで本物に近いものをつくるべきで、「あそBOY」はエセでしかない。それに、そもそも阿蘇に本当に似合うとは思えない。ただ、カウボーイ姿をした名物車掌氏はこの列車に似合っている。
また、JR山口線を走るSL「やまぐち」号も、牽引される客車が冷房車というのもおかしいし、昭和風、大正風、明治風、そして欧風に改造しているものの、なんともチグハグである。乗っても歴史を感じることはなく、かえってその趣味の悪さに気味が悪くなる。
客寄せパンダでいいのだろうか。こういう列車は歴史を愚弄しているように思う。しっかりと当時の雰囲気を出すべきである。
その点、最初に保存蒸気列車を走らせ、今でもほぼ毎日運転をしている大井川鉄道は、客車もほぼ当時のまま、ほとんど手を加えずに走らせている。冷房がなく、石炭の臭いが客室内に入り汽車の煙が目に滲みなければ、蒸気列車に乗った意味がないのではないか。昔そのままの蒸気列車に乗るなら、大井川鉄道をお勧めしたい。』
現役引退後、北海道小樽市の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)で静態保存されていたC62-3号機は、昭和62年、JR北海道の苗穂工場に回送されて徹底的な修繕と動態復元を施され、翌63年、同機は奇跡的に動態保存機として復活し、同年から平成7年までの約7年間、函館本線の小樽~倶知安間や小樽~ニセコ間などで「SLニセコ号」として復活運転を行いました。
結局、走行に必要な費用や全般検査費用の確保が困難になったことから、残念ながら平成7年を以って同機の運転は中止され、現在は静態保存機に戻って苗穂工場の構内で保存されているのですが、復活運転が行われていた当時、私はその「SLニセコ号」に父と共に乗ったことがあります。
当時の私は高校1年生くらいだったと思いますが、窓を閉めて走っていたにも拘らず、(目に見える程ではありませんが)客室内が何とか煙っぽかったのが今でも印象に残っています。
そして、車内で鼻をかんだ時、普段はそんな汚いことはまずしませんが(笑)、その時は「もしや」と思って、鼻をかんだ後にそのティッシュを開いてみたところ、やはり煤を少し吸っていたらしくティッシュの中身は何となく黒っぽくなっていました。
微量の煙や煤を浴びてSL特有の香りを五感で感じるというのは、SLに牽引される列車に乗った者だけが体感できる、電車やディーゼルカーでは決して味わえない醍醐味であり感動といえます。もっとも、現実にはそれを不快に思う人も少なくはないと思いますが(笑)。
なお、3号機は静態保存機に戻ってしまいましたが、C62-2号機は、現在、京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存されているため、梅小路へ行けば、同機が汽笛とドラフト音を響かせながら勇ましく走行する様子が今でも見られます。
しかし、2号機は梅小路蒸気機関車館の構内線で「SLスチーム号」として運転されているのみで、構内から出てかつてのように本線上で運転されることはありません。
C62は、元々特急・急行の牽引を目的に製造された大型の旅客用SLであり、短い期間とはいえ3号機が、現役時代に走った函館本線を復活運転したように、2号機もいずれは本線上を勇ましく走ってもらいたいですね。