北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

満鉄あじあ号USBメモリ

2010年04月28日 | 鉄道関連グッズ
「日本鉄道旅行地図帳 -歴史編成-」(新潮社)の刊行を記念して、新潮オンラインショップから、満鉄あじあ号のオリジナルグッズ「満鉄あじあ号USBメモリ」が限定発売され、関西圏の鉄道とは全く関係のないグッズではありますが、満鉄も大好きな私としてはやはりこれを無視することができず(笑)、早速購入しました。



戦前の満洲の大地を駆け抜けた流線型のパシナ型機関車「982」を再現したUSBメモリで、全長は約11cm(実車の全長は約25.7m)、容量は2GBです。
機関部とテンダー部が分離する構造になっており、機関部がUSBメモリ本体、テンダー部が端子のフタになっています。
窓付きの立派なメタルケースに入っており、実際に使うのが惜しいくらいです(笑)。





京阪は今日、開業100周年を迎えました!

2010年04月15日 | 京阪(京阪線系統)


明治43年4月15日、大阪の天満橋と京都の五条(現在の清水五条)との間(約46km)で京阪電車が営業を開始してから、今日で丁度100年が経ちました。
現在、京阪ではグループ各社で京阪電車開業100周年関連の記念事業を展開中ですが、今日は中之島線・中之島駅のホームで、午前9時丁度に発車する開業100周年記念列車(記念ヘッドマークを装着した出町柳行き快速急行の3000系電車)の発車式が行われ、京阪の上田成之助社長や「おけいはん」の日向千歩さんなども参加し、参加者全員で京阪の開業100周年を盛大にお祝いしたそうです。

北海道人の私が、それまで全く馴染みのなかった関西(京都府八幡市)に引っ越し、初めて京阪電車に乗ったのは、今から8年前のことで、その後2年間、私はほぼ毎日、京阪の丸太町(現在の神宮丸太町)~八幡市男山山上のルートを利用しました。
寝屋川車庫で開催される「ファミリーレールフェア」に2年連続で行ったことや、男山山上駅の駅舎内にあるケーブルの運転室と動力室を特別に見学させていただいたことなども印象に残っていますし、また、私は一度だけ、列車内で定期券を落としてしまったことがあったのですが、その時は、私が乗っていた電車はその後すぐに車庫へと回送されたため、車庫に戻ってきた列車の中で京阪の社員さんが私の定期券をすぐに見つけて下さりその日のうちに無事に私の手元へと戻ってきたことも、今となってはいい思い出です。
そして私は、札幌に帰って来た今でも、ずっと京阪にハマっております(笑)。

現在の私は京阪沿線とはかなりかけ離れた札幌に住んでいますが、京阪の一ファンとして、今後も京阪電車を応援させていただきます。
開業100周年、おめでとうございます!



上の写真は、開業当時の京阪電車の様子で、当時の京阪電車は天満橋と五条の間を100分で結んでいました。

いつもピカピカ!

2010年04月07日 | 阪急(京都線系統)
私は、平成20年9月29日の記事で、JTBキャンブックス『大手私鉄比較探見 西日本編』(広岡友紀著、JTBパブリッシング刊)という本を紹介させていただきましたが、その記事では、同書から以下の文言を転載させていただきました。

阪急は車両を含めて全ての面において日本一の私鉄である。これが私の実感だ。車体に周囲の風景がまるで鏡にように反射するが、新旧の別なく全ての車両がそうである。この例は他社に見当たらない。

私は今年の2月、神戸で阪急電車に乗ってきたのですが、その時、新開地駅で停車する阪急電車の車体を見つめながら、同著で書かれていた著者のこの文言を改めて思い返しました。
私も、阪急電車を見ると確かにその度に、「それにしても阪急電車の車体はいつもピカピカでキレイだなぁ。もし阪急電車のキット(鉄道模型)を作るとしたら、完成度の高さの決め手となるのは、やはり塗装だな。マルーンを噴いた後は光沢スプレーも噴かないと、恐らく実車通りの仕上がりにはならないだろうな…」といつも思ってはいたのですが、ホームからまじまじと実車を見つめると、私が今まで思っていた以上に車体がピカピカであることに気付き、今更ながらちょっと驚きました。
…気付くの遅過ぎでしょうか?(笑)

まるで鏡を見ているかのように私自身の姿がはっきりと映って見え、駅構内の様子も鮮明に映し出されていたので、「これは凄い…。さすが阪急!」と改めて思いました。







ちなみに、マイクロエースから最近発売されたNゲージ鉄道模型「阪急9300系」の場合は、クリアーを噴いて光沢を出しているわけではなく、同じ色を3~4回噴いて所謂“重ね塗り”をすることで、あの阪急マルーンを再現しているそうです。

びわこ号、40年ぶりに復活決定!

2010年04月01日 | 京阪(京阪線系統)
京阪は先月25日、寝屋川車両工場で静態保存している60形車両、通称「びわこ号」を、40年ぶりに走行可能な状態に復元すると発表しました。エイプリルフールの日にこういう記事を書くと何だかウソ臭いですが、これは本当のニュースです(笑)。
下の写真が、今から8年程前に私が寝屋川車両工場で撮影してきた、その60形車両です。



60形は、大阪の天満橋と滋賀の浜大津の間を72分で結ぶ特急として昭和9年に運行を開始した、丸みを帯びた流線型スタイルの車両で、現在は線路が分断され繋がっていない京阪本線と京津線を直通し(三条駅が地上駅だった頃は同駅構内で両線は繋がっていました)、浜大津では琵琶湖を航行する船と連絡していたことなどから、一般には「びわこ号」の愛称で親しまれていました。
また、この車両は日本初の連節車(2両の車体の間を1つの台車で支える構造)としても知られていました。京津線には半径の小さなカーブがあるため走行できる車両の幅や長さに制限があり、京阪本線から従来の車両による直通乗り入れ難しかったため、東山や逢坂の山越えなどの急勾配や急カーブに対応するため連接構造が採用されたのです。

それ以外にも、鉄道規格の京阪本線と軌道(路面電車)規格の京津線を直通するため、高さの異なる両線それぞれのホームに対応するよう大きさの異なる乗降口扉が2種類設置されたり、屋根の上には京阪本線用のパンタグラフと京津線用のポールの2種の集電装置が装備されるなど、60形はかなり際立った特徴のある車両でしたが、昭和45年には現役を引退し、昭和55年からは「ひらかたパーク」に、平成12年からは寝屋川車両工場で静態保存されていました。
ちなみに、昨年は経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。



今回発表された、この60形の復活プロジェクトは、今年開業100周年を迎える京阪の沿線価値向上をめざす取り組みと、来年市制施行60年を迎える寝屋川市の「まち」のイメージアップ戦略がほぼ一致することから、京阪と寝屋川市の両者が連携してスタートさせるもので、まずは動力部を製造したり必要な車両部品を集めるなどして寝屋川車両工場や同車庫敷地内での走行を目指し、その後、5年以内にイベント列車などとして京阪本線での走行を目指すとしています。

京阪線系統と大津線系統は線路が繋がっていないので、陸送でもしない限りこれは実現不可能なことですが、個人的な“夢”を言えば、京阪本線だけではなく、京津線や石山坂本線でも60形が走る姿を是非見てみたいです。
琵琶湖沿岸の大津線系統の線路で走るほうが、より「びわこ号」らしい気がするので。