北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

近鉄22000系 ACE

2008年07月29日 | 近鉄
「ACE」(Advanced Common Express = 一歩進んだ全線対応の特急車両を意味する)の愛称を持つ近鉄22000系は、オレンジ色の塗色にブルーの帯という近鉄伝統の特急カラーを踏襲しつつ、車体の断面は従来車よりも大型化、窓は連続窓化され、側扉は従来の二枚折り戸からプラグ式に変更されて密閉性が高められ、また、先頭車の前面は3次曲面を取り入れた温かみのあるデザインとなっており(グッドデザイン賞も受賞しています)、伝統と未来的なフォルムが融合した、実にスマートな車体の電車です。
実はこの電車(22000系)も、私は個人的に結構好きなのです(笑)。

下の写真は、今年の2月、宇治山田~近鉄四日市まで特急を利用した際に、宇治山田駅のホームで撮影した22000系で、その時はこの電車(近鉄名古屋行き)に乗って四日市まで移動しました。



先に登場した21000系(アーバンライナー)が名阪間を疾走する近鉄の“シンボル特急”であるのに対し、22000系は、21000系のように路線を限定せずに近鉄の各線で活躍する“近鉄ネットワークの主力”として、また、老朽化した特急電車10400系や11400系の置き換えとして、130㎞/h運転に備えて平成4年に登場した特急型電車です。
旅客需要に応じて編成長を組み替えることができるよう、4両編成と2両編成の2種の基本編成があり(いずれも全車電動車)、途中駅での分割・併合が考慮されていて、また、他形式の車両と併結して貫通幌も使用できるようになっているなど、汎用性の高い車両になっています。

走行機器では、近鉄特急車としては初となるVVVFインバータ制御(三菱電機製)及びボルスタレス台車(KD-304形)の採用、高速運転に対応したディスクブレーキとユニットブレーキの併用、滑走防止装置の採用など、登場時における最新技術が盛り込まれています。

座席の転換は、近鉄伝統の背起こし式からペダル式へと変更されており、リクライニングの駆動方式もメカ式から油圧式になっています。テーブルはひじ掛けの蓋を開けて引き出す方式です。
また、座席幅も従来車より広げられ、シートピッチ(座席前後の間隔)は1mあります。

なお、標準軌(大阪・名古屋線系、奈良・京都線系)仕様の本形式22000系と、平成8年に登場したその狭軌(南大阪線系)仕様の16400系の愛称は、共に「ACE」ですが、その読み方については「エー・シー・イー」と「エース」の2種の読み方があり、近鉄監修の書籍や映像作品などでもその両社の読み方が混在していることから、公式にもその読み方は統一されていないようです。

Nゲージの鉄道模型では、22000系はグリーンマックスから4両基本セット(18,900円)、2両基本セット(13,650円)、動力車なしの2両増結セット(9,450円)の3種がぞれぞれ製品化・販売されています。
ちなみに、私が保有しているNゲージの車両は、小学生の頃親から誕生日プレゼントとして買って貰ったトミックス製の電気機関車EF65と24系寝台客車数両のみで、いずれは、関西圏の私鉄車両を中心にいろいろな形式を買い揃えたいなと思ってはいるのですが、ただ、一度車両を買い集め出すと「もっと揃えたい!」という思いが更に強くなり結果的にかなりの出費を強いられそうで、それがちょっと怖くて(たまに数百円のBトレインショーティーの車両を買う程度で)Nゲージには未だ本格的には手を出せずにいます(笑)。

京阪電車 枚方脱線事故

2008年07月25日 | 鉄道事故・災害
関西の私鉄の市街地地平区間は(最近は関西の私鉄に限らず全国的にそうなっていますが)、線路と道路(歩道)を遮るフェンスが特に高くなっていたり、そのフェンスの上に有刺鉄線が張り巡らされていたりと、一般の人が線路には入れないよう厳重にガードされています。
それは勿論安全対策のためなのですが、今日は、そういった安全対策が本格的に施されるきっかけとなった、京阪本線での事故を紹介させていただきます。この事故をきっかけに、その部分6kmに厳重なフェンスが設置されて、それが各社にも波及していったのです。



その事故は、今から約28年前の昭和55年2月20日に起こりました。
午後8時30分頃、淀屋橋発・京都方面行き(どこの駅まで行く予定の列車だったのかは分かりません)の急行(5000系電車)が、定刻通り淀屋橋駅を発車し、8時50分頃、枚方市駅に到着しました。
夜のラッシュは終わったとはいえ、帰宅を急ぐ会社員などで座席は満席で、車内では立っている人も多くいたそうです。

そして、凡そ1000人の乗客を乗せたその急行が枚方市駅を出て、枚方市駅~御殿山駅間のカーブ(大阪府枚方市磯島茶屋町)に差し掛かった午後8時55分頃、突然先頭車の車体が2~3度跳ね上がり、その直後、先頭車がレールから脱線し、7両編成の電車は脱線しながらそのまま100m程走り続けて、線路脇の鉄柱をなぎ倒して民家の離れや家屋の一部を壊しながらやっと止まり、2両目の車体はその衝撃で横転しました。
脱線・転覆事故でした(但し3両目より後ろの車両は脱線しなかったようです)。

特に強い衝撃を受けた1~2両目の車体では多くの窓ガラスが割れ、車内で折り重なるように倒れた乗客達にそのガラスの破片が襲い掛かった事で車内の床や壁は血で染まり、最終的には乗客104人が重軽傷を負いました。
唯一の救いは、これだけの大惨事にも拘わらず死者は1人も出なかった事です。

事故現場では直ちに消防による救出作業が始まると同時に、大阪府警による脱線の事故調査が行われました。
「線路脇から逃げる少年達の姿が目に入り、その直後に何かに乗り上げて脱線した」という電車の運転手の証言や、脱線現場から見つかった砕け散った石などから、置石による脱線の可能性が濃厚となり、警察は現場から逃げた少年達と事故の関連性について慎重に捜査を始めました。
そして事故の翌日、5人の男子中学生達が「面白半分でやった」と置石を認めて警察に出頭し、補導されたのです。

少年達の供述によると、その日の午後7時過ぎ、少年達は5人で遊んでいるうちに「何か面白い事はないか?」という話になり、誰かが「線路に石を置いてみないか!?」と言い出した事がきっかけとなって、少年達は京阪本線のフェンスを乗り越えて線路の中に侵入し、レールの上にこぶし大の石を置いて線路脇で電車が来るのを待っていたのだそうです。
そして、間もなくやって来た電車はレールの上に置かれたそれらの置石(1個ではなく複数だったようです)に乗り上げて左側の車輪が脱線し、線路を外れたまま走り続け大勢の怪我人を出す事故になったのです。
大惨事を起こした5人の少年達は、全く予期していなかった電車の脱線・転覆という事態に驚いてその場から逃走したものの、良心の呵責から事故の翌日、レールの上に石を置いた事を中学校の教師に打ち明け、中学校側はすぐに警察に連絡して、5人は警察に補導されたのです。

この置石による脱線・転覆事故をきっかけに、京阪をはじめ各鉄道会社では、線路脇のフェンスをより高くして有刺鉄線を施したり、人が線路に入れないよう線路の高架化を進めたり、また、レール上の障害物をはねのける列車前面の排障器を大きくするなど、今まで以上に厳重な安全対策を講じるようになりました。

ところで、この事故では、5人の中学生とその保護者は、同年12月に京阪電鉄から1億円を超える損害賠償を求められ、その後の交渉で減額はされましたが、結局、一家族当たり840万円という高額な賠償金を支払うことになりました。
鉄道アナリストの川島令三さんによると、「当時の電車1両の値段は3000万円くらいなので、割ればそのくらい(840万円程度)の補償になる。でも現在であれば、電車は1億2000万円くらいするので、相当高額な賠償金を払わなくてはならないだろう」とのことです。

置石による重大事故は、最も重いもので死刑が科せられる「列車往来危険罪」に問われます。
レールの上に石を置くことは、単なる“出来心”や“イタズラ”では済まされない、多くの人命を奪うことも有りえる凶悪な犯罪行為なのです。

巨大なドームのような御堂筋線の3駅

2008年07月12日 | 地下鉄


大阪市営地下鉄・御堂筋線の淀屋橋駅、本町駅、心斎橋駅の3駅は、いずれも戦前に開業した古い地下駅でありながら、ホームの天井は吹き抜け空間のようにとても高く、まるで巨大なドームのような佇まいを見せています。
上の写真は、今年の5月に撮影した御堂筋線の淀屋橋駅ホーム(島式1面2線)です。かなり地価が高そうな都心部に位置する地下駅なのに、御覧のように天井が高いです!
ちなみに、同駅の北改札口は京阪電車の淀屋橋駅と連絡されています。

建設当時の御堂筋は幅の狭い道路で、現在のように主要な幹線道路ではなかったのですが、地下鉄を建設する際に地上の御堂筋も併せて整備を行うことになり、地上の道路と地下の線路が同時に建設されたため、地下空間はかなり自由な設計ができたようで、地下空間の圧迫感をなくすためにドーム式の大きな空間が造られたそうです。
これらの3駅は、いずれも開業時からの姿をそのまま保っており、3駅ともホームは10両編成の列車が楽に停まれる長さと広さがありますが、これも建設当時のままです。

札幌の地下鉄にはこのような広い空間を持つ駅はないので、個人的には、地下駅でありながらとても開放感のある御堂筋線の3駅は、ちょっと羨ましいですね。
もっとも、新交通システムでもないのにゴムタイヤで駆動する地下鉄車両や、冬季の雪対策のため高架区間は全線シェルターで覆われているなど、札幌の地下鉄でしか見られない新機軸や特徴もいろいろとありますけど!

上本町駅

2008年07月06日 | 近鉄
5月9日の記事でも書かせていただきましたが、私は今年の5月、初めて、大阪市天王寺区上本町6丁目にある近鉄大阪線・難波線の上本町駅を利用・見学してきました。

上本町駅は、元々は近鉄の前身である大阪電気軌道が、大阪と奈良とを結ぶ路線の大阪方のターミナルとして大正3年に開業させた駅で、当時は3面2線の、現在と比べるともっと小さな駅でした。
その後、何度かの大きな変遷を経て上本町駅は近鉄大阪線の大阪におけるターミナルとして発展・拡大を続け、昭和45年3月15日(大阪万博オープン当日)に、近鉄が長年の懸案としていた上本町から大阪の中心部・難波への路線延伸を実現させて以降は、同駅は難波駅へと続く難波線のホームがある地下部(相対式2面2線)と、同駅で行き止まりとなっている従来からの地上部(頭端式ホーム7面6線)との上下二層に分かれた構造の駅になっています。



東京でいえば、京王の新宿駅がこれに近い構造ですね。
京王新宿駅は、地下2階に自社線内列車の発着に使われる頭端式ホームがあり、地下5階に地下鉄と相互乗り入れをする列車が発着する島式ホームがあります。
ちなみに、北海道には上本町駅や京王新宿駅のような二層構造の駅はありません。

上本町駅は、地下3階に設けられた相対式ホームが難波線・大阪線共用のホームで、北側から1~2番線となっており、奈良線の電車や、難波と名古屋を結ぶ名阪特急(アーバンライナー)、大阪と伊勢を結ぶ阪伊特急の一部がここから発着しています。
一方、地上1階に位置する、大阪線専用のホームは北側から3~9番線となっていて、いずれも各線路の両側にホームのある頭端式(櫛形)構造となっているため、それぞれ乗降が分離されています(乗車用ホームと降車用ホームに分かれています)。
なお、一番南の8~9番線は原則として特急用です。
下の写真2枚は、いずれも地上ホームです。





上本町駅から難波駅へと延びる地下線(難波線)が開業して以降、近鉄大阪線の大阪方の終端駅としての機能は上本町駅から難波駅へと移りましたが、上本町駅は今でも、大阪における近鉄の“表玄関”の一つとして、ターミナルとしての機能を果たし続けています。
なお、上本町駅は来年、阪神なんば線の開業と同時に「大阪上本町駅」に改称される予定です。