北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

長岡天神駅で阪急電車ウォッチング

2013年12月04日 | 阪急(京都線系統)
先月中旬、私は2泊3日の旅程で京都・大阪方面を旅行し、3日目は京都(烏丸駅)から大阪(水無瀬駅)まで阪急京都本線の電車に乗って移動したのですが、その際に長岡天神駅で一旦下車して、同駅のホームから、引っ切り無しに同駅を発着する阪急電車を、短時間ながらもじっくりと見学・観察(ウォッチング)してきました。

一部の人からは小豆色とかババ色などと言われることもあるようですが(せめてチョコレート色と言ってほしいな・笑)、私にとっては、昔も今も変わらない落ち着いた“阪急マルーン”を全身にまとった阪急電車は高級感と清潔感、そして格調の高さが感じられ、見ているだけで心が安らぎます(笑)。









ちなみに、長岡天神駅は2面4線の地上駅(駅舎は橋上駅舎)で、駅名は、長岡天満宮の最寄駅であることに因ります。

阪急電車、映画化決定!

2010年08月04日 | 阪急(京都線系統)


平成20年8月19日の記事では、有川浩さん(高知県出身の女性小説家で大学時代に阪急今津線の沿線に下宿されていたそうです)が今津線を走る阪急電車や同線の駅・沿線などを舞台にした『阪急電車』というタイトルの小説を紹介させていただきましたが、昨日、東宝から、その『阪急電車』を映画化すると発表されました。

以下は、今日ネット上にアップされた、スポーツ報知の記事の転載です。

女優の中谷美紀(34)が、女性作家・有川浩(ひろ)さん原作の24万部のベストセラー小説を映画化した「阪急電車」(来年初夏公開)に主演することが3日、分かった。
兵庫県の宝塚駅から今津駅までを15分で結ぶ阪急今津線を舞台に、乗り合わせた乗客たちの人生を描いた群像劇。人気脚本家の岡田惠和氏がシナリオを担当する。中谷が演じるのは婚約中の恋人を後輩社員に奪われた“アラサーOL”。駄目な彼氏に振り回される女子大生は戸田恵梨香(21)に決まった。

撮影は今年12月から約1か月、オール関西ロケで行われるが、製作の東宝が阪急電鉄と同じ「阪急阪神東宝グループ」のため、実際の車両や駅を使って撮影。また、宝塚歌劇団のタカラジェンヌたちの、一瞬だけ登場するカメオ出演も予定されるなど、記念作品としてグループを挙げて盛り上げる。関西の大手私鉄として有名な阪急は「阪急マルーン」と呼ばれる独特のあずき色の車体で親しまれているが、改めて注目を集めることになりそうだ。

中谷にとっては2005年の「電車男」に続く“電車映画”となるが「同じ車両に乗り合わせた見知らぬ人も、人生の紆余(うよ)曲折に一喜一憂する人間であることに気付かせてくれるこの作品を、戸田恵梨香さんと一緒に演じられることを楽しみにしています」。一方、神戸出身の戸田は「阪急電車と聞いただけで親しみを感じました」。また、中谷のファンだったそうで「足を引っ張らないように、頑張りたい」と喜んでいる。

◆カメオ出演 … 人気俳優、歌手などの著名人や監督自身が一瞬だけ出演すること。米国のヒチコック監督が有名。遠くからでも瞬時に見分けがつくことから、装飾品のカメオに例えられたのが語源。

◆阪急今津線 … 兵庫県宝塚市の宝塚駅を起点として、兵庫県西宮市の今津駅を結ぶ9.3キロの路線。西宮北口駅を境に北(宝塚駅―西宮北口駅間)を今津北線、南(西宮北口駅―今津駅間)を今津南線と呼ぶことも。沿線には住宅地が広がり、阪神競馬場や関西学院大、神戸女学院大などもあり、通勤、通学の足になっている。


上記とほぼ同内容ですが、以下も、昨日配信された「YAHOO!ニュース」からの転載記事です。

中谷美紀と戸田恵梨香が初共演する映画『阪急電車』(2011年初夏公開予定)の製作が発表された。本作は兵庫県宝塚市の宝塚駅から西宮市の今津駅までを結ぶ、片道15分の阪急今津線を舞台に、偶然乗り合わせた全く繋がりのない人々が繰り広げる、思わず電車に乗りたくなるような心温まるヒューマンドラマ。

初共演となるふたりだが、中谷は婚約中の彼を後輩社員に盗られたアラサ―OL、戸田はダメダメな彼氏に振り回される女子大生という、最悪不幸なヒロインを演じる。
製作決定について中谷は「同じ車両に乗り合わせた見知らぬ人も、人生の紆余曲折に一喜一憂する人間であることに気付かせてくれるこの作品を、戸田恵里香さんと一緒に演じられることを楽しみにしています」とコメントし、また神戸出身の戸田は「“阪急電車”と聞いただけで親しみを感じました。台本を読んでいると、どことなく関西に戻っているような感覚になっていました。阪急電車は観る方、作品作りに携わるすべての方を作品の世界に自然と引き込んでいく力がある作品だと思います。子供の頃から中谷さんを夢見ていたので、共演させていただけることにとても興奮しています。中谷さんの足を引っ張らない様に、精一杯頑張りたいと思っています」と、意気込みを語った。

原作は“恋愛小説の女王”とも評される有川浩。第39回星雲賞日本長編部門を受賞した「図書館戦争」はアニメ化もされ、人気を博したが、実写映像化は本作が初となる。脚本は『いま、会いにゆきます』(04)の岡田惠和が担当する。
撮影は2010年12月にクランクイン、オール関西ロケを敢行。舞台となる阪急電鉄も撮影に全面的に協力を約束し、また地元宝塚ということから宝塚歌劇団の美女たちのカメオ出演も期待される。


この小説は私も大好きだったので、映画化決定は嬉しいです。しかも、阪急の全面タイアップとなるようなので、更に期待も高まります。
今回の映画化も、やはり阪急開業100周年の記念事業の一環なのでしょうね。公開されたら是非観に行きたいです!

いつもピカピカ!

2010年04月07日 | 阪急(京都線系統)
私は、平成20年9月29日の記事で、JTBキャンブックス『大手私鉄比較探見 西日本編』(広岡友紀著、JTBパブリッシング刊)という本を紹介させていただきましたが、その記事では、同書から以下の文言を転載させていただきました。

阪急は車両を含めて全ての面において日本一の私鉄である。これが私の実感だ。車体に周囲の風景がまるで鏡にように反射するが、新旧の別なく全ての車両がそうである。この例は他社に見当たらない。

私は今年の2月、神戸で阪急電車に乗ってきたのですが、その時、新開地駅で停車する阪急電車の車体を見つめながら、同著で書かれていた著者のこの文言を改めて思い返しました。
私も、阪急電車を見ると確かにその度に、「それにしても阪急電車の車体はいつもピカピカでキレイだなぁ。もし阪急電車のキット(鉄道模型)を作るとしたら、完成度の高さの決め手となるのは、やはり塗装だな。マルーンを噴いた後は光沢スプレーも噴かないと、恐らく実車通りの仕上がりにはならないだろうな…」といつも思ってはいたのですが、ホームからまじまじと実車を見つめると、私が今まで思っていた以上に車体がピカピカであることに気付き、今更ながらちょっと驚きました。
…気付くの遅過ぎでしょうか?(笑)

まるで鏡を見ているかのように私自身の姿がはっきりと映って見え、駅構内の様子も鮮明に映し出されていたので、「これは凄い…。さすが阪急!」と改めて思いました。







ちなみに、マイクロエースから最近発売されたNゲージ鉄道模型「阪急9300系」の場合は、クリアーを噴いて光沢を出しているわけではなく、同じ色を3~4回噴いて所謂“重ね塗り”をすることで、あの阪急マルーンを再現しているそうです。

号外・阪急電鉄開業100周年特集号

2010年03月20日 | 阪急(京都線系統)
阪急が開業100周年を迎えた今月10日の朝の通勤・通学時間帯に阪急の各駅で配布された、「阪急電鉄開業100周年特集号」と銘打った朝日新聞号外(広告号外)を入手しました。





この号外は全4面で、開業から現在に至るまでの阪急の100年の歴史、切符や制服の移り変わり、各駅長さんや利用者達の声、阪急電鉄社長挨拶、今月京都本線に開業したばかりの摂津市駅の特集記事などが載っており、なかなか見応えがありました。

来月は、京阪の各駅で、京阪の100周年記念号外が配られるのでしょうか?(笑)

京都線の女王 6300系、ついに引退

2010年02月28日 | 阪急(京都線系統)
阪急京都本線特急車2800系の後継車として昭和50年にデビューして以来35年間、京都本線で特急として運用されてきた8両編成の6300系電車が、今日を以て京都本線から引退します。



昨年2月7日の記事でも紹介させていただいたように、6300系は、平成15年から新型の特急車9300系との置き換えが順次進められていたのですが、今月でついに全11編成の置き換えが完了することになり、残念ながら8両編成の6300系は、今日を以て京都本線から引退することになるのです。
6300系は、阪急電車伝統のマルーンを基調としながらも、屋根部のアイボリー塗装やステンレス飾り帯等に象徴される斬新なデザインや、充実した車内設備などから、今でも根強い人気を誇る車両で、昭和51年には鉄道友の会より「ブルーリボン賞」も受賞しています。
下の写真は、今から7年程前に京都本線の高槻市駅のホームで撮影した、その6300系(左側の列車)です。



内装などに一部リニューアル工事が施された上で4両に短縮編成化されている、昨年から嵐山線で運用されている6300系は、今後も嵐山線で引き続き運用されるので、6300系そのものが現役から引退をするわけではありませんが、長年“京都線の女王”と称されてきた、特急としての6300系は、今日を以て見納めとなります。

阪急では、6300系運用による「特急」「通勤特急」の引退を記念して、今月の21日から末日(今日)まで、最後の6300系8両編成(6350×8両)に『SINCE 1975 6350×8R ありがとう』と描かれた引退記念ヘッドマーク(この記事の冒頭に貼付の図案)を掲出して引退記念運行を実施しており、最終運行日の今日は、別れを惜しむファン達で恐らく6300系の発着するホームは相当混雑するのではないかと思います。
6300系は種類の多い阪急電車の中でも特に人気のある電車でしたからね。

前回の記事で報告させていただいたように、山陽新幹線でも、今日を以て16両フル編成の500系「のぞみ」が引退することになっており、時代の流れとはいえ、何とも寂しいことです…。

下の写真は、昨年9月1日の記事からの再録で、これは昨年秋、神戸・京都・彦根方面を旅行した際に嵐山線の松尾駅で撮影した、4両に短縮編成化された6300系です。
今後も嵐山線では6300系を見ることができます。



四条河原町の阪急百貨店が閉店するそうです

2010年01月30日 | 阪急(京都線系統)
阪急阪神百貨店を傘下に置くエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは、今月28日、京都一の繁華街(下京区の四条河原町)に立地する百貨店「四条河原町阪急」を、今秋に閉店すると発表しました。

下の写真は、一昨年の8月に私が撮影した同店の全景で、昭和51年の開店以来、若者のための先進的ファッションを展開するお店として地元京都で親しまれてきたこの百貨店は、およそ34年の歴史に幕を閉じることになりました…。



百貨店事業を継続するのが困難と判断されたのは、一昨年秋のリーマン・ショック後の景気悪化、衣料品の低価格化、ユニクロなど専門店の台頭による“百貨店離れ”などにより、業績が著しく低迷しているためで、同店は、ピーク時のバブル期には年間171億円の売り上げがあったものの、昨年度の売り上げはその3分の1以下にまで落ち込み(50億円を下回っていたようです)、6年連続の営業赤字を見込むなど不振が続いていたそうです。

同店は、阪急京都本線のターミナル駅である河原町駅(一日の乗降人員は約7万人)に直結する好立地と、若者向けファッションの発信地として長年存在感を示してきましたが、消費不況の波は、東京の西武百貨店有楽町店(ここも先日閉店が発表されたばかりです)に続いて大都市の有力店舗を閉相次いで閉鎖に追い込んでしまいました…。

それにしても、今回の突然の閉店発表には、同店をよく利用する機会があっただけに私としてもかなり驚きました。
とはいっても、実は、私は同店で買い物をしたことはほとんど無いのですが、ただ、地下駅である河原町駅を利用する時は、その地上出口の一つが同店なわけですから店内を歩く機会は多く、また、同店は待ち合わせ場所としてもよく利用しており、毎年夏に京都で開催している飲み会(私が2年間在学していた京都の某養成機関の関係者懇親会)でも、例年、同店の玄関で他の出席者達と待ち合わせをしてきました(昨年は三条のお店で待ち合わせをしましたが)。

また、店内のトイレはいつもとても綺麗で、しかも、身障者用の大きな個室トイレは健常者にも常時開放していることから、私は、京都に旅行している際に着替える必要が生じた時(例えばスーツから私服に着替える時など)は、図々しくも同店のトイレをよく使わせて貰っていました。
あと、夏に京都を散策中、蚊に背中を何箇所も刺されて猛烈に痒くなり(薄着だと服の上からでも容赦なく刺してきます)、上半身裸になってウナコーワを塗る時にも、ここのトイレは使わせて貰ったことがあります(笑)。

しかし、今この文章を打ちながら改めて気が付いたのですが、ろくに買い物もしないで待ち合わせやトイレだけはちゃっかり利用させて貰うなんて、私は店側にとってはかなり迷惑なお客さんでしたね(笑)。
全く売上に貢献できずにスミマセンでした…。





上の写真2枚は、同店と地下で直結している河原町駅で過去に私が撮影した、同駅ホームに停車中の阪急電車(いずれも梅田行き)です。
上段の写真は平成18年7月に、下段の写真(ちょっとブレていますが)は平成21年3月にそれぞれ撮影しました。

淡路駅

2009年10月29日 | 阪急(京都線系統)
私は、阪急の京都本線(一般には単に京都線と称されています)を利用して京阪間を移動する時、時間のある時は淡路駅のホームで一旦降り、数分程度、同駅のホームから電車(同駅に乗り入れてくる大阪市交通局の電車も含む)を見学したりします。
実際には、時間のない時のほうが多いのでわざわざホームに降りて見学、というのはあまりしていないのですが(笑)、次々と引っ切り無しに淡路駅に滑り込んで来る京都本線や千里線の電車を眺めるのは、私にとっては楽しいことです。

淡路駅は、大阪市東淀川区東淡路4丁目にある、大正10年4月1日開業に開業した駅で、構造としては島式ホーム2面4線という、よくある形の地上駅なのですが、この駅の際立った特徴は、同駅を介して京都本線と千里線が同一平面で交差している点にあります。
具体的には下図のような構造になっており、そのため島式ホーム2面4線の駅に割には、駅構内は複雑な配線となっています。
ちなみに、河原町寄りの東西双方に改札口が設けられていて、両ホームは地下道で連絡しています。



京都本線と千里線は進行方向毎にホームを共有しているのですが、天神橋筋六丁目方面から入って来る千里線の列車は配線の構造上2号線には入れず(3号線にしか入線できません)、また、上図のように京都本線と千里線は駅構内で平面交差する配線となっているため同駅へは50km/h以下の速度で入線しなければならない等の制約があり、そのため同駅を通過する通勤特急はほぼ徐行運転の状態で待避列車を追い抜かなければならず、これが京都本線におけるダイヤ上の最大のネックになっています。
また、千里線の列車も、天神橋筋六丁目方面、北千里方面のいずれから進入する場合でも、早朝・深夜を除きほとんどの列車が京都本線の列車を待避するため駅手前で信号待ち停車を余儀なくされ、千里線でも京都本線同様に淡路駅の平面交差がダイヤ上の大きなネックになっています。

このため、京都本線と千里線のそれぞれのダイヤ作成は、まず淡路駅の制約条件から始まるといわれており、こういった不便さを解消するため同駅は高架化される事になっており、高架駅が完成すると京都本線と千里線は平面交差から立体交差に切り替わり、ホームも上下2段式(それぞれが島式ホーム1面2線)となり、かなりスッキリした配線になります。
とはいえ、淡路駅の高架完成予定は平成32年だそうですから、まだ当分の間、駅の構造は現状維持となりそうです。

ちなみに、淡路駅からはJR新大阪駅方面への路線分岐・延伸も考慮されていて、実際阪急は、淡路駅から新大阪駅に至る区間の鉄道事業免許を取得していたのですが、しかし阪急はこの免許を平成14年に失効させており、その後、地元住民からの要望を受けて阪急が運行を始めた淡路駅~新大阪駅間を結ぶバスも「利用者の増加が見込めない状況にある」として昨年3月に運行を終了していることから、現在では、淡路から新大阪への路線延伸の可能性は極めて低くなっています。




▲ 淡路駅の4号線・5号線ホームの端から、河原町方面(右側)と北千里方面(左側)を撮った写真です。平面交差の配線構造がよく分かるかと思います。
ちなみに、この写真(以下の写真も同様)は、昨年8月に関西を旅行した際に撮影したものです。




▲ 4号線・5号線ホームの端から、梅田方面(右側)と天神橋筋六丁目方面(左側)を撮った写真です。
天神橋筋六丁目方面に向っている電車の行き先字幕が「天神橋筋六丁目」ではなく「天下茶屋」となっているのは、この電車が、千里線終点の天神橋筋六丁目から大阪市営地下鉄の堺筋線に乗り入れて、堺筋線終点の天下茶屋まで運転されるからです。
阪急と大阪市交通局は、千里線と堺筋線で相互直通運転を行っているのです。




▲ 4号線に停車中の大阪市交通局66系(天下茶屋行き普通)と、5号線に停車中の阪急8300系(梅田行き特急)です。

阪急嵐山線から撤退した2300系

2009年04月08日 | 阪急(京都線系統)


~嵐山間を結ぶ4.1kmの阪急嵐山線(京都本線の支線で全線単線)では、今年の3月末まで、4両編成の2300系が活躍していました。上の写真が、嵐山駅にて撮影したその2300系です。
2300系は現在の阪急電車の基礎を築いた系列の一つで、昭和35年に登場し、翌36年には2000系とともに第1回鉄道友の会ローレル賞を受賞し、昭和42年までに78両が製造され、「特急」から「普通」まで幅広く使用されてきました。

しかし、2月7日の記事でも書かせていただいたように4月2日からは、リニューアルを施された京都線特急用の6300系(8両編成から4両編成に変更された6351F、6352F、6353Fの3編成)が嵐山線に投入され、それに伴い2300系は嵐山線から撤退しました。
7両編成の2300系は、現在でも京都本線や千里線などで「準急」もしくは「普通」として活躍しているので、2300系自体が無くなってしまったわけではありませんが、阪急現役最古参である2300系の独壇場だった嵐山線から姿を消してしまったのは、やはり淋しく感じます。

今月から嵐山線を走るようになった6300系は、昭和50年に京都本線の特急専用車として登場した系列ですが、「特急」として30年以上走り続けてきたため他の電車よりも痛みが激しく、現在、9300系への置き換えが順次進められており、その置き換えによって捻出された6300系の一部が、リニューアル(4両編成化、クロスシートを1列+2列に変更、クロスシートの内・扉付近をロングシート化、車椅子スペースの設置など)を施された上で今月から嵐山線用の「普通」に投入されているので、何十年か経つと、今度は9300系が4両編成化されて嵐山線に投入されるかもしれないですね。

8ヶ月間だけ新幹線の線路を走った阪急電車

2009年03月26日 | 阪急(京都線系統)
これは関西の鉄道ファンの間では割とよく知られている話なのですが、逆に関西圏以外の人にはほとんど知られていないような気がするので、今回は、阪急電車が開業前の東海道新幹線の線路を8ヶ月間走ったことがある、というエピソードを紹介させていただきます。

実際に現地を見ていただければ、もしくは地図を見ていただければすぐに分かりますが、阪急京都本線の、大阪府高槻市にある上牧(かんまき)駅の手前から京都府大山崎町に至るまでの区間約3.8kmは、東海道新幹線の路線と隣接して線路が敷設されており、しかも阪急の線路と新幹線の線路との間には簡易なフェンスが張られているだけで、大きな柵や塀などで仕切られていないため、阪急電車の車内からも新幹線の電車がよく見えます。
この区間の阪急京都本線は、東海道新幹線とは一体型の高架に見えるほど仲良く寄り添って走っており、両路線の間に仕切りのフェンスがなければ、同じ鉄道の複々線に見間違えてしまうほどです。

しかも、阪急と新幹線とでは軌間も同じため、もし線路が接続されていたとしたら、この区間だけ、阪急電車が新幹線の路線を走ることも不可能ではありません(但し架線の電圧は違いますが)。
現実問題として考えると、「阪急電車が新幹線を走るなんて、そんなバカなこと有り得ない」と誰もが考えてしまいそうですが、しかし昭和38年4月24日から同年12月28日までの約8ヵ月間、実際に阪急電車は、この区間だけ、隣接する新幹線の線路を走っていました。
東海道新幹線の開業は昭和39年10月ですから、新幹線開業約1年間の珍事でした。

京都と大阪を結ぶ交通路を建設する場合、両都市間には山地があることなどから、建設場所は事実上、天王山と男山とに挟まれた幅約2kmの狭い谷間に限られ、実際、現在京阪間を走っている東海道新幹線、JR東海道本線、阪急京都本線、京阪本線、国道171号、名神高速道路といった各交通の主要幹線は、いずれも束ねられるように近接してその狭い谷間を並行しています。
しかも、その谷間には近畿地方を代表する大河・淀川も流れているため、そこに新たな交通路を建設しようとすると、当然用地の確保には苦労が伴うことになります。

東京と大阪を結ぶ“夢の超特急”として建設が始まった東海道新幹線も、京都~大阪間の線路はやはりこの谷間に敷設されることになったのですが、用地難から建設場所の確保には難儀したようで、最終的には、当時阪急の京都本線が走ってた土地を譲ってもらい、そこに新幹線の路線を建設することになりました。
つまり、現在上牧から大山崎町辺りにかけて新幹線が走っている区間は、元々は阪急電車が走っていた場所だったのです。
このため阪急は、新幹線建設のために京都本線の線路をそのすぐ北側に移設しなければならなくなりましたが、しかし阪急としても、その頃丁度、その区間を高架化したいと考えていたことから、自社の線路を高架の新線に移設して新幹線に場所を譲ることに同意したのでした。

ところがその後の調査で、阪急の高架橋を先に造ってから新幹線の高架橋を造ると地盤沈下が生じることが判明し、そのため、まず先に新幹線の高架橋を建設し、続いて阪急の高架橋を建設する工事が行われることになりました。
しかしそうなると、問題となるのは、工事期間中、阪急電車をどこに走らせるかです。
そして協議の結果、阪急と新幹線とではたまたま軌間が全く同じだったことから、開業前の新幹線の線路を一時的に京都本線の列車に使用させることが決まったのです。

但し新幹線と阪急とでは架線の電圧は異なっていたため、その区間を阪急電車が走る期間だけ、新幹線の交流25,0000V・60Hz用に張られた架線には阪急用に直流1,500Vが流され、また、上牧・水無瀬・大山崎の各駅では木造の仮設ホームが新幹線の線路に沿って設置されたのでした。
こうして、僅か8ヶ月という短い期間とはいえ、阪急電車は東海道新幹線の線路を走ったのです。

なお、下の写真は、先週関西を旅行した際に、この記事にアップする写真を撮るためだけに下車した(笑)阪急京都本線上牧駅のホーム西端から撮影した、京都方面に向けて疾走する東海道新幹線N700系です。



そして下の写真は、上の写真を撮った所と同じ場所から撮影した阪急電車です。
この電車は河原町行きの特急で、阪急電車の中では特に私が個人的に好きな6300系です。



こうして両写真を見てみると、阪急電車と新幹線は、線路こそ違うものの、今でも同じ路盤を走っていることが分かり、その蜜月ぶりが実感できます。

阪急電車ウォッチング

2008年09月23日 | 阪急(京都線系統)
私は先月、2泊3日の日程で関西を旅行して来たのですが、3日目に阪急電車(京都本線)を利用して京都から大阪へと移動した際(乗車区間は大宮駅~梅田駅)、乗り換えや見学のため、・淡路・十三の3駅でそれぞれ一旦下車をしました(駅構内から外には出ませんでしたが)。
そしてその時、私はこれら3駅のホームから、引っ切り無しに駅を出発もしくは駅に到着する阪急電車を、短時間ながらもじっくりと見学・観察(ウォッチング)してきました。

阪急マルーン(黒系の割合がやや強い茶色で、小豆色、チョコレート色とも評されています)という昔からの伝統色を今も全車両が堅持している阪急電車は、最近全国各地で見られる派手な塗装の電車や車体全面に広告がラッピングされている電車に「これってなんだかなー」と思っている私にとっては、見ているだけで安心感や安らぎを与えてくれます(笑)。



上の写真は、京都本線と嵐山線の接続駅である桂駅で、京都本線用ホーム(4号線・5号線)から撮影した6300系と8300系です。
ちなみに、阪急の6300系は私が生まれた年にデビューをした電車で、私としては“同い年”として阪急電車の中では特に愛着のある電車です(笑)。





上の写真2枚は、いずれも京都本線と千里線の接続駅である淡路駅で撮影したものです。
この駅は、現在は島式2面4線の地上駅ですが、平成32年までには高架化される予定です。



上の電車は十三駅で撮影した3000系です。
同駅は、阪急線の中間駅の中では唯一神戸本線・宝塚本線・京都本線の3本線が接続している駅で、阪急の大阪方ターミナルである梅田駅(私鉄最大規模の駅)と共に、阪急線の中では中核を成している駅の一つです。

私の好きな漫画『銀河鉄道999』(松本零士著)には、トレーダー分岐点という、あらゆる空間軌道が一点に集まる宇宙の大分岐点が登場しますが、十三駅は、規模は異なるものの、さしずめ阪急のトレーダー分岐点とでも言うべき駅かもしれません(笑)。