北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

近鉄23000系 伊勢志摩ライナー

2012年03月31日 | 近鉄
先月、研修で三重県の伊勢方面へ行った際、五十鈴川~近鉄名古屋間で、私は初めて「近鉄23000系 伊勢志摩ライナー」に乗ってきました。近鉄の電車には今まで何回も乗っていますが、23000系に乗車する機会だけは、今までなかなか無かったのです。
といわけで今回は、この機会に何枚か写真も撮ってきたので、その23000系を紹介させていただきます。





「近鉄23000系 伊勢志摩ライナー」は、平成6年4月に伊勢志摩リゾートの拠点「志摩スペイン村」がオープンするのに合わせ、リゾート感覚にあふれたアクセス用シンボルカーとして平成5~7年にかけて6編成が製造された、6両固定編成の特急形車両です。
制御方式は、22000系に引き続きVVVFインバータが採用され、日本の大手私鉄では初めて最高速度130km/hでの運転を可能としましたが、22000系が全電動車方式であるのに対し、この23000系は、固定編成であることや製造コストの面から、両先頭車はモーターなしとなっています(つまり、6両のうち両先頭車を除く4両がモーター車です)。

“楽しい雰囲気空間”などをコンセプトに開発された車両は、1~4号車がレギュラーカー、5号車がサロンカー、6号車がデラックスカーとなっており、1・6号車の先頭部は、非貫通・スラントノーズのスピード感あふれる流線形のデザインになっています。
外観塗色は、伊勢志摩の明るく豊かな太陽光線にちなんだサンシャインイエローが、清潔感あふれるクリスタルホワイトの車体に配され、リゾート特急らしいインパクトのあるものになっています。

下の写真3枚は、いずれも、先頭車両の乗務員室後部に設置されているパノラマデッキで撮影したもので、このデッキには、腰をかけることができる簡易ベンチも用意されていて、伊勢志摩の美しい景観とスピード感溢れるワイドな正面眺望をゆっくりと楽しむことができます。







下の写真2枚は、ヨーロッパの客車のような贅沢な空間を表現した5号車のサロンカーです。
家族・グループ・カップルなどでの旅行に最適な、対面固定シートの4人席(サロンシート)と2人席(ツインシート)が並んでおり、向かい合う座席の間には大型テーブルが、また、背もたれの後ろには荷物収納スペースが設置されています。





下の写真は、5号車のサロンカーの窓です。
サロンカーの窓だけ他の車両の窓よりもサイズが大きく、そのため遠くから見ても、6両のうちどの車両がサロンカーなのかは一目瞭然です。



下の写真は、6号車のデラックスカーで、情熱のスペインを表現した赤系のモケットのフリーストップタイプのリクライニングシートが2列+1列で配置されています。
デラックスカーの各シートには、大きなヘッドレストと反転式フットレストが装備されています。



ちなみに、1~4号車のレギュラーカーは、2列+2列の座席配置です。


※ 下記の文章は、このブログやこの記事とは全く関係ありません。別のブログで行われているある企画に連動して書かれているものなので、その企画を関知されていない方はスルーして下さい。
【4】 今月からは、積雪のため冬期は少なかった地鎮祭等の建築関係の外祭が徐々に多くなり、また、4月は各種団体の総会が一斉に開催される時期でもあり、


丹波橋駅で京阪電車ウォッチング

2012年03月15日 | 京阪(京阪線系統)
私は先月、研修のため三重県の伊勢に行ってきたのですが、札幌からセントレア(中部国際空港)に降り立った後、セントレアから最短距離で伊勢へは向かわず、時間の余裕があったため、セントレアからは京都を経由する遠回りのルートで伊勢へと向かいました。

京都では、七条~八幡市間を、久々に京阪電車に乗って楽しんできました。八幡市駅からは男山ケーブルに乗り換えて、石清水八幡宮も参拝・見学してきました。
そして、短時間ながらも限られた時間内で京阪電車をたっぷり堪能(笑)した私は、丹波橋から近鉄特急に乗り換えて京都を後にし、本来の目的地である伊勢へと向かったのですが、近鉄の丹波橋駅改札に入る前、折角なので、京阪の丹波橋駅ホームで、次々と同駅を発着する京阪電車を見学・観察(ウォッチング)してきました。

京阪電車は大好きなので、見ているだけで本当に心が癒されます(笑)。













淀屋橋行き特急の3000系を見たのは、私にとっては今回が初めてだったので、とても新鮮に映りました。昨年5月のダイヤ改正以降は、8000系同様、3000系も淀屋橋~出町柳間の特急として運用されているようです。
しかし、本来であれば中之島線で活躍すべき3000系が淀屋橋~出町柳間の特急として使われているのは、ある意味、中之島線の苦戦を象徴しているわけでもあり、それを思うと、ちょっと複雑な気持ちになりました…。