今回は特に関西圏の話という訳ではないのですが、私なりに思うことがあったので、そのことについて書き綴らせて頂きます。
今月27日の「北海道新聞」の朝刊に、雄別炭鉱(釧路)のSL保存のため、釧路の市民グループが札幌でパネル展を開催して募金を訴える、という記事が掲載されていました。
以下にその記事を転載します。
『一九七〇年に閉山した旧雄別炭鉱(釧路市阿寒町)で、石炭輸送などを担った蒸気機関車(SL)の保存や再生に取り組む市民グループが、「都会の人にも炭鉱・産業遺跡の意義を知ってほしい」と、札幌市内でパネル展を開いている。赤さびだらけになったSLの写真などを展示し、再塗装のための募金も呼びかけている。
SLは、釧路―雄別炭鉱間約四十四キロを結んだ旧雄別鉄道の「C11型」。石炭輸送のほか、釧路への生活路線として活躍したが、雄別炭鉱の閉山に伴う廃線でお払い箱となった。現在は阿寒町町内の「炭鉱と鉄道館」に屋外展示されているが、風雨や雪の影響で腐食が進み、赤さびだらけの姿をさらしている。(中略)
、SLを当時の姿に戻そうと募金集めを開始。再塗装にかかる費用約四百十万円のうち、これまでに企業や個人から約百三十万円が寄せられた。』
私はこの記事を読んで、「素晴らしい!」と思いました。
なぜなら、その少し前に、ネット上で以下のようなニュースを読んでいたからです。これは、佐賀県の唐津市で保存されていたSL「9600形」を撤去・解体したという、とても残念なニュースです。
『石炭の積み出し港として栄えた唐津港の歴史を後世に伝えようと、唐津市が1992年から東大島町の唐津港東港地区に展示していた「9600形蒸気機関車」が今月初め、老朽化のため解体、撤去された。野ざらしで、潮風の影響などから劣化が早まったとみられ、市は「残念だが仕方ない」としている。(中略)
展示していた機関車は23年製。74年に廃車となり、翌年、当時の国鉄から無償貸与を受けた。同市東唐津の公園に屋根などを設置して展示していたが、石炭の積み出し港としてゆかりが深い東港地区に公園が整備されたことから移設した。直後は、自由に内部の見学などもできたが、鉄板がさびて朽ち始め、床に穴が開くなど危険な状態になった。市は5年ほど前から、周囲を柵で囲い、立ち入り禁止にしていた。
2005年末から、機関車の修復を担当したことのある愛好者やJR九州職員らに状態を見てもらったが、傷みが激しく、修復は難しいとされた。市は、子どもたちの遊び場などになると危険だと判断し、撤去を決定。JR九州に了解を得て約140万円で処分した。車輪やプレートは記念に保管するという。市公園課は「できれば残したかったが、危険性を考えると撤去するしかなかった」としている。』
唐津市は国鉄から9600形を無償で譲り受けて、当初は屋根付きの場所で保存していたそうですが、別の公園が整備されたことに伴い、その公園に9600形を移設しました。
しかし移設先の公園は、潮風に晒される海辺という屋外での保存には最悪の場所で、しかもそのような場所であるにも拘らず、保存場所には屋根も設置せず、腐食防止のための再塗装もせず、そのままの状態でずっと“保存”していたということですが、正確にはそれは“保存”ではなく“放置”というのです。
何の対策も施せずにそんな所に放置しておけば、そりゃあ腐食して朽ちてしまうのは当然です。
老朽化のため、残念だが仕方ない、できれば残したかったが、などという市のコメントはただの言い訳です!
保存に関する知識も無く、SLに対する愛着もなく、SLが貴重な文化財であるという意識も全くなく、ただ「公園のオブジェ」として飾った挙げ句に、無責任にも朽ちさせてしまい撤去・解体とは、酷い話です。
管理ができないのなら最初から譲り受けてほしくなかったです!
そして、こういったニュースに接していただけに、釧路の市民グループが雄別炭鉱のC11保存のため活動していることを知ったときは、とても嬉しく思いました。
しかし残念なことに、静態保存されているSLが全く整備されずに放置されているのは、唐津市だけではありません。
このブログにも書いたように先月私は出雲を旅行して来たのですが、その際に見学してきた旧大社駅(平成2年に廃線となった全長7.5kmの国鉄大社線の終着駅で、路線の廃止後も廃止当時のまま保存・公開されています)の構内で静態保存されていたSL「D51型」も、実は結構ヤバイ状況でした。
屋根も壁もない、草ボウボウのレールの上に置かれていたD51は赤サビだらけで、破損箇所も見られ、子供が近づくのは危険に思えました。
ちゃんと手入れをすれば素晴らしい機関車なのに、何の整備もされずこのまま放置していると、このD51も、いずれは唐津の9600形と同じ運命を辿ることになるのかもしれません。
SLは、明治・大正・昭和の三時代を生き抜き、日本の産業発展に多大な貢献をした、貴重な生きた証人達です。
その生き証人達がこのような酷い扱いを受けるとは、SL達が気の毒で心が痛みます。
今月27日の「北海道新聞」の朝刊に、雄別炭鉱(釧路)のSL保存のため、釧路の市民グループが札幌でパネル展を開催して募金を訴える、という記事が掲載されていました。
以下にその記事を転載します。
『一九七〇年に閉山した旧雄別炭鉱(釧路市阿寒町)で、石炭輸送などを担った蒸気機関車(SL)の保存や再生に取り組む市民グループが、「都会の人にも炭鉱・産業遺跡の意義を知ってほしい」と、札幌市内でパネル展を開いている。赤さびだらけになったSLの写真などを展示し、再塗装のための募金も呼びかけている。
SLは、釧路―雄別炭鉱間約四十四キロを結んだ旧雄別鉄道の「C11型」。石炭輸送のほか、釧路への生活路線として活躍したが、雄別炭鉱の閉山に伴う廃線でお払い箱となった。現在は阿寒町町内の「炭鉱と鉄道館」に屋外展示されているが、風雨や雪の影響で腐食が進み、赤さびだらけの姿をさらしている。(中略)
、SLを当時の姿に戻そうと募金集めを開始。再塗装にかかる費用約四百十万円のうち、これまでに企業や個人から約百三十万円が寄せられた。』
私はこの記事を読んで、「素晴らしい!」と思いました。
なぜなら、その少し前に、ネット上で以下のようなニュースを読んでいたからです。これは、佐賀県の唐津市で保存されていたSL「9600形」を撤去・解体したという、とても残念なニュースです。
『石炭の積み出し港として栄えた唐津港の歴史を後世に伝えようと、唐津市が1992年から東大島町の唐津港東港地区に展示していた「9600形蒸気機関車」が今月初め、老朽化のため解体、撤去された。野ざらしで、潮風の影響などから劣化が早まったとみられ、市は「残念だが仕方ない」としている。(中略)
展示していた機関車は23年製。74年に廃車となり、翌年、当時の国鉄から無償貸与を受けた。同市東唐津の公園に屋根などを設置して展示していたが、石炭の積み出し港としてゆかりが深い東港地区に公園が整備されたことから移設した。直後は、自由に内部の見学などもできたが、鉄板がさびて朽ち始め、床に穴が開くなど危険な状態になった。市は5年ほど前から、周囲を柵で囲い、立ち入り禁止にしていた。
2005年末から、機関車の修復を担当したことのある愛好者やJR九州職員らに状態を見てもらったが、傷みが激しく、修復は難しいとされた。市は、子どもたちの遊び場などになると危険だと判断し、撤去を決定。JR九州に了解を得て約140万円で処分した。車輪やプレートは記念に保管するという。市公園課は「できれば残したかったが、危険性を考えると撤去するしかなかった」としている。』
唐津市は国鉄から9600形を無償で譲り受けて、当初は屋根付きの場所で保存していたそうですが、別の公園が整備されたことに伴い、その公園に9600形を移設しました。
しかし移設先の公園は、潮風に晒される海辺という屋外での保存には最悪の場所で、しかもそのような場所であるにも拘らず、保存場所には屋根も設置せず、腐食防止のための再塗装もせず、そのままの状態でずっと“保存”していたということですが、正確にはそれは“保存”ではなく“放置”というのです。
何の対策も施せずにそんな所に放置しておけば、そりゃあ腐食して朽ちてしまうのは当然です。
老朽化のため、残念だが仕方ない、できれば残したかったが、などという市のコメントはただの言い訳です!
保存に関する知識も無く、SLに対する愛着もなく、SLが貴重な文化財であるという意識も全くなく、ただ「公園のオブジェ」として飾った挙げ句に、無責任にも朽ちさせてしまい撤去・解体とは、酷い話です。
管理ができないのなら最初から譲り受けてほしくなかったです!
そして、こういったニュースに接していただけに、釧路の市民グループが雄別炭鉱のC11保存のため活動していることを知ったときは、とても嬉しく思いました。
しかし残念なことに、静態保存されているSLが全く整備されずに放置されているのは、唐津市だけではありません。
このブログにも書いたように先月私は出雲を旅行して来たのですが、その際に見学してきた旧大社駅(平成2年に廃線となった全長7.5kmの国鉄大社線の終着駅で、路線の廃止後も廃止当時のまま保存・公開されています)の構内で静態保存されていたSL「D51型」も、実は結構ヤバイ状況でした。
屋根も壁もない、草ボウボウのレールの上に置かれていたD51は赤サビだらけで、破損箇所も見られ、子供が近づくのは危険に思えました。
ちゃんと手入れをすれば素晴らしい機関車なのに、何の整備もされずこのまま放置していると、このD51も、いずれは唐津の9600形と同じ運命を辿ることになるのかもしれません。
SLは、明治・大正・昭和の三時代を生き抜き、日本の産業発展に多大な貢献をした、貴重な生きた証人達です。
その生き証人達がこのような酷い扱いを受けるとは、SL達が気の毒で心が痛みます。