42年の長きにわたって京阪を代表する車両として親しまれてきた、京阪特急専用車の旧3000系(8000系30番台)の引退については、今まで何度かこのブログでも触れてきましたが、ついに本日、旧3000系は営業運行を終了し、京阪電気鉄道から完全に引退をしました。今まで御苦労様でした!
そして、本日の旧3000系引退を以って、1800系以来59年にわたって続いた京阪のテレビカーの歴史も、幕を閉じることとなりました。
下の写真2枚は、10年前に私が出町柳駅のホームで撮影した、旧3000系電車(当時はまだ8000系に転籍していませんでした)です。
旧3000系電車の引退は、鉄道専門の雑誌・新聞・ホームページ等だけではなく、ここ数日間は一般のメディアにも取り上げられ、人々の関心の高さが窺えました。
以下は、一般の新聞社のサイトに掲載されていた記事を転載したものです。
『京阪テレビカー、31日終着 快走41年「最後見送って」
京都新聞 3月29日(金)14時19分配信
日本で初めてカラーテレビを車内に設置した京阪電気鉄道の「テレビカー」が31日の運行を最後に引退する。
京都と大阪を結ぶ特急として1971年7月にデビュー以来、通勤客や行楽客をテレビ放映で楽しませてきたが、携帯電話の普及などで車内の過ごし方が変わり、役割を終える。車両とともに懐かしい車内風景も姿を消す。
京阪は今月10日にテレビカーの通常運転を終え、23日から土・日曜日に中之島発出町柳行き臨時快速特急として片道1本を特別運転している。ラストランとなる31日も午前11時1分に中之島を出発、祇園四条や三条などに停車し、終点の出町柳に午後0時4分に到着する。優先的に着席できる整理券はすでに配布が終わったが、通常の乗車券で乗車できる。
テレビカーは3000系として6~7両編成で運行が始まった。テレビは京都側の先頭車両と4両目に計2台設置した。
高度経済成長に伴いカラーテレビが家庭に普及したころで、乗客の注目度は高かったという。「高校野球や相撲の番組があると『チャンネルを変えて』と車掌によく声がかかりました」(広報担当)
会社経営の佐々木亮さん(38)=京都市北区=は「電車の中にテレビがあるのはかっこよかった。小学生のころのあこがれの電車で、乗ってみたいなあとホームで眺めていた」と懐かしむ。
89年からはテレビを1台にした後継の8000系を投入した。しかし、携帯電話を持つ人が増え、メールをしたりワンセグでテレビを見たりと、時代とともに車内の様子が変遷。2012年11月までにテレビを全て撤去した。1編成のみ残っていた旧3000系も車両の老朽化に伴い、引退が決まった。
特別運転では、先頭車両の側面に「テレビカー」の文字を入れ、2階建て車両を除いた7両編成という運行当初に近い姿で走っている。京阪は「長い間京阪の特急の代名詞として活躍した車両だった。最後を見送っていただけたらうれしい」としている。』
『さよなら京阪テレビカー 歴史映した59年に幕下ろす
朝日新聞デジタル 3月31日(日)17時25分配信
京阪電車の名物「テレビカー」が31日、最後の運行を終え、59年の歴史に幕を下ろした。発車駅となった中之島駅(大阪市北区)には鉄道ファンら約700人が集まり、別れを惜しんだ。
テレビカーは大阪でテレビ放送が始まった1954年に誕生した。当時非常に珍しかったテレビが追加料金なしの特急車で見られるとあって、人気を博した。だが、携帯電話のワンセグ放送の普及などに押され、09年に廃止を決定。すぐには撤去せず、老朽化に伴い引退する車両とともに徐々に減っていった。
31日は、71年に登場して以来、テレビカーとして走ってきた車両「旧3000系」の最後の車両が中之島駅から出町柳駅(京都市左京区)まで走り、役目を終えた。』
『<京阪電鉄>71年デビューのテレビカー引退
毎日新聞 2013年03月31日 20時19分(最終更新 03月31日 20時35分)
日本で初めてカラーテレビを車両内に設置した京阪電鉄の「テレビカー」(旧3000系特急車)が31日、引退した。この日午前11時1分に大阪市北区の中之島駅を出発したラストランには、約800人の鉄道ファンが詰めかけ、別れを惜しんだ。
「京阪といえばテレビカー」と親しまれた名物車両は、1971年7月にデビュー。普及しつつあったカラーテレビ放送を楽しめるサービスで他社との差別化を図り、プロ野球のナイター中継などを目当てににぎわったという。
しかし、携帯電話の普及に伴って車内ではワンセグ放送やインターネットを楽しむ乗客が増えた。車両の老朽化も進み、引退が決まった。ラストラン終了後に195人限定で開かれた車両内外の撮影会も、先月1日の販売開始から電話が殺到し、わずか1分で申し込みが定員に達した。
この日、ラストランに駆けつけた大津市の会社員、大石橋秀典さん(41)は「妻との初デートや子供と一緒に初めて乗ったのもこの電車。思い出が詰まっている」と懐かしんでいた。』
『さようなら京阪テレビカー 出町柳駅、ファンら惜しむ
京都新聞 3月31日(日)20時49分配信
「テレビカー」の愛称で親しまれてきた京阪電鉄の旧3000系特急車両が31日、最終運行を行った。終点の出町柳駅(京
都市左京区)では多くの鉄道ファンが車中のテレビ放映の思い出に浸り、ラストランを見届けた。
約800人が中之島-出町柳間の特別運行に乗車した。選抜高校野球を流すテレビ画面を記念撮影し、午後0時4分に出町柳駅に着くと先頭車両を囲んで「ありがとう」「ご苦労さま」と拍手で別れを告げた。
テレビカーは1971年から走ってきた。大阪市内に特急で通勤した左京区の無職笹本祐司さん(68)は「仕事帰りに車内でプロ野球を見るのが楽しみだった。最後のお別れを言いに来ました」と話した。』
さようなら、旧3000系電車。
今までどうもありがとう!
そして、本日の旧3000系引退を以って、1800系以来59年にわたって続いた京阪のテレビカーの歴史も、幕を閉じることとなりました。
下の写真2枚は、10年前に私が出町柳駅のホームで撮影した、旧3000系電車(当時はまだ8000系に転籍していませんでした)です。
旧3000系電車の引退は、鉄道専門の雑誌・新聞・ホームページ等だけではなく、ここ数日間は一般のメディアにも取り上げられ、人々の関心の高さが窺えました。
以下は、一般の新聞社のサイトに掲載されていた記事を転載したものです。
『京阪テレビカー、31日終着 快走41年「最後見送って」
京都新聞 3月29日(金)14時19分配信
日本で初めてカラーテレビを車内に設置した京阪電気鉄道の「テレビカー」が31日の運行を最後に引退する。
京都と大阪を結ぶ特急として1971年7月にデビュー以来、通勤客や行楽客をテレビ放映で楽しませてきたが、携帯電話の普及などで車内の過ごし方が変わり、役割を終える。車両とともに懐かしい車内風景も姿を消す。
京阪は今月10日にテレビカーの通常運転を終え、23日から土・日曜日に中之島発出町柳行き臨時快速特急として片道1本を特別運転している。ラストランとなる31日も午前11時1分に中之島を出発、祇園四条や三条などに停車し、終点の出町柳に午後0時4分に到着する。優先的に着席できる整理券はすでに配布が終わったが、通常の乗車券で乗車できる。
テレビカーは3000系として6~7両編成で運行が始まった。テレビは京都側の先頭車両と4両目に計2台設置した。
高度経済成長に伴いカラーテレビが家庭に普及したころで、乗客の注目度は高かったという。「高校野球や相撲の番組があると『チャンネルを変えて』と車掌によく声がかかりました」(広報担当)
会社経営の佐々木亮さん(38)=京都市北区=は「電車の中にテレビがあるのはかっこよかった。小学生のころのあこがれの電車で、乗ってみたいなあとホームで眺めていた」と懐かしむ。
89年からはテレビを1台にした後継の8000系を投入した。しかし、携帯電話を持つ人が増え、メールをしたりワンセグでテレビを見たりと、時代とともに車内の様子が変遷。2012年11月までにテレビを全て撤去した。1編成のみ残っていた旧3000系も車両の老朽化に伴い、引退が決まった。
特別運転では、先頭車両の側面に「テレビカー」の文字を入れ、2階建て車両を除いた7両編成という運行当初に近い姿で走っている。京阪は「長い間京阪の特急の代名詞として活躍した車両だった。最後を見送っていただけたらうれしい」としている。』
『さよなら京阪テレビカー 歴史映した59年に幕下ろす
朝日新聞デジタル 3月31日(日)17時25分配信
京阪電車の名物「テレビカー」が31日、最後の運行を終え、59年の歴史に幕を下ろした。発車駅となった中之島駅(大阪市北区)には鉄道ファンら約700人が集まり、別れを惜しんだ。
テレビカーは大阪でテレビ放送が始まった1954年に誕生した。当時非常に珍しかったテレビが追加料金なしの特急車で見られるとあって、人気を博した。だが、携帯電話のワンセグ放送の普及などに押され、09年に廃止を決定。すぐには撤去せず、老朽化に伴い引退する車両とともに徐々に減っていった。
31日は、71年に登場して以来、テレビカーとして走ってきた車両「旧3000系」の最後の車両が中之島駅から出町柳駅(京都市左京区)まで走り、役目を終えた。』
『<京阪電鉄>71年デビューのテレビカー引退
毎日新聞 2013年03月31日 20時19分(最終更新 03月31日 20時35分)
日本で初めてカラーテレビを車両内に設置した京阪電鉄の「テレビカー」(旧3000系特急車)が31日、引退した。この日午前11時1分に大阪市北区の中之島駅を出発したラストランには、約800人の鉄道ファンが詰めかけ、別れを惜しんだ。
「京阪といえばテレビカー」と親しまれた名物車両は、1971年7月にデビュー。普及しつつあったカラーテレビ放送を楽しめるサービスで他社との差別化を図り、プロ野球のナイター中継などを目当てににぎわったという。
しかし、携帯電話の普及に伴って車内ではワンセグ放送やインターネットを楽しむ乗客が増えた。車両の老朽化も進み、引退が決まった。ラストラン終了後に195人限定で開かれた車両内外の撮影会も、先月1日の販売開始から電話が殺到し、わずか1分で申し込みが定員に達した。
この日、ラストランに駆けつけた大津市の会社員、大石橋秀典さん(41)は「妻との初デートや子供と一緒に初めて乗ったのもこの電車。思い出が詰まっている」と懐かしんでいた。』
『さようなら京阪テレビカー 出町柳駅、ファンら惜しむ
京都新聞 3月31日(日)20時49分配信
「テレビカー」の愛称で親しまれてきた京阪電鉄の旧3000系特急車両が31日、最終運行を行った。終点の出町柳駅(京
都市左京区)では多くの鉄道ファンが車中のテレビ放映の思い出に浸り、ラストランを見届けた。
約800人が中之島-出町柳間の特別運行に乗車した。選抜高校野球を流すテレビ画面を記念撮影し、午後0時4分に出町柳駅に着くと先頭車両を囲んで「ありがとう」「ご苦労さま」と拍手で別れを告げた。
テレビカーは1971年から走ってきた。大阪市内に特急で通勤した左京区の無職笹本祐司さん(68)は「仕事帰りに車内でプロ野球を見るのが楽しみだった。最後のお別れを言いに来ました」と話した。』
さようなら、旧3000系電車。
今までどうもありがとう!