北海道人からみた関西圏の鉄道事情

関西圏の鉄道・その他についての諸々の雑感

再び近鉄22000系ACEについて

2009年04月24日 | 近鉄
昨年7月29日の記事では「近鉄22000系ACE」を取り上げましたが、今日は再びこの電車を取り上げます。
近鉄では、今年に入ってから、製造開始から17年が経過した22000系電車を全面改良した新型電車22600系の導入を開始しましたが、私にとっては、22000系は今だ斬新かつ新鮮な電車であり、特に、貫通形でありながら緩やかな曲面で構成されている前頭形状には惚れ惚れします(笑)。



上の写真は、今年3月に大阪難波駅(当時は近鉄難波駅)で撮影した、賢島行きの特急として運用されていた22000系です。カッコイイですね~(笑)。



上の写真も、今年3月に大阪難波駅で撮影したもので、この時はなぜか正面の貫通扉を全開にしたまま、低速で西側方向(阪神なんば線の開業直前だったので、同線にではなく折り返しのため一旦引込み線に入ったのでしょう)に向かって走っていました。
正面の貫通扉が、中央からではなく、中央から外れたラインで分割開閉している様子が分かります。



上の写真は、昨年5月に、上本町駅で撮影した22000系と他形式との併結部です。
22000系は、最初から12200系など既存特急車との併結を前提に貫通式を採用しており、その汎用性の高さが窺えます。

第三セクターの泉北高速鉄道が民営化されます

2009年04月16日 | 鉄道経営
大阪府堺市北区の中百舌鳥駅と大阪府和泉市の和泉中央駅とを結ぶ14.3kmの路線(所要時間約16分、全線複線、起終点駅を含め全6駅)は、「泉北高速鉄道」(せんぼくこうそくてつどう)と称され、地元の利用者からは単に「泉北線」もしくは「泉北高速」と呼ばれることも多いのですが、実際には、泉北高速鉄道という名の鉄道会社があるわけではなく、大阪府などが出資する「大阪府都市開発株式会社」という第三セクターが、第一種鉄道事業者としてこの鉄道を運営しています。



泉北高速鉄道は、昭和46年にまず中百舌鳥~泉ヶ丘間が開業し、南海に業務を委託する形で営業を開始し、昭和48年には栂・美木多まで路線を延伸し、昭和52年には更に光明池まで延伸し、そして、それまで南海に委託していた業務を段階的に直営化していき、最終的には平成5年までに全業務の直営化を行ない、その後、平成7年に和泉中央まで路線を延伸し、現在に至っています。
現在では、中百舌鳥~和泉中央間の線内折り返し運転のほか、中百舌鳥駅からは南海高野線に乗り入れ、南海難波駅まで、南海との相互直通運転も行っています。

今月、その泉北高速鉄道を民営化する決定が下されました。
橋下徹知事を本部長とする大阪府の戦略本部会議が今月9日に開かれ、泉北高速鉄道を運営する大阪府都市開発株式会社を民営化する方針を決定したのです。

大阪府都市開発は、第三セクターとしては珍しく(笑)長年黒字経営なのですが、民間に委ねた方が経営効率が更に高まると判断され、また売却収入を府の財政再建に充てるため、民営化させることになり、大阪府の方針として正式に決定された案では、同社は一括して売却はせず、鉄道と物流などの各事業に分けた上で段階的に分割・民営化を進め、3年以内に保有株式を売却し完全民営化を達成するとしており、今後は、同社と具体的な協議に入ると共に株主や府議会とも調整するとしています。

昨年2月に大阪府知事に就任した橋下徹氏は、府の幹部との協議で、図書館以外の府営施設は廃止または売却する方針を明らかにしており、昨年6月に発表された大阪維新プログラムでは、同社は府マリーナ協会や府食品流通センターなど5法人と共に既に民営化の方向性が示されていました。
同社の売却先は入札で決めることになりますが、泉北高速鉄道と相互乗り入れを行っている南海への売却が有力と見られ、南海でも大阪府都市開発の株式の取得を検討している、というニュースが既に一部で報じられています。

なお、大阪府都市開発には、府が49%を出資している他、関西電力(18%)、大阪ガス(18%)、銀行3行(各5%)なども出資しており、同社は鉄道事業である泉北高速鉄道の他、東大阪市などで大規模なトラックターミナルを運営し、また、子会社がりんくうタウン(泉佐野市)でホテルや国際物流施設を運営するなどしています。

阪急嵐山線から撤退した2300系

2009年04月08日 | 阪急(京都線系統)


~嵐山間を結ぶ4.1kmの阪急嵐山線(京都本線の支線で全線単線)では、今年の3月末まで、4両編成の2300系が活躍していました。上の写真が、嵐山駅にて撮影したその2300系です。
2300系は現在の阪急電車の基礎を築いた系列の一つで、昭和35年に登場し、翌36年には2000系とともに第1回鉄道友の会ローレル賞を受賞し、昭和42年までに78両が製造され、「特急」から「普通」まで幅広く使用されてきました。

しかし、2月7日の記事でも書かせていただいたように4月2日からは、リニューアルを施された京都線特急用の6300系(8両編成から4両編成に変更された6351F、6352F、6353Fの3編成)が嵐山線に投入され、それに伴い2300系は嵐山線から撤退しました。
7両編成の2300系は、現在でも京都本線や千里線などで「準急」もしくは「普通」として活躍しているので、2300系自体が無くなってしまったわけではありませんが、阪急現役最古参である2300系の独壇場だった嵐山線から姿を消してしまったのは、やはり淋しく感じます。

今月から嵐山線を走るようになった6300系は、昭和50年に京都本線の特急専用車として登場した系列ですが、「特急」として30年以上走り続けてきたため他の電車よりも痛みが激しく、現在、9300系への置き換えが順次進められており、その置き換えによって捻出された6300系の一部が、リニューアル(4両編成化、クロスシートを1列+2列に変更、クロスシートの内・扉付近をロングシート化、車椅子スペースの設置など)を施された上で今月から嵐山線用の「普通」に投入されているので、何十年か経つと、今度は9300系が4両編成化されて嵐山線に投入されるかもしれないですね。

新塗装が施された京阪電車

2009年04月02日 | 京阪(京阪線系統)
昨年4月15日の記事≪カラーリング変更≫の項で詳しく報告させていただいたように、京阪は、中之島線の開業を機に京阪本線とその支線(中之島線・鴨東線・交野線・宇治線)を走る既存の全車両の塗装変更を昨年4月から順次進めています。

私が昨年8月に京阪電車に乗った際は、まだ新塗装の車両を見かけることは稀で、新塗装の電車を見ると「おっ、珍しい!」と少し嬉しく感じたものですが、それから半年強程ぶりに、先月京阪電車に乗った際は、新塗装の電車を目撃する回数は以前よりは確実に増えていました。とはいっても、まだ京阪線を走る半数以上の電車は旧塗装ですが。
しかし、平成24年までに全車の塗装変更が終わる予定なので、これからは逆に、旧塗装の電車を見ると「おっ、珍しい!」と嬉しく感じるようになると思います(笑)。

以下に、先月の関西旅行(大阪・中之島~京都・出町柳間は全区間乗車し、八幡市~祇園四条間については1往復半、つまり3回も乗ってきました)で私が撮影した、新塗装の京阪電車の写真の一部を貼らせていただきます。



上の写真は、天満橋駅で撮影した7000系(出町柳行きの普通)です。



上の写真は、八幡市駅に入線してきた2600系(出町柳行きの準急)です。
先の写真の7000系とは正面の塗装パターンが異なっていることが分かります。



上の写真は、出町柳方面に向って藤森駅を通過する直前の電車(新3000系・出町柳行き快速急行)内から撮影した、2200系(淀屋橋行きの普通)です。
ちなみに、この2200系と藤森駅ホームの上を交差している高架橋は、名神高速道路です。



上の写真は、丹波橋駅で停車中の8000系(出町柳行きの特急)です。
新3000系同様、正面中央には黒い半円が描かれています。



上の写真は、もうすぐ出町柳駅を出発する、8000系(淀屋橋行きの特急)のダブルデッカー車です。
特急らしい高級感が感じられる塗装ではありますが、時代祭の行列絵巻が細かく描かれていた旧塗装に比べると、かなりシンプルになった印象も受けます。