前回の日記で書いたように、私は今年1月の末頃に新大阪から岡山まで、山陽新幹線の500系「こだま」に乗車したのですが、その「こだま」が姫路駅を発車した直後、車中から、かつて姫路市内の上空を横切るように走っていた姫路市営モノレールの廃線跡が、はっきりと見えました。
空中索道の廃線跡というのは、全国的にみても結構珍しいのではないかなと思います。
山陽新幹線には今まで何度も乗ったことがあるので、この風景を見るのが初めてではありませんでしたが、モノレールの廃線跡を写真に撮ったのはこの時が初めてだったので、以下にその写真をアップさせていただきます。
昭和41年に開催された姫路大博覧会の会場への輸送機関という名目で開業した姫路市営モノレールは、浜松町~羽田空港間を走る東京モノレールに続き、日本で2番目に開業したモノレールであり、当時は「夢の乗り物」とも言われていました。
営業キロは1.63kmで、駅は、現在のJR姫路駅の北側に位置する「姫路駅」、公団高尾アパートなどが入居する複合ビルの3・4階部分にホームがある「大将軍駅」、博覧会の会場であった手柄山中央公園にある「手柄山駅」の、わずか3駅でした。
全線単線のその1.63kmの区間を、上り4分40秒、下り3分50秒で結んでおり、徒歩だと同行程は30分程度だったそうです。
この路線に続いて市内に環状線を建設し、最終的には日本海側の鳥取まで路線を延伸するという壮大な構想もありましたが、運行距離が短かったことや運賃が高額だったこともあって博覧会終了後は利用者が激減し、更に、モノレール反対派の新市長が誕生したり、モノレールの車両を製造した日本ロッキード・モノレール社の解散によって部品調達が困難になったことなども重なり、わずか8年で営業を停止し、昭和54年に正式に廃止となりました。
姫路市営モノレールは廃止されてから約35年(休止期間も含めると約40年)経ちますが、軌道桁の撤去等に莫大な費用がかかるため、一部の区間では橋脚や軌道桁が今もほぼ当時のまま残されています。
姫路市営モノレールについては以下の動画でも解説されておりますので、興味のある方はこちらの動画も併せてご覧下さい。
空中索道の廃線跡というのは、全国的にみても結構珍しいのではないかなと思います。
山陽新幹線には今まで何度も乗ったことがあるので、この風景を見るのが初めてではありませんでしたが、モノレールの廃線跡を写真に撮ったのはこの時が初めてだったので、以下にその写真をアップさせていただきます。
昭和41年に開催された姫路大博覧会の会場への輸送機関という名目で開業した姫路市営モノレールは、浜松町~羽田空港間を走る東京モノレールに続き、日本で2番目に開業したモノレールであり、当時は「夢の乗り物」とも言われていました。
営業キロは1.63kmで、駅は、現在のJR姫路駅の北側に位置する「姫路駅」、公団高尾アパートなどが入居する複合ビルの3・4階部分にホームがある「大将軍駅」、博覧会の会場であった手柄山中央公園にある「手柄山駅」の、わずか3駅でした。
全線単線のその1.63kmの区間を、上り4分40秒、下り3分50秒で結んでおり、徒歩だと同行程は30分程度だったそうです。
この路線に続いて市内に環状線を建設し、最終的には日本海側の鳥取まで路線を延伸するという壮大な構想もありましたが、運行距離が短かったことや運賃が高額だったこともあって博覧会終了後は利用者が激減し、更に、モノレール反対派の新市長が誕生したり、モノレールの車両を製造した日本ロッキード・モノレール社の解散によって部品調達が困難になったことなども重なり、わずか8年で営業を停止し、昭和54年に正式に廃止となりました。
姫路市営モノレールは廃止されてから約35年(休止期間も含めると約40年)経ちますが、軌道桁の撤去等に莫大な費用がかかるため、一部の区間では橋脚や軌道桁が今もほぼ当時のまま残されています。
姫路市営モノレールについては以下の動画でも解説されておりますので、興味のある方はこちらの動画も併せてご覧下さい。
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