140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

源氏物語(巻二)

2013-08-11 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻二」には、
末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里が収められている。

【末摘花】
源氏物語で笑えるのは、末摘花と近江の君ではないかと思う。
この帖に書かれている末摘花の描写はちょっとかわいそうな気もするが、
後々になって出て来る彼女の態度には思わず微笑んでしまう。
容姿がすぐれていないことを笑うのではなく貴族として一途な姿に微笑んでしまう。
流行に疎く、まわりに合わせることが出来ないという点では、
実は自分にそっくりなのではないかと思う。

【紅葉賀】
藤壺が皇子を出産する。源氏に生き写しの若宮の顔だちに藤壺は苦しむ。
藤壺は桐壺に似ているのだから、帝と桐壺の間に生れた源氏とそっくりだとしても、
不思議はないと思うのだが、藤壺は醜聞が発覚することを恐れ疑心暗鬼に陥る。
源氏は相変わらず自分の欲望のままに動くが母となった藤壺は源氏を受け入れない。
帝は光り輝く御子を寵愛する。そして若宮の後見として藤壺を中宮に立てる。
譲位の準備を進め藤壺の生んだ若宮を東宮にと考えている。
桐壺帝は藤壺の不義を知らなかったのだろうか?
若宮を抱いて喜んでいる帝を描くことで著者は藤壺の苦しみをいっそう深いものにしている。
「この子は実にそなたに似ている。ごく小さい間は、みなこんなふうなのだろうか」という
帝の仰せに源氏は顔色の変わる心地がしたということだが、
「自分が若宮に似ているのなら、我ながら自分をたいそう大切にしなければならない」と
お思いになるというのだから、やはり罪の意識なんてないらしい。

【花宴】
朧月夜が登場する。朧月夜は右大臣の娘で弘徽殿の女御(のちの大后)の妹にあたる。
そして源氏は、いつものように事に及ぶ。
「わたしは何をしても誰からも咎められないから、人をお呼びになっても何にも
なりませんよ」と言う不敵な源氏に、女はさては源氏の君だったのかとわかって安心している。
そんなふうにしているものだから弘徽殿の女御にはいっそう憎まれることになる。

【葵】
亡くなった東宮が寵愛していて今は源氏の恋人のひとりである六条の御息所の生き霊により、
左大臣の娘で源氏の正妻である葵の上が絶命するという話になっている。
フレイザーが研究した未開人と同様に、この時代、病気の原因は物の怪であると信じられていた。
そして人々は病気の治療のためすぐれた験者に加持祈祷をさせる。
きっと仮定した原因に対する処置は正しいのだろう。
しかしそのすぐれた験者というのは実際には詐欺師なわけだ。
病床の妻に付き添っていた源氏は、病人の声音や様子がおかしいことに気付く。
その姿をよく見れば六条の御息所に入れ替わっており、不気味に思う。
読者もまた人を呪い殺そうとする生き霊にぞっとするのだが、
実際には恨みや呪いで復讐を果たそうとする原初的な感情が自らの内にあることを
認めてぞっとしているのかもしれない。
それとは対象的に、すべてにおいて優れている源氏は恨みという感情を持たない。
そして喪中に紫の上との初夜を果たすなど不謹慎というか自己チューな人生を謳歌している。
著者は六条の御息所ほどには葵の心理を描写していない。
左大臣や源氏や兄である頭の中将が葵を偲ぶシーンが続くが、
読者に惜しいと思わせないように配慮していると感じる。
そういう意味で葵が哀れに思えてならない。
彼女の役割は六条の御息所の恨みの対象であることと夕霧を生むことだけだった。
他人の恨みを買い子孫を残すだけという点で
葵は私たち凡人の代表と言える。

【賢木】
既に譲位していた桐壺院がおかくれになる。
源氏の異母兄である朱雀帝は母の弘徽殿の大后に頭が上がらない。
右大臣の娘である弘徽殿の大后は桐壺が寵愛されている頃から源氏を憎んでいた。
そんなわけでしばらくは右大臣派の天下が続き左大臣派は干されてしまう。
そして桐壺院の一周忌には藤壺が出家する。
藤壺の出家は東宮を守るためのもの、源氏の執拗な要求を拒むためのものであり、
宇治十帖における出家の意味に比べるとそんなに重たい感じはしない。
朧月夜との密会現場を右大臣に見られてしまったことで
源氏はますます窮地に陥っていく・・・
しかし源氏物語そのものが権力闘争の道具だったかもしれないので、
この物語で実際の権力闘争が描かれることはない。
紫式部のパトロンは娘の彰子を入内させた藤原道長であったが、
藤原道隆の娘の定子に仕えた清少納言との確執はどのようなものであったか?
源氏物語の最も大切な読者であったという一条天皇は、
母親も皇后も中宮も女御も藤原氏の娘であって
藤原氏とはズブズブの関係であったらしい。
かつて王とは、強き者、優れた者、美しき者であった。
源氏物語の時代の皇族は優れた者、美しき者として描かれているが強き者ではない。
強き者、つまり実際の権力者は天皇との外戚関係によりその地位を築き上げた。
欧州その他の地域における王が、より強き者にとって代わられたのとは異なり、
我が国における王は千年以上前より時の権力者に利用されてきた。
そうする方が新しい王朝を作るよりも手間がかからないのだと思う。
帝は時の権力者の地位を権威付けるための基準として維持されてきたのではないだろうか?
数十年前ですら統帥権を利用した大本営に利用されていた。
敗戦国として統治される際にも天皇は基準として利用された。
進駐軍は天皇よりも偉かったのだ。
そして現代において象徴とされた天皇に我慢がならず、
皇国史観と武士道の入り混じったものを日本人のこころと考えた、とある作家は、
割腹自殺を遂げたのだろう。
しかし基準であることと象徴であることに、それほどの違いがあるのだろうか?
藤原氏のDNAも入っていれば小和田氏のDNAも入っている。
男系優先なら秋篠宮親王が継ぐのだろうか?そうすると川嶋氏のDNAが入るのか?
神武天皇のY染色体がそれほど大切なものなのだろうか?
紀元前660年に即位したというが本当なのだろうか?
そのようにしていろいろ考えていると面倒になって思考停止に陥る。
そんなふうにして、いつの時代も思考停止していたのではないだろうか?
おそらくは紀元前より思考停止してきた結果が
天皇の存続であったのではないだろうか?

【花散里】
花散里は他の女君に比べて美しいというわけではないが温厚な性格の人物だ。
障害の多い恋にしか興味を持たない源氏にも
安らぎを得たいと思うことがあるらしい。