140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

源氏物語(巻三)

2013-08-14 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻三」には、
須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風が収められている。

【須磨】
朧月夜との密通がもとで源氏は官位を剥奪され除名の処分を受ける。
そして流罪の辱めを受ける前に自分から都を離れようと考え須磨を訪れる。
都の女君たちと便りを交わしたり絵を描いたりして日々を過ごす。
須磨で暮らしてから一年近くが過ぎた三月のはじめ、天候が急変し暴風雨となる。

【明石】
亡き桐壺院が夢に現れ、須磨を立ち去るよう告げる。
それと同期して明石の入道が源氏を迎えに現れ、一行は明石へと渡る。
やがて源氏は入道の娘の明石の君と結ばれる。
都では太政大臣(元右大臣)が亡くなり、弘徽殿の大后も病となり、夢で父帝に叱責された
朱雀帝も目を患う。心細くなった帝は源氏に京へ帰るようとの宣旨を下す。
その頃には明石の君は源氏の子を身篭っていた。
このように源氏の復権は悪天候と桐壺院の亡霊によるもので権力闘争に勝利してのことではない。
詩吟や音楽や舞いや絵画のすべてに優れた光り輝く君には腹黒い闘争は似合わない。
そこにある現実の権力闘争を藤原氏の腹から生まれた一条天皇に
意識させてはならないということだったかもしれない。

【澪標】
朱雀帝が譲位し、十一歳の冷泉帝が即位する。明石では姫君が誕生する。
六条の御息所は娘である前斎宮の後見をしてくれるよう源氏に遺言して亡くなる。

【蓬生】
末摘花は父宮の邸を一途に守ろうとする。彼女の窮乏を事細かに描く著者は、
きっと源氏が助けてくれるに違いないと読者に思わせる。
それで、この帖は恋愛小説ではなくて人情物語になっている。
そして読者の期待は裏切られることなく果たされる。
しかし実際には零落していく貴族は打ち捨てられるのだろう。
何も貴族に限った話ではなく、繁栄する一族があれば衰退する一族がある。
生きんとする意思は互いを退け合うだけだ。しかし実際には勝った者にも何も残らない。
望月の欠けたることもなかった藤原道長が何を残せただろうか?
彼は紫式部を庇護することで類稀な物語を残したと言えるかもしれない。
誰もが自分の人生の成功を願っているらしい。
しかしその成功とはいったい何なのか?

【関屋】
空蝉の後日談。夫に先立たれた後、継息子に言い寄られた空蝉は出家する。

【絵合】
源氏は藤壺と共謀し彼らの息子である十三歳の冷泉帝に九歳上の前斎宮を嫁がせる。
ところで斎宮とは、伊勢神宮を祭る宮のことらしい。伊勢では天照大神を祭っている。
古代においては王族は祈祷師の役割りも果たしていたとされている。
それで神に仕える斎宮は皇族から選出されたのだろう。
そして神に仕えている間は仏の庇護はないのだろう。
古来よりの神と輸入した仏教が両立するというのもよくわからない。
神社と寺が混在するこの国の宗教のあり方がよくわからない。
それもまた思考停止の産物なのかもしれない。

【松風】
明石の君とその姫君が嵯峨に移り住む。
あちこちで契ってはいるのだが源氏の実子は三人だけだ。
藤壺が生んだ冷泉帝、葵の上が生んだ夕霧、そして明石の君が生んだ姫君
恋に生きると言ってもそれは遺伝子に操られてのことだ。
しかし遺伝子そのものに意志があるわけでもなく存続することが自己目的化している。
それを生存競争に勝利したかのように私たちは語るのだが、
先にも書いたように成功とか勝利が何であるか私にはよくわからない。
一生懸命恋に生きた源氏の世代が過ぎ去ってしまうと何もなかったような静寂が訪れる。
かつて生きていた人はあっという間にいなくなる。
それを無常と呼ぶのも憚られる。