140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

東芝的なもの

2015-08-04 00:05:11 | Weblog
【なつかCM】

「経営陣は実現不能な目標を設定するだけ。あとは「従順」や「忠誠」を代名詞とする
日本の企業文化に任せておくだけでよかった。そこではヒエラルキーの下層にいる人間たちが
上からの言いつけを死に物狂いで実行するのだから」
そんなふうなことが書かれているが、それは何処にでもある風景だと、
東芝に限ったことではないと考えている人がたくさんいるだろうし、
粉飾と言わずに「不適切会計」と報じていることに違和感を持つ人もたくさんいるだろう。
報道のあり方自体がすでに東芝的であり、歴代社長の確執がどうとかいったことくらいしか書けない。
上場廃止にするとせっかく上向いてきた株価やら経済に水を差すのだし、
メディアにおいては重要なスポンサーである東芝さまを粉飾と報じることは御法度だし、
上司の意向に沿わないし、自分の出世を含めた人生設計にそぐわないということなのだろう。
それは日本に固有のことかと言えばそういう気はしない。
いつの時代も、どの国家であっても、権力者の意向に沿った情報操作が行われてきたのだし、
つまりは情報操作を行えるということが権力者の証ということなのだ。
この種の報道の行き着く先は大衆のガス抜きであって、
「不正を行った社員は解雇されてしまうが、不正を行った社長は辞任で済むのは如何なものか?」と
書いたりはするが、いずれみんな飽きてしまうのだ。
そして司法もまた権力の一部であり、相互の権力に干渉しないという程度にしか機能しない。
お互いの地位とか、ヒエラルキーの上層にいる人間がもらえることになっている年金には干渉しない。
そうすることで自分たちの老後は安泰ということになるだろう。
そんなふうにして反吐が出るほど嫌な奴らが権力を持っているのが通常の社会であり、
その権力は元の権力者の地位を保証する者に継承されていく。
そういうのが羨ましければ、明日からは心を入れ替え、上司に向かって全力で尻尾を振るべきだろう。
えっ、もうそうしている?・・・
失礼しました。

そういうわけで今回の教訓は何かというと、
「明日を作る技術の東芝」とか「エネルギー(原子力事業)とエレクトロニクス(半導体事業)の東芝」
といった企業の業績を上げることは「実現不能な目標」になってしまったということではないかと思う。
あるいはシャープというこれまた大企業が底なしの業績不振に陥っていることも同じ事情による。
かつて農業に従事する人口が養えなくなったのと同じように、
エネルギーやらエレクトロニクスに従事する人口が養えなくなって来たということになる。
「20万人の従業員が一丸となれば会社存亡のこの危機をきっと脱出できる」なんて気合だけではどうにもならない。
江戸幕府が抱えていたような不労階級を維持することは出来ない。
将軍の意向に沿っていれば自らの地位も安泰なんてことではなくて
上司の意向に沿っていても共倒れになっしまうというようなことになって来ている。
いまさら転職なんて出来ないというのが大多数の意見だと思うが、
余っているのに米を作っても仕方がないとか、海外の大規模農業に比較して価格競争力がないとか、
そういった言葉が製造業に撥ね返って来ている。
そんな先の見えない時代に役立つ技能というのはエネルギーとかエレクトロニクスではなくて
コミュニケーション能力ということだ。

美は、細部に宿る。

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