県議会議員になって7年が過ぎた。私がいつも考え、取り組んできたのは、自前の後援会をつくることでした。
7年前の1回目の多野郡選挙区は青年部と富岡高OBを除けば、全て借り物の後援会だった。地元吉井町の当時の町長さんの後援会のバックアップ、さらには当時の小寺弘之知事や上野村の黒沢丈夫元村長、神流町の町長さんの支援を受けての初当選だった。
2回目の高崎選挙区での選挙は、強固な後援会組織を確立する事ができず、労組、富岡高OB、吉井町のみなさん、企業関係など、組織というより私との個人的な関係とつながりだけの選挙で、大苦戦の選挙となった。
やはり自前の後援会を持ち、私の理念や行動をしっかりと理解し支えてもらえる強固な組織がないと厳しい選挙を闘い抜くことはできないことを思い知った過去の選挙だった。
自前の後援会と組織がないと、最後の最後の踏ん張りがきかない、頑張りきれない、そして借り物の後援会では、私(角倉)のことより、他のことを優先してしまうことが多々あり、自分の信条を曲げて、借り物の後援会や組織に阿ってしまい、自らの理念や行動を貫くことができなくなる。
それでは、なんのために政治家になったのかということになってしまう。この政治の世界は、真っ直ぐ自らの道を歩めないことの方が多い。しかし、可能な限り真っ直ぐ歩いていくためには、自前の後援会が必要になってくる。
県議会議員になって7年。多くの支援者の皆様のおかげで何とかここにきて自前の後援会体制が整いつつある。さらに後援会組織を強化していく。
昨日は地域後援会あいさつ。ニュースの編集。夜は富高OB会後援会。
7年前の1回目の多野郡選挙区は青年部と富岡高OBを除けば、全て借り物の後援会だった。地元吉井町の当時の町長さんの後援会のバックアップ、さらには当時の小寺弘之知事や上野村の黒沢丈夫元村長、神流町の町長さんの支援を受けての初当選だった。
2回目の高崎選挙区での選挙は、強固な後援会組織を確立する事ができず、労組、富岡高OB、吉井町のみなさん、企業関係など、組織というより私との個人的な関係とつながりだけの選挙で、大苦戦の選挙となった。
やはり自前の後援会を持ち、私の理念や行動をしっかりと理解し支えてもらえる強固な組織がないと厳しい選挙を闘い抜くことはできないことを思い知った過去の選挙だった。
自前の後援会と組織がないと、最後の最後の踏ん張りがきかない、頑張りきれない、そして借り物の後援会では、私(角倉)のことより、他のことを優先してしまうことが多々あり、自分の信条を曲げて、借り物の後援会や組織に阿ってしまい、自らの理念や行動を貫くことができなくなる。
それでは、なんのために政治家になったのかということになってしまう。この政治の世界は、真っ直ぐ自らの道を歩めないことの方が多い。しかし、可能な限り真っ直ぐ歩いていくためには、自前の後援会が必要になってくる。
県議会議員になって7年。多くの支援者の皆様のおかげで何とかここにきて自前の後援会体制が整いつつある。さらに後援会組織を強化していく。
昨日は地域後援会あいさつ。ニュースの編集。夜は富高OB会後援会。