富岡高OBによる2つのイベントの準備が進んでいる。1つは昭和54年卒業の同期会。私も含めて昭和54年卒業生は270人いるが、150人は集めたいというのが呼びかけ人の固い決意である(笑)。
そんなに集まるかなと思いつつも、今回のイベントの幹事長の平野君が言っているのだから集まるのだろう(笑)。
卒業して35年、みんなどうしているのか、当時お世話になった先生も参加してくれるというから楽しみだ。
もう1つは、私が所属した富岡高野球部で東野威元監督にお世話になった、昭和44年から昭和55年卒業のOBにより東野威元監督を囲む会である。
この間のOBは100人で、70人位は集まればと考えている。東野威元監督は、富岡高から前橋商に移り、3回甲子園に出場した。
東野元監督時代の富岡高野球部は、甲子園まであと1歩、2歩まで近づいては跳ね返されたのだが、甲子園を本気で意識して練習に励んだ時代でもあった。
私にとっては、後輩世代は1期だけで、あとは先輩時代である。特に会いたいのは3つ先輩で吉井郁雄先輩だ。
吉井さんは立教大野球部でキャプテン、新日鐵室蘭でもプレーした。当時の我々にとっては神格化された憧れの先輩だ。野球部OBの集いもこれまた本当に楽しみだ。
富岡高OBの2つのイベントが11月にそれぞれ行われるが、心に残るものにできればと考えています。
昨日は、あいさつまわり。
そんなに集まるかなと思いつつも、今回のイベントの幹事長の平野君が言っているのだから集まるのだろう(笑)。
卒業して35年、みんなどうしているのか、当時お世話になった先生も参加してくれるというから楽しみだ。
もう1つは、私が所属した富岡高野球部で東野威元監督にお世話になった、昭和44年から昭和55年卒業のOBにより東野威元監督を囲む会である。
この間のOBは100人で、70人位は集まればと考えている。東野威元監督は、富岡高から前橋商に移り、3回甲子園に出場した。
東野元監督時代の富岡高野球部は、甲子園まであと1歩、2歩まで近づいては跳ね返されたのだが、甲子園を本気で意識して練習に励んだ時代でもあった。
私にとっては、後輩世代は1期だけで、あとは先輩時代である。特に会いたいのは3つ先輩で吉井郁雄先輩だ。
吉井さんは立教大野球部でキャプテン、新日鐵室蘭でもプレーした。当時の我々にとっては神格化された憧れの先輩だ。野球部OBの集いもこれまた本当に楽しみだ。
富岡高OBの2つのイベントが11月にそれぞれ行われるが、心に残るものにできればと考えています。
昨日は、あいさつまわり。