「理想と現実」政治に係わる者が、いつもぶつかる大きな壁である。
「人物戦後政治」石川真澄・著は、前にブログで紹介したことがあったが、昨日のブログの曽我氏の「わが日本社会党興亡史」と並行して読んでいくと、政治における「理想と現実」は、これ以上は絶対に後退できないという基準をどこにおくかということである。
理想なき政治は「×」。しかし、現実にひたすら流される政治も「×」だ。「どこで」「どこまで」頑張れるかが政治家としての私の絶えざる課題。
石川真澄さんの、この本の中で描く政治家は、池田勇人、宮沢喜一、三木武夫、江田三郎、土井たか子等々である。
それぞれが、それぞれの立場で「理想と現実」があったはずである。石川さんの政治における「理想と現実」とは、どんな基準だったのかを推測すると「社会民主主義」の堅持だったと思う。
晩年の石川さんは、1969年発足の民主党を全く評価していなかった。民主党は社会民主主義の思想がないとのことだったのだろう。
土井たか子さんが社民党に残ったこともあり、社民党をとりあえず支持していたようであったが、本音は社民党も「×」だったと思う。
日本に社会民主主義の政治勢力は育つのか否か、あの世に石川さんが逝ってしまった中で、残された私たちに課題は重くて辛いものがある。
昨日は東京で会議。夜は角倉後援会青年部発足会。
「人物戦後政治」石川真澄・著は、前にブログで紹介したことがあったが、昨日のブログの曽我氏の「わが日本社会党興亡史」と並行して読んでいくと、政治における「理想と現実」は、これ以上は絶対に後退できないという基準をどこにおくかということである。
理想なき政治は「×」。しかし、現実にひたすら流される政治も「×」だ。「どこで」「どこまで」頑張れるかが政治家としての私の絶えざる課題。
石川真澄さんの、この本の中で描く政治家は、池田勇人、宮沢喜一、三木武夫、江田三郎、土井たか子等々である。
それぞれが、それぞれの立場で「理想と現実」があったはずである。石川さんの政治における「理想と現実」とは、どんな基準だったのかを推測すると「社会民主主義」の堅持だったと思う。
晩年の石川さんは、1969年発足の民主党を全く評価していなかった。民主党は社会民主主義の思想がないとのことだったのだろう。
土井たか子さんが社民党に残ったこともあり、社民党をとりあえず支持していたようであったが、本音は社民党も「×」だったと思う。
日本に社会民主主義の政治勢力は育つのか否か、あの世に石川さんが逝ってしまった中で、残された私たちに課題は重くて辛いものがある。
昨日は東京で会議。夜は角倉後援会青年部発足会。