地元吉井町の挨拶まわりを続けているわけですが、吉井町の田んぼも毎年毎年小さくなり休耕田も増えています。
写真は神保台地から見た長根田んぼ。むかーし私が小学生の3年生くらいまで6月の田植えの季節になると農繁休暇があり、農家の子供たちは自宅の田植えの手伝いで学校は休みになります。
我々、非農家の子供たちは授業の代わりに農道の整備と草取りにかり出されました。何とも牧歌的な雰囲気で時間がゆっくりゆっくり流れていた事が思い出されます。
長根田んぼは、大切な思い出の地ですが長根田んぼも近く市営の野球場などができ、また風景が変わりそうです。寂しいですね。
神保台地も小学生の頃の遊び場でした。畑をぬって小さい古墳が100くらいあり、どこを掘っても縄文土器が出て来ました。
農業の構造改善事業で大半の古墳はなくなってしまいました。今、考えてみると本当にもったいないことをしてしまいました。
100の古墳群が残っていれば一大文化ゾーンになっていた神保台地でした。我が吉井町の歴史の掘り起こしと継承は大人の責任です。
写真は神保台地から見た長根田んぼ。むかーし私が小学生の3年生くらいまで6月の田植えの季節になると農繁休暇があり、農家の子供たちは自宅の田植えの手伝いで学校は休みになります。
我々、非農家の子供たちは授業の代わりに農道の整備と草取りにかり出されました。何とも牧歌的な雰囲気で時間がゆっくりゆっくり流れていた事が思い出されます。
長根田んぼは、大切な思い出の地ですが長根田んぼも近く市営の野球場などができ、また風景が変わりそうです。寂しいですね。
神保台地も小学生の頃の遊び場でした。畑をぬって小さい古墳が100くらいあり、どこを掘っても縄文土器が出て来ました。
農業の構造改善事業で大半の古墳はなくなってしまいました。今、考えてみると本当にもったいないことをしてしまいました。
100の古墳群が残っていれば一大文化ゾーンになっていた神保台地でした。我が吉井町の歴史の掘り起こしと継承は大人の責任です。