かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2013.9.22 ニコライ堂の鐘の音を聞きながら・・・

2013-09-22 01:43:07 | インポート
息子が夏休み明けのとある日、中学校に行きたくないと言い出し、かみさんから「SOS」があり、あわてて東京へ。

なんで学校に行きたくないかの理由は不明確、休み明けのよくあるサボり症候群だと思うが、親としては気が気ではない。学校に行くことが全て「善」ではないが、不登校になったらと考えると・・・気が重くなるのである。

姉の娘と息子とその夜、じっくり話をし、明日からは学校に行くとなったのだが、翌朝になるとやっぱり行かない、明日からは行くと言い出し、私もプッツン寸前になる。

だが、そこでグッと堪えて子どもを朝の散歩に連れ出しました。千代田区の神保町から猿楽町、駿河台そして淡路町へ。息子とは、たわいのない話をしながらも、なぜか会話も弾むのである。

今はもう高層ビルが建ち、息子や娘が生まれ育った淡路町の長屋はもうない、そんなことを語らいながら駿河台のニコライ堂の前を通り過ぎた時、日曜日の礼拝にあわせて鳴り響くニコライ堂の鐘の音を思い出した。

       

ロシア正教のニコライ堂は戦中、米軍の空襲を受けずに残った貴重な文化施設でもある。 ソ連からの要請を受け、米軍がニコライ堂へ空襲を行わないでと要請があり、近くのわが長屋も残ることができたと言われている。

息子にそんな話をしながら、あの鐘の音を覚えているかと言うと、「覚えていない」の一言。多分へそ曲がりの息子は覚えているのに覚えていないと言ったと思うが、多少むかっ腹であった。

しかし、あの鐘の音は私の気持ちを幸せにしてくれた。あの鐘の音のおかげで日曜日の朝と家族とのひとときを上等の時間にしてくれたのである。まあ、またこんなことを言っても息子に無視されるだけと思い黙っていた。

そこからまた20分、歩いて神保町の自宅に着くと息子はなぜかスッキリした顔をして「明日からは絶対に学校に行く」とポツリ。

その言葉通り、その日から息子も何とか学校に行っている。ニコライ堂の鐘の音にまた救われたかなと思う、幸せの時であった。

昨日は東京で家族と1日過ごす。