かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2011.1.26 TPPと日本農業

2011-01-26 00:35:55 | インポート
「TPP反対の大義(農文協)」JA群馬中央会より送付していただきました。発売時より購入したいと思っていましたが、ありがたく読ませていただきました。

TPP(環太平洋連携協定)について、自治体議員として政治家として、どのように対処すべきかは、その政治的基本姿勢が問われる重大な課題です。

いくつかの論稿の中で、哲学者の内山節さんの「市場の時間、むらの時間」が目をひいた。長くなりますが引用します。

農産物の自由化問題が浮上するたびに、農民団体などはつねにこの動きに反対してきた。ところがこの反対の動きの中には、市場主義そのもので生きてきた団体が含まれているのである。つまり、農業とは何か、地域はどうあったらよいのか、生産者と消費者はどのように結んだらよいのかといったことを真剣に考えることなく、市場のなかでの自分たちの経営のことだけを考えてきた人々が、自分たちの経営にとって不利になる市場開放がおこなわれようとしているときだけ、市場主義に反対するという現実がたえず日本では展開されてきた。そのことが農民の動き全体に対する誤解を生み、不信感を拡大させてしまった。

さらに一次産業や地域、生産者と消費者の結びつきなどに対して真剣な検討をおこなってきた人々は、すでに市場にすべてを委ねるのではなく、自分たちの手で、新しい農業や流通のあり方を創造する試みを重ねてきているという現実もある。今日都市の消費者でありながら農業、農村問題などを真面目に考えている人たちは、何らかの方法で市場だけに依存しない農産物の獲得方法をもっているから、TPPがどうなろうとも農山漁民とともに生きるという姿勢に変化は生じないだろう。皮肉なことにそのことがまた、TPPへの反対運動を盛り上がらないものにしているという、このような現実もまた存在しているのである。

日本の農民たちは、自然の時間とともに生きてきた。自然力を借り、自然とともに労働をしてきた。この労働のあり方が農村をつくり、さまざまな地域文化をもつ「むらの時間」をつくりだしてきた。それは市場経済がつくりだしてきた時間世界とは違う。市場経済がつくりだした時間は時間あたりの経済価値の生産を最大にもっていくためのものであって、そこでは自然も、暮らしも、地域も、文化も無視されている。

だから「むらの時間」を大事にしていく都市と農山村の結びつきが何よりも重要になる。すでに進行しているこの試みをどこまで拡大、定着していけるのか。この脈絡のなかで語らなければ、TPP反対も市場の横暴と対決するものにはならないのである。


いわんとしてことは、TPPに参加、不参加でも現状のままでは、時間差はあっても日本農業はいずれ、さらに衰退、停滞していくのであります。

TPP問題は崖っぷちの日本農業が、崖っぷちであることをあらためて認識する契機なのであって「市場の横暴」と対決する「もうひとつの日本農業」のあり方を具体的に提示しない限り、前に進まない本当に難しい課題となっている。

6月には菅政権は結論を出すというが、時間が短すぎるのではないか。

昨日は早朝街宣、高崎あいさつまわり。