宮沢喜一元首相が、自著の「社会党との会話、ニューライトの考え方」(1965年 講談社)の中で、保守の定義を「保守とは立ち止まること、立ち止まって考えること」としているという。含蓄のある言葉である。
しかし現在は、保守であっても「歩きながら、考えること」いや「走りながら、考えなければならない」時代であるかもしれない。スピードにいかに対応するかは、現実の政治の中で極めて大切になってきています。
何か行った時にスピーディーに対処しないと、ギリシャの財政危機にあるように大変なことになってしまいます。
ただ、立ち止まることは出来ないが、絶えず予防的措置を講じること、危機を事前に察知し対策を講じることは可能なのかもしれない。
私は保守主義者ではないが、もし保守思想が生き残れるとしたら、時代に対して黄色信号を発し続けることが出来るか否かにかかっているのではないか。
昨日は小寺宣伝カーとあいさつまわり。夜は懇談会。
しかし現在は、保守であっても「歩きながら、考えること」いや「走りながら、考えなければならない」時代であるかもしれない。スピードにいかに対応するかは、現実の政治の中で極めて大切になってきています。
何か行った時にスピーディーに対処しないと、ギリシャの財政危機にあるように大変なことになってしまいます。
ただ、立ち止まることは出来ないが、絶えず予防的措置を講じること、危機を事前に察知し対策を講じることは可能なのかもしれない。
私は保守主義者ではないが、もし保守思想が生き残れるとしたら、時代に対して黄色信号を発し続けることが出来るか否かにかかっているのではないか。
昨日は小寺宣伝カーとあいさつまわり。夜は懇談会。