遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『狂信者』  江上 剛   幻冬舎

2015-02-15 17:38:13 | レビュー
 フリーライターの堤慎平にインタビュー取材の仕事が入る。『毎日が投資』という投資雑誌の編集長からの依頼である。雑誌広告のような取材の類いなのだが、インタビューの対象はユアサ投資顧問の湯浅晃一郎という人物。この湯浅晃一郎は取材嫌いであり、基本的に取材は受けないという。自分の学歴すらマスコミに明かしたことがない人物なのだ。一方、堤は自ら金融は素人と自覚しており、年金運用、年金基金、投資顧問などについての素養がない。インタビュー取材のための最低限の準備をして取材に行くことになる。
 編集長は、読者目線でよく、「なまじいろいろなことを知っていうより記事賀面白くなるから。まあ、湯浅にインタビューして、人が投資したくなるような記事を書いてくれ」(p23)と言う。
 その堤はユアサ投資顧問の入るビルを訪れ、オフィスと組織体制などを案内を受けるとともに、湯浅晃一郎にインタビューして、彼が東大の経済学部で97年卒であるという取材も行うことになる。そして、なんと初めてのインタビューにも拘わらず、湯浅からインタビュー取材の後、突然に入社をオファーされるのだ。「あなたは非常に素直なお人柄のようで、また好奇心が旺盛なところも大変気に入りました」「年収は、とりあえず最初は1000万程度で如何でしょうか?・・・」(p40-41)と。だが、そのオファーには湯浅晃一郎にとっての理由が存在したのだ。

 慎平には早稲田の同窓生で学生時代からの恋人がいる。国本美保という。慎平はマスコミ志望で業界各社を受けたが採用されず、フリーラーターになった。そしてやっと3年ほど前から堤慎平の名前で雑誌に記事を書くようになってきたが、満足な生活ができるレベルではない。一方、美保は経済専門の大手新聞・産業日報新聞の経済部記者。入社7年目の29歳で、日銀や金融庁が専門で、遊軍的な仕事をしている。慎平に比べ生活は安定している。
 1000万の年収のオファーという魅力があり、湯浅晃一郎という人間にも惹かれた慎平はユアサ投資顧問への入社を決断する。美保はそれには反対した。そして、慎平との交信を中断する。なぜか?
 美保は経済部記者としてユアサ投資信託が成績が良すぎることを不審に感じているのだった。他の投資顧問がみんな成績を悪化させていときでも安定している点が逆におかしいと捉えている。慎平に湯浅晃一郎へのインタビュー取材の仕事が入る前から、この会社を調査してきていたのだ。美保は調査取材過程で、美保の関心事に唯一きっちりと対応してくれる三崎数馬と接触し、必要と感じる情報を提供し、コミュニケーションを保ってきた。三崎は財務省から来て金融庁監督局で証券関係を担当するエリートである。美保の疑問を介して、三崎もユアサ投資顧問には着目しているのだ。
 そして、美保が書いたコラム記事が新聞社の系列である『年金詳報』に掲載される。それはバーナード・マドフが関与したとされる巨額詐欺事件にからめて、日本の年金基金運用に目を向け、暗にユアサ投資顧問の運用業績の良さに疑問を投げかける形の記事だった。
 この記事がトリガーとなり、ユアサ投資顧問という会社及び湯浅晃一郎を軸としながらストーリーが展開していく。
 広報部長として入社した慎平は、会社の組織体制の実態と湯浅晃一郎の態度・行動などを徐々に理解し始める。湯浅晃一郎という人間に一層関心を深めていくとともに、ジャーナリストとしての心が動き始める。美保は慎平から聞いた「東大経済学部97年卒」という情報により、三島からこの年次卒業生リストを入手する。美保は慎平にそのリストに載る湯浅晃一郎の出身地を調べて欲しいと頼まれる。慎平にはさらにジャーナリスト気質が沸き起こってくる。それが第2のトリガーとなっていく。

 この小説は、日本の年金制度における厚生年金基金の破綻問題という金融経済事象を題材にしている。存続する複数の年金基金が大義名分としては常時儲けるユアサ投資顧問の湯浅晃一郎を救世主の如くにとらえ、年金基金の資金運用を任せていく状況を描き込んでいる。ここに登場する年金基金関係者がユアサ投資顧問に群がり、湯浅晃一郎を狂信するのは、儲けさせてくれる対象だからである。湯浅晃一郎を介し、この会社が常時儲けているのは彼らにとって、怪しさの対象では無く、欲望の対象だからだ。儲け損なわないでいられるありがたい存在なのだ。ユアサ投資顧問の運用が不正かどうかは、年金基金関係者には関係がない。「儲けさせてくれる間は、正義だからだ。不正をしているか、いないかは自分とは関係ない。とにかく儲けて、怪しいと思えば手を引けばいいのだ」(p153)儲けさせてくれるという意味合いは組織のためにだけではない。そこには個人の欲望が色濃く蠢いている。また湯浅は冷徹にその個人の欲望を満たすということを手段に利用していく。
 底流には、国の年金制度と厚生年金基金の実態並びに金融経済の仕組みの一側面がテーマとなっている。厚生年金基金がなぜ破綻状況に陥ったか。それが今どうなりつつあるか、を語る。一方で、投資顧問会社の存在、国際金融経済の一側面を描き出していく。英領バージン諸島というタックスヘイブンを利用した海外設定の私募ファンドによる資金運用という構造である。しかも、そこにはまた裏が仕組まれていたという・・・・・・。そこには著者の金融業界経験と情報が豊富に裏打ちされている感じである。事実の局面とフィクションが巧妙に織りなされているようである。
 ここには官僚体質並びに天下りの構造への痛烈な批判が込められているように感じる。 もう一つ、美保と新聞社の編集長との対話を通して、「本当の事を書けるか」というテーマをも投げかけている。

 小説としての表のテーマは3つあるように思う。
 第1は個人の欲望が狂信者を生み出すということだろう。欲望を満たしてくれる対象にはまり込んでいくという実態。
 第2は、湯浅投資顧問という会社で描き出される「投資」の実態解明プロセスを描く。それは底流のテーマとコインの両面である。
 第3は「自分探し」というテーマである。湯浅晃一郎の「自分探し」であり、結果的に慎平の「自分探し」の局面にもなっていく。「プロローグ」の描写は、この第3のテーマに関係していくものである。このプロローグ、最終段階になってその意味が明瞭になっていく。ミステリーとしての謎解きへの布石だったのだ。

 最後に、この小説に書き込まれた文章で、興味深いものをいくつかご紹介しておきたい。この小説のテーマとも深く関連しているものである。
*でもこの「絶対」を信じるのは、会社という組織に属している人の傾向と言えるかもしれない。・・・・会社という組織に属すると「絶対」の信者にならなければ生きていけない。会社組織を相対的に観察するような人間は、組織で生きることはできない。・・・・誰もが会社組織で生きるために、どこかで不安定な思いを残しながらも「絶対」を信じるように努力しているのだ。  p154
*政府は、年金基金の問題に真剣に取り組まない。ただ解散しろと言うだけだ。でも解散したくたってできないんですよ。だから運用をうまくやって、また景気が回復して、株価が上がることを期待するしかないんです。それを先送りだとか何とか批判する人はいるでしょう。しかしそれしかない。  p205
*多くの人は他人より楽して金儲けをしたいと思っています。そしてそういう機会に恵まれ、主催者から、このことを秘密にしておきなさいと言われれば、秘密にします。他人に知られて儲けを持っていかれたくないと思うからです。騙そうとする人間は、そうした人の心理につけ込むんです。  p302
*その基金の責任者は、運用など知らないにもかかわらず、知らないといえない業界のボスだったり、ポスト維持に汲々とする天下り官僚だったり、彼らは、そのプライドをくすぐられたり、遊興の面倒を見てもらったりしています。とにかく訳が分からなくても運用さえうまくいき、自分の責任が問われないなら、それでいいのです。もっと厳しいことを言えば、徹底してうまく騙してくれた方がいい。騙された時に損害を受けるのは、基金の資金です。自分の資金ではない。そしてうまく騙してくれれば、防ぎようがなかったと言い逃れもできるんです。   p302
*最終段階で詐欺師の餌食になった者たちが、いつも本当の被害者となる。初期段階で手を引いた者たちは、大きな利益を勝ち得ることもある。だから詐欺事件はなくならない。なぜ騙されるのか。それは自分だけは騙されない、騙されていないと思い込むからだ。そう思った時には既に騙されている。  p318
*欲望が人を狂わせるのは、いつの時代も真実だ。湯浅たちは、人の欲望に取り入る連中だが、それにしても国は彼ら以上の詐欺師だ、と思う。年金なんてものは、国が、庶民に幻想をふりまいているだけじゃないか。完全に破綻しているにもかかわらず、まだまだ大丈夫だと言い、勧誘を続けている。これを鷺と言わずして何を詐欺というのだろう。 p359

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この作品との関連で関心事項をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

公的年金各制度の財政支出状況  :「厚生労働省」
年金の財政検証による将来見通し 2015.6.5 :「みずほ総合研究所」
年金基金の財政状況等 (平成20年度~平成24年度)  厚生労働省
厚生年金基金制度-2-財政 :「Pmas」
国民年金基金についての私的提言  :「Stairway to Heaven」(橘玲 公式サイト)
企業年金基金 ホームページ
厚生年金基金の財政検証の見直しに係る要望事項等について  企業年金連合会

イギリス領ヴァージン諸島 :ウィキペディア
私書箱957号に気を付けろ! :「(行政書士+税理士+会計士)×コンサルな記録」
「あやしいファイナンス」の見分け方  :「isologue」


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