遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『原発を止めた町 三重・芦浜原発三十七年の闘い』 北村博司  現代書館

2011-11-16 21:01:29 | レビュー

 本書は2001年9月に出版され、2011年4月に新装版として再刊されたものだ。3.11が改めてこの本発刊の契機となったのだろう。私は3.11がトリガーとなりこの本を手にした。
 関西電力圏に住むこともあってか、中部電力に絡むこの芦浜原発計画阻止の長き闘いの存在を、正直なところ知らなかった。原発の概念・表層的な状況に関心を寄せてはいたが部分的関心を超えてはいなかった。日常生活で原発問題と対峙する人々の存在とその実態に対する意識が乏しかったのが根底にあると反省している。また、関西圏の新聞報道で、三重県内の日常闘争の記事を目にすることも多分少なかったのではないだろうか。

 副題に三十七年の闘いと記されている。
 本書は1963年から1986年2月までの23年間を扱った『芦浜原発はいま』(1986年刊)の続編として位置付けられている。それ以降の1986年~2000年の期間を本書は記録している。本書末尾に44ページに及ぶ「芦浜原発史年表 1962~2001年」が掲載されているので、本書だけでも闘争期間全体の経緯と闘争のすさまじさを大凡理解することができる。
 原発計画現地において現実の日常生活に組み込まれた反原発闘争がどういう実態だったのか、さらにその延長線上に現在があることに思いを致すことの重要性を感じる。原発から生み出された電気だけを享受してきた都会生活者-私もその部類に入る-は、3.11を機会に、少なくとも一冊、反原発闘争の本を読んでおくべきだと思った次第である。
 その実態を踏まえて、「それでも原発の電気が必要ですか?」という問いに繋がっていく。

 本書は原発闘争終焉から時を遡る形で構成されている。こんな具合である。
第一部 芦浜原発の終焉(2000年2月22日)  
 「北川知事白紙撤回表明」の終焉に焦点を当てその最後の段階を記録する。
第二部 白紙撤回への道(1994年11月~1999年)
 中部電力による海洋調査申し入れから知事の現地調査を経た芦浜幕引きの予測まで。
第三部 古和浦漁協攻防戦(1986~1994年10月)
 芦浜海岸にある町の一つ南島町古和浦の漁協内部における原発反対派と推進派の攻防を記録する。芦浜原発反対の原点だった古和浦漁協が推進派に破れ「反対」の旗を降ろすまでの経緯を克明に記録する。もう一つの町である紀勢町は、紀勢単独立地誘致すら展開する推進派の立場で、「火種は今も続いている」と筆者は記す。

 本書は原発反対闘争の展開を事実にもとづいて実に克明に記録している。原発反対派・推進派の両関係者の行動の事実と経緯展開を詳細に記述する。主要関係者の実名が記載されているのでその発言は最小限にとどまり、当然のことであるが筆者による関係者の本音や心理の推測は排されている。また、芦浜原発に関わる反対派・賛成派の組織グループが各町村や各漁協それぞれに、あるいはそれらの連合レベルで組織化され、そのためやたら多くの名称がでてくる。そういう点で本書を通読する際読みづらかったのは否めない。(全体がなんとなく理解できて再読するなら、読み方が変わるかもしれない。)
 
 ウミガメの故郷である芦浜海岸に原発計画の話が持ち上がる。反対で結束していた組織が反対闘争の過程で世代交代したり、分裂分派したりする。漁業経済環境の悪化の中で人々の生活状況の変化や心理変化が起こる。反対派で活動した人が、推進派に転回することも起こっている。反対派・推進派の組織が、長い闘争史の中で新たに生まれる。壮絶な闘争が日常生活に組み込まれ常態化した地域社会が描きだされている。 
 闘争の変遷過程はご一読いただくとして、本書を読み、感じたこと、思ったこと、疑問点などを箇条書きにしてみたい。

*県の曖昧な対応が、37年に及ぶ推進、反対の対立を激化させ地域破壊を促進させた気がする。白紙撤回において、交渉過程で交わされていた確認書・覚書が果たした重要性は特筆すべきだ。また、町民投票条例の制定が直接民主主義として機能すれば有効な手段になり得るのがわかる。さらに芦浜原発阻止に対し、81万人余の県民署名が知事に手渡されたという。県内有権者の署名は、「75万4216人で、県内の総有権者数141万人の過半数を超えた」という事実は重い。これは原発問題に対する国民投票という問題提起に通じるものだと思う。

*法令や行政指導が変わると、状況が急変することの怖さを改めて知った。「特に、国や県の行政指導の基準が変わったとしても、ほとんど報道されず、関係者以外は知らないのが普通だ」一般人は普通、公告をつぶさに読むなんてことをしない。どこで公告されているかも認識していないのが実情だろう。政府の官報すら、余ほど関心事項でないと読む気もしないくらいだから。
 著者は1994年5月31日に公告された「三重県環境影響評価の実施に関する指導要綱」を当初知らなかったと記す。環境アセスメントの実施手続きとしては、その第二条に「知事及び関係市町村に通知しなければならない」と規定するだけだった点を事例にあげている。この規定では通知すればよく、知事や町長の同意はいらないという解釈になる。一方で、県は住民との間で「四原則三条件」の一つに「地域住民の合意」を掲げていたのだ。こんな矛盾が平然と行われているということもあるのだ。

*原発を前提として、中部電力が海洋調査を申し入れ、漁協が受け入れた途端に、中部電力が漁業補償金と協力金を各漁協に振り込んだという。海洋調査を開始すると漁業に影響が出るという理由からなのだろうか。それは合意を取り付ける単なる名目だけなのか。
 白紙撤回後、返還問題が表面化したが決着していないという。 漁業補償金と協力金は、億単位の額だ。「その時点で、反対派も含めて全組合員に、二百万円と三百万円ずつ配分されており、受け取りを拒否したのは、錦漁協に二人いただけである」そして、「中部電力は一応、返還を求めていたが、漁民は返すつもりもないし、取り立てられるとも思っていなかった。現地記者もほとんどが承知していた話である」と著者は記す。金が大きく動いているという事実。

*「ただ、どこの反対運動でも中核になる漁民の動きはにぶい。」と著者は記す。なぜ、そなのだろうか。(明確な理由は記されていない。)

*1963年から始まった反芦浜原発闘争史の過程で、大きな節目になりそうな原発事故があった。それでも止まることなく闘争が続いてきたのだ。一つは、1986年4月のソ連チェルノブイリ原発の大事故だ。この時、紀勢町議会に初めて「原発反対」議員1人が当選するという状況が起こり町内外を驚かせるという一方で、大事故半年後の10月には原発推進講演会開催され推進派の攻勢が目立ち始める。このとき反対派漁民は海上デモを実施したという。
 二つ目は、1999年9月の東海村臨界事故だ。その5日後に隣接の紀伊長島町議会が、原発広報安全等対策交付金を使って、二泊三日の原発視察に福島県の広野町でかけていた。同時期に大内山村議会は北海道の泊原発を視察していたという。一方、「11月16日に、北川正恭知事が、紀勢、南島両町に入り、賛否両派住民から直接、原発問題の聴き取り調査をすることになったという」何と、芦浜原発計画浮上後、36年にして「県知事が初めて現地入りした」のだとか。この行動を著者は「南島の芦浜原発幕引き」と予測したという。それまで36年間、県は何をしていたのだろうか。

*原発推進を主導してきた中曽根康弘氏を団長とする衆議院科学技術特別委員会の芦浜現地視察団の視察を実力阻止し、反原発闘争のリーダー達が起訴された「原発長島事件」(1966.9.19)及び推進派と反対派の漁民がけが人を出す乱闘に発展した「羽下橋事件」。反対運動をするリーダーが推進派との対立から二度も自宅を襲われる事件。駆けつけた警官は、暴漢の身柄を拘束せず自宅に帰したという。ワープロやコピー印刷した新左翼の機関誌「前進」が漁業組合正組合員の家庭に次々送付されてくる。組合員名簿にもとづくことは明らかなのだ。しかし筆者の確認では新左翼のこの派は関与していないと否定した事件。また、漁業組合長の自宅に次々といやがらせ宅急便が送り届けられる。何者かがゴム印を使い注文して自宅に送らせるという悪質な手口の事件などが起こっている。
 闘争過程の熾烈な一幕が様々に記録されている。その過程で、反対派から推進派に転回する人たちも現れている。様々な要因が絡むのだろうが、関与する人々の信条も揺れ動いていくようだ。
 古和浦漁協総会において会議が紛糾混乱し、推進派漁民が退場、その中で自分で切り落とした左手小指を持って戻り、議長席の前に置いて去るという行動すら起こっている。
 これら、闘争過程の壮絶な様相には愕然とする。

*1986年12月、養殖ハマチ事業を生活基盤にする漁民の多い南島町にとって打撃の大きい報道番組が東京のテレビキー局の一つで放送されたという。「養殖ハマチは薬漬けのうえ、漁網防汚剤として使われていた有機スズ(TBTO)がハマチの奇形を起こす原因だ」というハマチ・バッシングの発生。この番組は当該地方では放送されなかったとのこと。全国紙が「警鐘」を鳴らすこともしたらしい。マスメディアの報道が、養殖ハマチの単価の大暴落を引き起こす。そこにはやらせの疑いがあったようだ。
 漁民の生活基盤を不安定化し、原発推進の方向へマスコミを情報操作の道具として使うという策謀が潜んでいそうな気がする。

*中部電力は上記の補償金・協力金の他に原発推進のために様々な手段を併用してきたようだ。それにしても金をふんだんに投入しているような気がする。
 ・紀勢町錦の玄関口に大型サービスステーションと独身寮の建設。総事業費11億6000万円という。ちょっとした公民館なみの規模らしい。(それほど金をかける必要があったのか。)
 ・漁業不振の状況が出てくる中で各漁協の運営が厳しくなっていく。中部電力が各漁協に対し、5000万円から数億円の預金を実施していく。数十億円という預金例も記録されているようだ。
 ・町から頼まれれば、様々に寄付をする。商工会や森林組合への寄付もなされていた。
 ・中電立地環境本部の芦浜担当グループとして各地域に担当班員を増員していく。現地に入り、推進PR活動をする社員、いわゆる「工作員」だ。PRと併せて情報収集をする。
 ・(原発)先進地視察の見学会勧誘を活発に実施
 ・通常の営業活動の形をとったイベントや文化講演会を多く実施する。

*原発計画が立案され立地場所の目処が立てられるや、その時点から国家の交付金がスタートすることを初めて知った。本書には、「この年、紀勢町には原発関連交付金が、広報安全等対策交付金、地域振興推進対策補助金、漁業資源調査補助金、特定地域振興対策補助金の四つを合わせて、4000万円が入っていた。南島町は、竹内前町長が、地域振興推進対策補助金900万円と、特定地域振興対策補助金600万円に限って受け入れていた。通産省は、新しく温排水対策補助金などの制度拡張を打ち出しており、・・・・」と記している。(この年というのは、文脈からでは1992年のことと推測した。)
 国は原発推進の手段として交付金攻めをしている実態が読み取れる。つまり、税金が様々な名目で使われているのだ。

 この闘争史を読み進めていくほど、闘争の生々しさ、壮絶さが伝わって来る。その事実のほとんどがマスコミの全国報道には載らず、一地域にとどまるか、限定的報道になっているところに、マスコミの限界があるのかもしれない。報道はなされていても、全国には伝わりにくい。限定的情報操作のようなものすら感じてしまう。情報の断絶そして安全神話の流布が無知・無関心を生む。
 事実を知るための情報を自ら求めて行かないと、やはり断絶の壁の前で佇みとどまることになるのだろう。ありは、それすら意識に上ってこない。改めてその怖さを感じる次第だ。
 「序にかえて」に著者はこういう文を記している。とても印象深い。
 「一昨年も、昨年も、数は少なくなったが、母ガメたちがやってきて、卵を産み落としたという。マスコミも近寄らなくなった。彼らにすれば、『原発がらみ』でなければ意味はない。」

 3.11の福島第一原発の爆発事故以来、芦浜の原発推進派の人々はどいういう思いを抱いているのだろうか。


ご一読、ありがとうございます。

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本書を読了してから、関連情報をネット検索してみた。

芦浜原子力発電所 :ウィキペディア

「長島の自然を守る会 スナメリ通信」
2009/6/11 芦浜原発 計画断念まで37年の闘争

原発反対三重県民会議  1997年10月4日  於:サンワーク津
97年総会への報告と提案

「芦浜原発断念」と日本の原発建設計画 [総合] 2000年3月2日
「エネルギー政策の見直しを-新聞論調」こんな見出しが最後の段落に掲げられているが、この記事以降、3.11以前までに原発が3基(51→54)増えたことになる。

紀勢町住民主権の会の記録
1994年~1997年の状況の一端を知る資料になります。

芦浜縦横無尽 「どらんくとーちゃんのDIY日記」から
個人日記ですが、芦浜海岸の景色が撮られていて、参考になります。

「社会科学者の時評」から  2011.7.21
第3回「カネで推進,転換点〈原発国家〉中曽根康弘編3」(『朝日新聞』2011年7月19日朝刊)
「長島事件」のことが記されています。本書と違ったタッチの記述なので重ねて読むと役立ちます。リアル感がさらに出ます。

ちらっと「しんぶん赤旗日曜版」
2011/08/15 原発計画止めた・全国にたたかいの歴史、三重芦浜にみる
「原発を断念させた地域」の全体図と芦浜の当時の状況の記述がある点、この記事も重ね読みする参考になります。

「記事の裏だって伝えたい」 フリージャーナリスト 樫田秀樹氏のブログ記事
原発に反対するわけ。その2「地域を壊す」
地元住民の証言が載っています。

「たかふさんのマイページ」
原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話
2011/06/05 14:33
南伊勢町議会の議員・上村康広氏の講演内容の概略を記されたもの。

海亀の来る浜 ('92年1月初稿/改筆'96年12月)  山川和基氏
28年目の芦浜原発計画
闘争プロセスのある局面の状況がわかりやすい。重ね合わせ読みに有益です。


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