平成22年から「ウオーキング会」に参加させて貰っている、リーダーお二人の、お一人は各地を歩き山も愛していて地理に詳しく、もうお一人は勉強家であり、図書館へ良く行かれ、各地の名所 旧跡を調べられ、都内の建物名 会社名をすべて教えてくれる、近郷の地理も詳しく、名所旧跡へも案内してくれ、その故事来歴を教えてくれる、大変勉強になる。 毎年5~6回各所へウオーキングで歩くが、平成23年からは、年初のウオーキングは、各所の七福神巡りを遣る、もう 六回と各地の七福神を巡った、42の神社仏閣をお詣りした御利益か、風邪ひきも腹痛も起こさず、40年以上1日として 寝た事がない、七福神巡りの他にも、ウオーキングと云うと、各所の神社仏閣へ行くことが多く、都内 近郷の有名社寺も随分参拝した。 リーダーダーが下見を行い、道を間違わずに案内してくれ、小生はみなさんの後ろをとぼと |
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H22.1.18日に秩父「音楽寺」ほかを歩いたが、この時は七福神巡りではなかった。 明治17年10月31日秩父事件が起きて、この音楽寺が一つの拠点となり、ここから農民が山を駆け下り、秩父事件は 始まった、この石碑には「我々は暴徒と云われることを、拒否する」と書かれている、貧困による、止むにやまれぬ農民 商人が貧困打破を、政府に訴えた事件だった |
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H24年1月11日 神田界隈の七福神巡り、神田明神は江戸時代ら信仰が厚かった神社で、今でも年初仕事始めには、数万 数10万人の会社経営者やサラリーマンの参拝が有る。 |
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H25年1月25日 浅草界隈七福神巡り、浅草寺は正月と云わずいつ行っても賑わってている、近くには,昔吉原の遊郭が有り、明暦三年の江戸大火には、今は埋め立ててなくなっているが、「弁天池」へ花魁 女郎が火を避けて大勢池に入り焼死した、供養塔が建ち弁財天が祀られている | |||||||||
H26年1月7日 日本橋界隈七福神巡り、日本橋七福神は著名な神社は少ないが、近くの旧日銀内を見学する機会を得た | |||||||||
H27年1月13日 旧東海道品川宿界隈の七福神巡り、道幅は昔の東海道と変わりはないが、宿場の面影を留めるものはほんの僅かだが、旅人で賑わった頃に思いを馳せる事はできる。 此の七福神の先に「鈴ヶ森刑場跡」がある、火炙りの鉄柱を立てた丸い穴の空いた礎石 磔台の木柱を立てた四角い穴の礎石や供養塔その他の遺跡が残り、処刑された人の怨念が残るのか、薄寒さを感じる。 今は車の通行が激しい道路に面しているが、その昔夜など薄気味悪くて、近くを通ることなどできなかっただろう |
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H28年1月6日 目黒界隈七福神めぐり、江戸時代に発達した七福神巡りも、この目黒不動尊を中心とした七福神は、初期の物と云われ、今も根強い信仰を持っている | |||||||||
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