老いて楽しく

余生を楽しむ

栄枯盛衰

2019-07-06 15:19:39 | 日記
大型店も小売店も生き抜くのは大変だ
 

我が家の駅周辺の商店街で閉店が相次ぐ、何故だろう今年になってばたばた閉店した、小手指駅から半径50mくらいの所にハンバーガー屋が3軒あった、駅前に「バーガーキング」30m程離れた所に「モスバーガー」その斜め前道を挟んで、マクドナルドがあった、小生も時々ハンバーガーを買いに行き、店内は大勢の客でそれぞれ繁盛していた。

マクドナルドは2年弱前閉店、モスバーガーとバーガーキングは5月と6月相次いで閉店、繁盛していたと思ったが何故だろう、ハンバーガーも食えなくなってしまった。

同じ駅近くに靴のチエーン店「テイクワン」が3月閉店、建物を解体今は駐車場になっている、焼き肉チエーン店「安楽亭」も春に閉店同じく更地になっている。
平成26年7月8日開店した、弁当屋の「ほっともっと」も5年ほどでH31.3.31に閉店した道路の斜め前に西友があり、各種弁当 調理パン うどんそば スパゲッテイ等何でもあり、客足が伸びなかったか。

商店街を歩いていると、アレいつの間にかこの店が変わっているなんてことはよくある、大型店舗にしても、個人商店でも生き抜くためには大変だ。

今朝新聞の折り込み広告に、所沢のイオン(前ダイエー)が閉店の広告を載せていた、昭和56年1月26日開店、所沢に大型店舗がなく、開店から暫くは大変な賑わいで、店内整理の警備員を配置し混雑を整理して、大変繁盛していた。
その後にプロぺ通りに丸井が開店、メンズ館 レデイ館等近代的の様に見えたが、何時行っても客はまばら、数年で閉店、駅西口には昭和61年4月26日所沢西武 ワルツが開店、イオンは駅から少し距離があるせいか、客足は次第に減少、所沢東口には昨年 グランド エミオが開店、更に客足の減少につながったのか。
ダイエーは10数年前に閉店を宣言したが、所沢市や近隣住民が存続を希望し、創業者 中内 功氏の英断で存続したが、イオンに移行後、地の利不利だったか、弓折れ矢尽きたか。

昭和36年当時所沢の繁華街といえば、日吉町商店街(プロぺ通り)曽根の交差点から、市役所へ向かう所沢銀座(ファルマん通り)がアーケードを備え、映画館もあり蔵造りの商店が軒を連ね、人通りも多く繁盛していた、市役所が航空公園に移転して、人通りがガクンと落ちた。

昭和36年代当時所沢市の人口も6万人台、日吉町商店街は、地方都市の田舎臭い商店街だが所沢市の一番の繁華街、小生が所沢へ転居して58年大きく変貌し進展 近代化していい商店街になった。
36年当時から残っている店は只2軒「イセキ衣料品」「島田印房」のみ、あとは全部店が入れ替わった。

 
昭和30年代後半の日吉町商店街(現プロぺ通り)人口も少なく、まだひなびた商店街だった。   所沢市史より拝借
 
当時からあった衣料品店、「いせき」(平成26年1月3日写す)今は3階建てのビルになっている
 

昭和30年代からほとんど変わらぬ島田印房、(平成26年1月3日写す)58年間変わらず営業している2店、半世紀以上店を維持するには大変な努力、   現在のプロぺ通り早朝の為 人通りが少ない

 
昭和56年1月26日所沢に始めて大型店舗開店、当時のダイエーマーク、後にイオンマークに替わる、令和1年9月末閉店見込み、38年の歴史に幕を下ろす
 
昭和61年4月26日所沢駅西口に、西武 ワルツ開店、駅近とネームバリューは大きい
 
平成26年7月8日に盛大に開店、開店から暫くは物珍しさで繁盛する、スーパーの冷えた弁当より、あったかいうちに持って帰れるので、我が家も重宝していた、昼時 近くに仕事に来ていた職人がパラパラと買いに来ていたが、客足は伸びなかったようだ、平成31年3月31日で閉店した
 
平成30年3月2日グランドエミオが、所沢東口に開店した
 
開店当日の人の賑わい、所沢駅周辺の再開発を続行中、駅近くに大型店舗ができると、客足を吸収してしまうか
 

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