所沢yへ転居して55年になる、アット云う間に半世紀を過ぎてしまった、現役時代は神社参拝の余裕もなく、所沢の氏神様へも参拝する事も少なかった、定年退職後は少し心のゆとりもできて、毎年元日には鎮守様神明社へ初詣を欠かさない、だが節分の豆まきに行った事がなく、今年ふと節分祭に行って見ようと思い立った、思い立ったが吉日、こんな事を急に思い立つと云うのは、もうこの年になると、この世に存在するのもあと僅か、初めての事を体験しておこうと、そんな事が心の底流にあったのではないか、時間は分からぬが午後だろうと思い行って見た。 |
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神明社拝殿を脇から見る、普段正面からしか見ないが、重みを感じる拝殿 | 樹齢百数年を経た古木に囲まれた奥殿 |
拝殿から奥殿を写す | 昭和6年35円寄贈の石碑、当時の普通給与生活者は月給60~70円程、100円の給与を貰う人は高給取り、 当節で云えば、普通サラリーマン月収40~50万円程の半額、20~25万円ほどの寄付、それでこんな石碑を建てたら赤字ではないか、何かそれなりの謂れが有る石碑なのか |
皇紀2600年記念碑 昭和15年(1940)今時の若い人に皇紀などと云っても分からないだろう、神武天皇が即位した日から数えた年号である、大東亜戦争勃発の前年で、盛大な祝賀会が有り、昼間は旗行列、夜は提灯行列、都電は天をも焦がす程の装飾と明かりを灯した花電車4~5台が都内を走り回ったすばらしい祭典だった。その時歌われた歌は、 |
脇には7つの社を合祀した祠が有り |
キングレコード所属の歌手だそうで、小生名前も知らない | 舞台から降りてきて偶然真近で見た |
歌を聴く観衆 | 家内安全 家族健康 合格祈願などの絵馬が多い中こんな願いも |
焼き餅と焼き烏賊が振る舞われる、長蛇の列 | 序に甘酒もサービス |
所沢出身の力士「大輝」南小 南陵中学 栄高出身数々の優勝を記録、角界でも期待される力士 大成して欲しい、それにしても大きい | 子供が大きく丈夫に育つよう力士に抱かれ大泣き、お母さんはVサインで大はしゃぎ |
いずみ町の子供太鼓連の演奏 | 神主さんに紹介され、口をへに字に結び緊張する所沢藤本市長 |
豆撒き始まる | 張り切った市長裃が脱げそう 右端の人 |
遂に裃が脱げてしまい、神主さんにひやかされる、藤本所沢市長 後ろの人も微笑んでいる、この元気で所沢を元気な街にして欲しい | パラ・・パララ・・善男 善女がビニール袋や帽子をさかさまにして豆を受け止める、それにしては豆が少ない、もっと景気よく、枡に半分くらいドバっと大量に撒いて上げると良い |