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私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

道をさぐる

2019年12月26日 | 老いの道

 今季も暖冬だと思います。昨年は年末に(29日)雪が降りましたが、以後雪が降らないで春を迎えてしまいました。今季はそれ以上の暖冬だという予感がしています。それでも28日29日と連続薄氷が張る朝を迎えました。特に28日は晴れていましたが、一日中10m近い北風が吹き身に沁みる寒さでした。午後からは多少暖かくなるから・・・、里芋を掘ろうと外で作業服に着替えました。風の無い日向では寒くないですが、野外では身に沁みる寒さで・・・風邪でも引いたら”元も子も”ないと暖房の効いた部屋に引き返しました。
 29日は一転無風の朝を迎えました。ちょっと着膨れて8時半過ぎに畑に出ました。白菜を収穫して新聞紙に包み小屋に収納、そして里芋を掘りました。畑の土の表面は凍てていましたが、背中は太陽のぽかぽかした暖かさを感じ、里芋は直ぐ調理できるほどゴシゴシと?洗い、近所や知り合いに配りました。

 この二週間畑には収穫があったり・・・正月を迎える私担当の掃除があったりして・・・無理をしないで忙しく?過ごしました。問題はブログです。この稿も10日ほど前から写真を並べてパソコンの前に座る訳ですが集中出来ません。一行も文字が入力できないのです。こんなことが前の11月にもあったじゃないかな? だから投稿出来なければ・・・そう悶々とせずに好きな畑に出ればいい・・・と割り切ってきました。が今朝5時半起床でした。床を離れる前がウトウトする時間がありますが、12月にこの稿と、もう一つ投稿する写真があり・・・今日は30日朝から雨です。一日かかって中身のないチュウブからひねり出す感じで書いています。

 以前、いや若い時はこんな苦労はなくてすらすらと書いていた感じです。スランプとか壁に突き当たったとかではなく老化が原因だと思っています。具体的な例ですが、私は補聴器を1年前から使うようになりました。対面の会話1~2m距離には不自由は感じませんが、若い人との会話は不得手で長続きしません声が小さいから・・・口からでる声は聴きづらくて、腹から出る声は聴きやすいといった方がいいかも知れません。耳が悪くなると自分の声が変わって聞こえます。相手に聞くとあなたの声ですよ?と言われる。演歌で以前は感動したのが、音程が正確に聞き取れないから無感動・・・です。老化はいたるところで進んでいると自覚しています。

 90代は、自分の足で歩けて自分の事は自分でできる事を第一に目指します。野菜作りの道を歩いて・・・写真に俳句のような短い文章を付けたいです。

                         

                         

                         

 


リホォームと老後の自立

2019年11月02日 | 老いの道

 昨年の6月(2018)風呂場のリフォームで京都の娘の所へ2週間行っていましたが、今年は10月の18日から31日まで2週間、今度はトイレのリフォームで娘の所へ行ってきました。どちらも一時的に使えなくなるわけで・・・年寄りの安全を考えての対処だと思っています。私は野菜の事が気がかりでしたが、仕事をやり越して置いたり、1~2の管理を息子に頼んで出かけました。送り迎えをしてくれました。そして2週間畑の野菜の事は思い出したり、心配するすることはありませんでした。割り切った訳です。

 それより、リフォームの効果という事ですが、風呂場は大変明るくなり、浴槽えの出入りも楽になりました。トイレも明るくなりそして広くなりました。車椅子でも自由に出入りできるようで・・・最初は戸惑う感じでした。女房は「要支援2」の身ですが、自分の事は自分で出来る訳ですが、二人とも90代へ入ってきた訳で・・・自立した老後を目指したいと思っています。

 2週間留守しわけで畑はちょっと荒れている感じで・・・1日2日と午前午後とも畑に出ています。いずれ私の畑になりますが、無理はしないようにしています。収穫をしたり、2日は豌豆を蒔きました。(写真2枚目と3枚目)一つの足跡に3粒の種をまきましたが、発芽したら間引くつもりです。3日は玉ねぎを植えるつもりです。

 

                 

                

                

                
 昭和の初めに生まれた私は、トイレばかりでなく生活の豊かさを実感してきました。有り難いです。ブログを投稿出来るという事は夢の又夢です。


92歳の目標

2019年06月09日 | 老いの道

 6月7日に東海地方も梅雨入りが発表されました。その7日の雨は畑には慈雨と云った感じでした。翌8日(土)は9時ごろには晴れて風も出てきました。雨の名残りの露も吹き飛んで・・・午後からは畑へ出ることができました。しかし 9日(日)は朝から霧雨のような雨の日になり、午後からは空模様は変わらずに雨だけは止みました。が 10日から12日までの3日間”曇り時々雨”の予報が出ています。静かな梅雨入りと云えるようです。

 その9日早朝畑の見回りでトウモロコシの被害を見つけました。(写真下)イタチの被害です。一昨年に認識しましたが、昨年は被害がありませんでした。まだ5本の被害だけですが、ひ孫達に送る約束の大切なトウモロコシです。早速網を張って被害の防止しましたが・・・?。山間地では、猿・イノシシ・シカの被害駆除に苦労してみえるようで・・・それに比べると微細かもしれません。 

                 

                 

 正式には、91歳と5ヶ月で野菜作りの道を歩いています。だから畑の投稿ばかりで・・・御免なさいという気持ちです。昨年12月の転倒で色々学ぶことが出来、以後自分の足で生涯歩ける事を目標にしました。野菜作りは体の健康、パソコン(ブログ)は心の健康・・・で日々積み重ねていくつもりです。「寿命は神のみぞ知る」という心境です。


転倒を振り返る

2019年01月07日 | 老いの道

 正月4日目で一応予定していた来客も終わりました。そう云う意味では。5日6日は本当に静かな日を送ることができましたが、女房は「何もしなかったのに?疲れたー」と横になって”うとうと”して居ることが多い感じです。私は、5日午後から散歩してくるから・・・と木曾三川公園の一つ「フラワーパーク」に行ってきました。自転車で15分ぐらいの距離で季節がら花は目立ちませんでしたが、メインの建物は、鉄筋4階建て位の高さの、総ガラス張り三角形状の建物です。6日も暖かくて、畑に仕事をさがして2時間ほど出ました。鈍った体を動かすため・・・と云った感じでした。

 今朝は(7日)マイナス3.5℃ちょっと冷えこみましたが、ガラス戸も水道も凍てついていませんでした。約束の?転倒事故と検査入院について振り返って見たいと思います。
 この件については、今迄に2回小文で投稿していますが、転倒当日を今一度ふり返ると、風呂に入る前の転倒で倒れて直ぐ起き上がりました。「おれ倒れたんだ!」「だけど立ち上がってみると何ともない!風呂へ入りゃなきゃ」そんな感じでした。但し入浴時間を少し短くした覚えです。部屋へ帰り女房に「今風呂で倒れたけど顔色はー」と聞くと「普段の顔色です」でした。血圧をはかりました。151/82 脈拍66は普段よりもちょっと高めですが、危険とは感じませんでした。翌日24日25日と連休で・・・年末私の担当の家の外回りの掃除をして過ごしました。

 26日(火)朝一番にホームドクター(血圧の薬を戴いている)を訪ねて上記の状況を話し、総合病院で検査を受けたいと思いますから紹介状を戴きたいと話しました。その時左手はどうでしたか?と聞かれました。すぐそばに確りした”手すり”があったのに掴めなかったのを後で気が付きましたと話しました。その紹介状を持って直ぐ総合病院へいきました。
 病院の診察では、まず早い段階で今日は一人できましたかと聞かれました。「ハイ、一人で大丈夫と判断して・・・タクシーできました」と、倒れた時の状況を話すと、「脳梗塞の疑いがあり、入院する事になりますが・・・脳梗塞と云う前提でこれから検査していただきます」でした。血液・小便・心電図・CTでその結果は、異常なしでした。がその席で私の家族について話になりました。どうもこの状況で90歳と11か月の老人が一人で診察を受けに来たのが先生には??だったようです。女房がいる事と総勢7人家族であることを話しました。これも珍しい事のようで、以後入院後に担当医師・介護師さんから話題にでました。どうも先生にしてみると、入院という事になると、家族と話しをしておきたい心情が強い事を感じました。この2回目の診察面談の席での結論は「この検査では問題ありませんが、最後にMRA検査を受けた結果で判断しましょう」でした。(CTよりも、より詳細で明細な画像が得られる検査)
 MRAの検査が終わったのは午後4時近くなっていました。そして結果は、「専門の先生にも見てもらいましたが、脳の血管にも異常は見られません」でした。しかし「このままあなたを返すと又脳梗塞おきて入院という確率高いですから、1週間の予定で入院して頂きます」でした。素直に従う事にし、「一度家に帰ってから又すぐ来ます」も取り下げて、息子を呼びました。息子にも上記の経過を丁寧に説明されていました。

 病室に落ちつくと直ぐ”血液さらさら”の薬を呑みました。(ネキシウム20mg・バイアスピリンジョウ100mg)朝晩の血圧・脈拍・体温・瞳孔・対光反射の検査がありました。病人ではない訳ですから日常の生活の習いを少しでも取り入れて・・・起床は5時半で布団はたたんで朝晩は院内の散歩を心掛け、日中は談話室で過ごすようにしていました。28日午後頸部動脈のエコーを受けて約1時間後担当の先生が見えて、エコーの結果も良いようで明日(29日)退院しても良いですよ!と告げら、朝一番に退院しました。入院診断では、病名「一過性脳虚血発作」症状「一過性脱力」(転倒)です。

 短い入院でしたが、良い体験が(勉強)が出来たと思っています。先ず先生の対応が暖かさ(真剣)を感じました。検査でMRAまでやって異常ないのに何故入院を勧めてくれるのだろう?素直に従いましたが・・・。転倒して救急車で運ばれて検査の結果異常がないと帰って来て・・・その後再発して車椅子生活になった人の話しを聞いた事があります。いや他人の話じゃなしに、2日前の6日弟夫婦(84歳と78歳)が来てくれました。ちょうど私がパソコンを開いていて、仏壇に参ってから私の部屋座り込むわけですが、先ずブログの私の転倒記事を読んでもらいました。炬燵に入って老後の生き方を話題にしょうと云う算段でした。二人が覗き込むように真剣に読んでいました。そして炬燵に座ると誰も口を開かない前に弟の嫁がマスクをとりました。私もやりました!!と云う感じです。顔半分が紫色で、これでも良くなったほう!でした。びっくりで開いた口がふさがらない感じでした。
 事故が起きたのは12月20日で私が23日でした。自転車の転倒事故ですが、買い物の帰り交差点で信号で止まり、確り降りればいいのに片足ついて止まったら倒れ込んだというお嫁さんの言い分。弟は普段と違ってミカンを一箱買った重さが原因の不注意が原因という判断でした。病院へは行きましたが、CTで異常がなかったので安心しているようでした。 

 気を付けていれば防げる事故もありますが、自分の意識に関係なく突然おきる脳梗塞もあるようです。それを念頭において老後の道を考えようという話になりました。

 

 

 

 

 


転倒から学ぶ

2018年12月23日 | 老いの道

 今年もあと一週間ちょっとなりました。気象情報では昨日22日(土)雨のち曇りでしたが、午前中は細かい雨がパラつく程度ででした。午後は晴れ間も出てきましたが、結果は一日部屋に閉じこもったという感じです。テレビを見ていましたが何を見たという印象は特にありません。強いてあげるとすれば「日産のカルロス・ゴーン」さんの問題です。日本の検察も確かな理念を持っているでしょうし、ゴーンさんも日産を短期に奇跡的に回復さっせた「やり手」でしょうし、しかも国際的事案です。心配しながら…関心を持ってます。パソコンの前にも座りましたが、ユーチュウブの映像を見たり、麻雀ゲームを少し時間を潰したという感じです。それより昨夜は、ちょっと事件が起こりましたが後程触れます。
 今日23日(日)は、予報どおり朝からどんより曇っており一日続くようで、雨がパラついてもおかしくない感じです。畑にも出ません。

 天気が良かった3日前には、午前中畑に出て一生懸命草取りをしました。夏場と違って今の時期は草丈は伸びていませんが、地l中の根っこは案外伸びています。冬場に確り根を張って春暖かくなると一気に草丈が繁茂する算段です・・・雑草は。今取っておく置くことは、効率的で作業もらくです。それに運動にもなります。
 午後から雨模様の2日間があるからと、野菜を採ってきました。例年ですと1月に入ってから採れ始めるのが早く採れました。①カリフラワーは1月いっぱいかけて、ブロッコリー1月から2月にかけて収穫予定です。②半結球レタスロマリアは、11月中頃から収穫しています生食・炒め物に良いようです。③一本葱と人参です。
 一本葱は、私の地方では作っていませんでしたが、3年前に作り始めて今年成功しました。鍋物にいい感じで女のものには好評です。今の時期の畑の代表的な野菜たちです。

                    

                     

                    

 昨夜起きた事件は風呂場での転倒事故です。以前から(2~3月に一回ぐらい)敷居をまたいだり段差を上るとき、左足に体重がかかる初期、足首にほんの瞬間ですが体重を支えきれない痛み、いや違和感を感じ・・・足の力を抜くと直ぐもとの状態に戻っていました。昨夜は低い敷居をまたいだ瞬間違和感もなく、左足が1本無くなった感じで・・・、3mほどよろめきながら倒れ込んでしまった訳です。幸い脱衣場は障害物はほとんどなく無傷で済みました。
 意識をなくしてその場に倒れた訳ではなく、よろめきながらも意識はありましたが、倒れる場所を選べない、要支援2の足の不自由な女房のためにつけた頑丈な”手すり”がすぐ近くにあるのに掴めませんでした。後からの反省です。
 家の二階の階段でなくてよかった!前回の投稿で京都や奈良へ行かなくてよかった!頭をかすめました。90代は模索の年代のようです。勿論連休が明けたら病院へいきます。


老後&ブログ

2018年01月15日 | 老いの道

 小正月(こしょうがつ) 1月15日。 元日を大正月というのに対して呼んだ名。 松の内に 忙しく働いた主婦をねぎらう意味で「女正月」とも呼ばれています。
 子供の頃にその「一五日正月」を聞いた記憶がある年代で、15日までを幕の内と云う意識があります。
現代では、若い者はすっかり正月気分は抜けてしまっていますが、床の間の模様替えを今日にもしたいと思っています。
 ところが、ここえ来て連日マイナス3℃~5℃の冷え込みの朝を迎え、日中も5~6℃の気温が上がらない日が続いています。北側に当たる日本海側北陸地方では、大雪で列車に閉じ込められたり高速道路の渋滞の事を思うと恵まれていますが、寒さで気が滅入り、部屋に閉じこもることが多くなりました。
 振り返ってみると、もう幾年も農閑期のこの時期を過ごしてきたわけですが、この弱気な心情は老化がもたらすものでないかと、思うようになりました。
 
 具体的には、先ず眼の衰えです。日常生活ではまだ困らないですが、ブログの投稿では、昨年からホントサイズ4、太字で投稿するようになりました。(書くときは、サイズ3、細字)視力が衰えた事と、眼が疲れる、1時間もすると文字がボケてきます。そういう時は畑に出て自然に接すると回復します。
 今一つは、耳で年末に補聴器を買いました。普段の日常生活では、まだ無くてもいい感じですが、若い人の声、テレビのドラマの声は聴きづらく、ほとんどドラマは見なくなりました。ニュースの声はまだ聴きやすいです。会話は、聞き直すことができますが1度か2度、3度4度は遠慮しますから自然と会話が短くなります。補聴器はその一部を補いますが、聴力が元通りにはならないようです。その他身体で1~2問題が出てきましたが、病ではなく今の処老化だと考えています。世間が狭くなっていく感じで、90代へ”すんなり”とは、入っていけないようですが、 学んで生きていくつもりです。

 野菜作りは、歩けるうち出来ると思いますが、ブログはそんな訳にはいかないような気がします。公開するということもありますから・・・、正月に平成生まれの孫に率直な意見をききました。「おじいちゃん大丈夫!」だそうです。変になったら、言ってくれるよう頼んでおきました。素直に従います。
 事実ブログを始めて4000日になりました。周囲を見渡すと同じ年代の人(競った)が消えて逝かれたおもいです。そして気が付いてみると、私よりも一回りも20歳も下の人達が周りに見えると思うようになり、文体からも豊かで教養のある匂いを感じています。
 少し”引け目”(いい言葉が見つかりません)を感じますが、戦前・戦中・戦後の貧しく、過酷な環境を生きてきた心を糧に行きたいと思います。

 

 

 


ドウダンつつじの紅葉

2017年11月25日 | 老いの道

 透き通った秋晴れの日が、二日と続かない空模様が続いています。週に2回ほど来る雨模様の日は、大雨ではなく有り難いと思っていますが、総じて不順で小寒い日が多いといっていいです。日本海側の北陸から北海道にかけては二十数年ぶりの早い雪になっているようです。
 晴れ間を選んで畑にでています。今の時期は、細かい軽い仕事なんですが、運動を兼ねて出るようにしています。この歳になって目標がある仕事が持てることは、ありがたいと思っています。

 夏からの天候不順で、豊作とは言えず、まあ普通・・・ものによっては不作なものがあり、今あげると里芋・葱でしょうか・・・、ただし自家用ですから食べるに困っているいう訳ではありません。何時の季節でも、作った野菜の全てが豊作ということは先ずありません。自然災害・害虫被害・微妙な気候の変化で「去年と同じに蒔いたけれど、出来が悪い」事など再々です。そう云う意味で、毎年一年生という気持ちです。

 今季は、過去にない庭の「どうだんつつじ」が綺麗に紅葉しました。昨年この時期に、京都東福寺に紅葉見物にでかけましたが、10日遅い感じで・・・、「来年はちょっと早く最盛期にに見物にこよう!」と決めた事を思い出していました。しかし 結果は、「もう一人で遠くへ出歩かない」と決めました。まだ 自転車は、すいすいと乗れる感じですが、行動範囲が凄く狭くなるわけです。当然のことで、身近な環境のなかで「美」を見つけていきたいと思っています。そして その所作よりも・・・、その心を文章に出来たらいいな!と思っています。私の夢です。                   

                    

                   

                   

 老いの道は、ある意味自粛する事だと思っています。その淋しさを癒してくれるように庭の”どうだん”過去になかった、美しい紅葉を見せてくれました。この写真は、日時を変えて三回撮りなおしました。感性と積極性は持ちたいと思っています。

 

                  


唯一の友

2017年09月05日 | 老いの道

 斎藤 様

 
8月は御無礼をいたしました。お許しください。
  8月の初めに、女房が又歩けなくなってしまいました。翌日病院に連れていくに厚生病院にするか、近所のお医者さんにするか迷いましたが、近所の「ほしの医院」にしました。ここの先生は、昭和病院の外科部長をされた方で、定年後開院された方です。もう4回通院しましたが、ほしの医院へいって良かったと思っています。女房は、2~3日で元通り状態に戻りましたが、月に2回ほど通院しなければなりません。初めはタクシーをつかいましたが、2回ほど孫に連れていってもらいました。孫は「良いよ!」と云ってくれますが、なるべく自立して世話にならないように心がけます。子や孫が近くにいて、有難いと思っています。
  その、ほしの先生は初めてお会いする訳ですが、最初から私達夫婦に興味をもっていただいたようです。カルテから女房の年齢は解る訳で「ご主人ですね。何歳になられますか?」「もうすぐ90歳です!」「確りしてみえる。ボケて見えないし」私は付き添いで、ほんの短い会話しかしてないのに・・・介護師さんと二人で、手を叩いて褒めていただきました。お医者さんに褒めて戴いたのは初めてです。

 早速斉藤さんからお便りなどを頂き恐縮しております。有難うございました。女房にもみせましたが、感謝・感激しておりました。年上の斉藤さんから“いたわり”の声をかけて戴き涙が出るくらい嬉しいといっています。私がブログに投稿した、ダイヤモンド婚の写真をみて非常に喜んでいました。4年前の事で忘れてしまっていたようです。子供たちが祝ってくれて、京都に住む娘家族が知多の日間賀島に連れて行ってくれた時の写真です。結婚して64年になる訳です。まだしばらくは二人で行けそうだと思っています。

 8月の末から急に涼しくなり、秋らしい日が続くようになりました。盆過ぎの畑の方は、もっぱら草取りに専念しました。今年の夏は雨が多くて草の成長の早い事・・・、女房が「こんな暑いのに何故畑にいくの・・・」と云いましたが、午前中黙々と畑に出ました。吹き出すような汗でしたが、こまめに休憩をとり、熱中症にもかからずにきました。
 畑から帰ると、ズボンとシャツを水洗いし干し、シャワーをあびました。部屋に落ち着くと、牛乳に女房が作ってくれたニンニクのエキスを少しいれた、のみ物をコップ二杯を一気に飲みました。体はまだ熱くて、そこに冷えた牛乳を二杯飲むわけですから・・・、胃の中は混乱状態?、だから約一時間横になって、体が落ち着いてから食事をとるようにしました。それが良かったようで・・・風邪もひかずこの夏を乗り切れたと思っています。
  8月の末には、畑も綺麗になって種まきを始めました。9月の彼岸までに10種類余の野菜を順次蒔いていくつもりです。小松菜やほうれん草は3回ぐらいに分けて蒔いていきます。次男や三男それに孫たちが、お祖父ちゃんの野菜だと、待っていてくれるからです。勿論無理はしません。しかし 死ぬまで畑には出たいと思っています。勿論午後からはパソコンに向かって・・・、拙いそれに、最近とみにスラスラと書けない(難産型になった?)ブログも死ぬまで続けていけたら良いなーと念願しています。

 「縁は異なもの!」といいますが、斉藤さんとは全く異なご縁だと思っています。大野さんが、“太郎と花子”(住宅型有料老人モーム)に入居されて、約半年後お見舞いに上がるようになって、斉藤さんと知り合いになった訳ですから・・・。私は“縁は大事にしたい”と普段から思っていますが、誰とでも縁が結ばれるものではないようです。斉藤さんとは“馬”が合うという事ですかね。
 老後になってそんな縁からお知り合いになって、90代を一緒に生きていけることは、貴重・唯一のお友達だと思っています。2歳年上の斉藤さんが、写真・パソコンが出来て、且つ「書」の方も嗜まれており、色々学ぶものを持って見える方です。百歳と云いたいところですが、95歳を目標に一緒について行きますから宜しくお願いします。


四世同堂

2017年03月03日 | 老いの道

 我が家は、若い者夫婦との同居家族で孫を含めて総勢5人です。私が結婚したころ(64年前)親と同居するのは、当然という時代でした。そして長男が結婚した時も(30数年前)同居してくれることが当然と考え、但し相当の家を新築いたしました。3組の夫婦が一つ屋根の下で暮らすことになった訳です。当然の事ですが跡継ぎの孫が生まれました。
 結果我が家では、私の両親夫婦、私達夫婦、長男夫婦に子供が生まれて、中国風の古い家の型が生まれた事を自覚しました。そこでは,家長夫婦のもとに息子たちが結婚後も同居し「四世同堂」3世代にわたる父系の老若の夫婦が未婚の子とともに同居することで、理想の祝いであることをしりました。日本では、「三世代夫婦による橋の渡り初めの儀式は、現在全国的に行われている祝いであるようです。

 父は90歳で、母は96歳で亡くなりました。その90代に手が届いた今意識することがあります。その一つが、この90年の生涯で、昔の貧しさから(それが普通でしたが)現在の繁栄を享受できたには、過去の歴史の中で私達の世代だけだということです。だから今の豊かさを”もったいない”と感じており、”ありがたい”と思っています。
 今一つは、ごく、ごく身近なことで、結果はこの投稿になってしまいましたが、「四世同堂」になっていることに、この一両日気付いたことです。前記の孫が結婚して・・・、私達から見るとひこ孫が生まれている訳です。ただ昔と違って一つ屋根の下ではなく、近隣での別居生活です。ただ 二代にわたって3世代が揃うという事は、有り難い事と思っています。どうも、癌とか心臓疾患・脳卒中など病に罹りにくい体質のようです。個人の努力よりも、親から貰ったDNAだと考えています。謙虚にそして大切にしていきたいと思っています。

 5人の家族の中で長老の私が一番早く起きます。この冬場は、起床が原則5時半という事にしています。目覚まし時計は使わず、眼が覚めると直ぐ起床するタイプです。女房が腰を痛めて「要支援」の身になってから、朝の家事の大半を引き受けています。具体的には、風呂場の掃除、洗濯、二人の朝食の準備などです。同居家族ですが、「自分の事は、自分でする」「家族の雑用」を含めて元気なうちは”やる”と云う考え方で、淡々とこなしています。
 女房は甘えているという訳ではありません。昼の食事だけは必ず作ってくれますから(夜だけは若い者に)、私は畑に気楽に出れます。体調の良い時は外回りの掃除など雑用をしています。無理をしないようにして、食事、入浴、トイレなど自分のことは、自分でできる老後を送ってくれることを念願しています。口は達者です。

 1年を通して、殆ど暗い内から夜明けの起床になりますが、家の構造が東側の大きな窓がついており、早朝の空模様が必然的の目に入ってきます。だから過去複数回にわたって、「朝焼け」を投稿できたと思っています。今でも雲の配置が朝焼けに最適と判断したら、自転車で木曽川堤まで出かけると思います。
 3月3日の夜明けは、あまりにも春を予感できる(目で見て、肌で感じる)美しさを感じましたから、食事の準備をしながら撮影しました。投稿するため、その写真をじーっと眺めて構想を?練っていたら、四世同堂が思い浮んで来ました。三日掛かりました。やはり私は難産型です。

                 

                

                


障子貼り

2017年02月11日 | 老いの道

 2日前から日本列島を寒気が覆って、普段は雪が降らないところに雪が降っているという状態のようです。東海地方にも大雪情報(最大積雪40㎝)が出ていましたが、2日前の9日早朝は、雪が舞いはじめましたが、みぞれから小雨に変わり、しばらくで止んでしまい結果一日曇り空で済んでしまいました。
 明けて10日は、夜明けの空は雲いっぱいという感じで・・・、担当の洗濯ものは、迷わづ暖房の効いた部屋に干しました。しかし8時を過ぎた頃から 晴れ間が出てきて・・・、洗濯ものを外にだし夕方まで吊したという晴れ日和でした。但し両日とも冷たい北風が一日中吹いていました。

 今朝(11日)5時15分起床でした。部屋の温度は8℃、とすると外の気温はマイナスか?と考えて寒暖計を外に出すため、窓を開けると雪が降り始めたばかりと云う状態でした。(外の気温はマイナス0℃)雪の日は冷えこまないんだ!の思いでした。降る雪は粉雪で、予報では午後から晴れ間が出るようです。(部屋の温度が10℃切ると、外の気温を計る癖が例年ついています)

                 
          7時30分の写真で、正午には90%消えました。大雪にはならないようです。

 「毎日体を持て余しています」と、この冬どきの過ごし方で迷い愚痴っていましたが、9日午後、ふと眼が覚めたように気がつきました。「よし!障子貼りをしよー」と・・・、昨年11月に障子12枚分の材料が買って来てある事を思い出したわけです。「善は急げ!」と、体が動き始めました。例年ですと、天気のいい日を選んで外でする仕事ですが、今回は室内です。霧吹きで紙を湿らせて剥がし、桟を綺麗に拭く準備作業です。

                
                 今朝8時の写真で部屋が明るくなりました。
 
  明けて10日は朝から晴れてきました。二部屋で12枚の雪見障子がありますが、三回に分けてする段取りで、今回は腰の高さの作業台を設置して掛かりました。10時ごろに始めて、昼を挟んで3時ごろに終わりましたが、繊細な作業です。「大変疲れました」と云うより、苦痛を覚える疲れでした。終ると直ぐ倒れこむように寝てしまいましたが、1時間半寝て覚めてみると気分が良くなっていました。残りの8枚は、数回に分けるか半日程度の作業で片付けるつもりです。 つくづく年齢を知らされました。
 ところで、仕上がりの評価ですが、勿論プロ並みの仕上がりではありません。が 明るく綺麗になった!の女房の評価です。