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『論語』為政第二 32,33,34章

2020-10-15 12:21:34 | 漢文
32
孔子言う。聖人の道から外れた学問を学ぶことは、学問の目的である人物修養に害を及ぼすだけであり、戒めるべきことである。

子曰、攻乎異端、斯害也已。

子曰く、「異端を攻むるは、斯れ害あるのみ。」

<語釈>
○「攻」、集解:何晏曰く、「攻」は、治むるなり。○「異端」、朱注:范氏曰く、異端は聖人の道に非ずして、別れて一端を為す、楊墨の如き、是れなり。

<解説>
この章だけを読めば、孔子は異端の学問を学ぶことを排斥しているようであるが、孔子の人格からしてそのような狭いことを言っているのではないと思う。恐らく聖人の道を学びもしないうちに、異端の学問を学ぶことの危険性について述べているのだと思う。

33
孔子言う、由よ、お前に知ると言うことを教えようか。自分の知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとはっきり自覚することだ。これが真に知ると言うことだ。

子曰、由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。

子曰く、「由、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。」

<語釈>
○「由」、孔子の弟子、姓は仲、名は由、字は子路。

<解説>
子路は孔子の弟子の中でも一番の武勇の士である。『史記』の仲尼列伝に、子路について、勇力を好み、志は伉直(剛直で妥協しない)なり、と記されており、衛の乱により自刃している。孔子は子路の身の上を心配して、分別をわきまえて行動することを望んで、このような事を言ったのであろう。

34

弟子の子張が仕えて俸禄を求めるにはどうしたらよいかを尋ねた。孔子は言った、「多くの事を聞いて、その中から疑わしいものを取り除き、その残りの確かな事を慎重に述べるようにすれば、人から咎められることは少ないし、多くのものを見て、その中から不安に感じるものを取り除き、その残りの安全な事を慎重に行えば後悔することは少ない。言葉は人から咎められることが少なく、行いは自ら後悔することが少なければ、必ず人から信用されて用いられるので、俸禄は自然とついてくるものだ。」

子張學干祿。子曰、多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤。多見闕殆、慎行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。

子張、祿を干むることを學ぶ。子曰く、「多く聞きて疑わしきを闕き、慎みて其の餘を言えば、則ち尤寡し。多く見て殆きを闕き、慎みて其の餘を行えば、則ち悔寡し。言に尤寡く、行いに悔寡ければ、祿は其の中に在り。」

<語釈>
○「子張」、孔子の弟子、姓は顓孫、名は師、字は子張。○「學」、『史記』の仲尼列伝に、子張、禄を干(もとめる)むるを問う、とあることから、「學」は「問」の義に解す。○「殆」、朱注:「殆」とは、未だ安ぜざる所。不安の意。

<解説>
修飾活動は知識や技術を身につけるのではなく、言行を正しく慎重にすることであると述べている。これは現在の就職活動にも言えることであろうか。これが全てだとは言えないかもしれないが、大切な事であることは間違いない。

『呉子』料敵第二 第二章

2020-10-04 12:27:51 | 漢文
第二章
呉子は言った、「およそ敵情をはかり考えるうえに於いて、卜筮に頼らずに敵と戦ってよい場合が八つある。第一は、疾風厳寒のときに早く起きて目覚めとともに移動して、冰を砕いて川を渡り、部下の困難をかえりみないような敵。第二は、真夏の炎天下に遅く起きて休む暇もなく行軍して空腹で喉も乾いているのに、遠方に行こうとしている敵。第三は、軍が久しく戦場に留まり、食糧も尽きてきて、人民の間に怨みや怒りが充満し、不吉なことがしばしば起こり、将軍もどうしてよいか分からずにいる敵。第四は、物資が既に尽き、薪や牛馬の飼料も残り少なく、長雨が続き掠奪して補給するにも略奪する所も無く困窮している敵。第五は、兵士の数が少なく、水の便や地の利も悪く、人も馬も流行病にかかり、周囲の国から援軍も来ない敵。第六は、道は遠く日暮れになって、兵士たちは疲れおののき士気が低下していうるうえに食事もせず、武装を解いて休んでしまう敵。第七は、将軍に威厳が無く武将の権力も軽く、そのため兵士たちに団結力がなく、三軍の兵たちも些細なことで驚きあわてて、互いに助け合うこともしない敵。第八は、陣形がととのっていない、宿営してもその準備が終わっていない、坂道や険しい所を行軍して半ばは先に進み半ばは遅れて互いの連絡が取れていない敵。このような敵たちは迷うことなく攻撃すべきである。卜筮に頼ることなく敵との戦いを避けてよい場合が六つある。第一は、国土が広く、人民たちは豊かでその人口も多い敵。第二は、君主が民を愛していて、恩恵が遍く行き渡っている敵。第三は、褒賞は誠実で、刑罰は明らかであり、褒賞・刑罰は適切な時期に行われている敵。第四は、功績の多少に従い適切な地位につけ、賢者を任用し、能力のある者を用いいている敵。第五は、兵力が多く、兵器や装備が優れていてよく整っている敵。第六は、周囲の国から援助があり、大国からの援助もある敵。この六者が、敵に及ばないようであれば迷うことなくこの敵を避けるべきである。以上のように戦うべき時は戦い、避けるべき時は戦わないと言うのは、所謂進んでよい時は進み、進むのが困難な時は退くと言うことと同じである。

呉子曰、凡料敵有不卜而與之戰者八。一曰、疾風大寒、早興寤遷、剖冰濟水、不憚艱難。二曰、盛夏炎熱、晏興無間、行驅飢渴、務於取遠。三曰、師既淹久、糧食無有、百姓怨怒、祅祥數起、上不能止。四曰、軍資既竭、薪芻既寡、天多陰雨、欲掠無所。五曰、徒衆不多、水地不利、人馬疾疫、四鄰不至。六曰、道遠日暮、士衆勞懼、倦而未食、解甲而息。七曰、將薄吏輕、士卒不固、三軍數驚、師徒無助。八曰、陳而未定、舍而未畢、行阪渉險、半隱半出。諸如此者、撃之勿疑。有不占而避之者六。一曰、土地廣大、人民富衆。二曰、上愛其下、惠施流布。三曰、賞信刑察、發必得時。四曰、陳功居列、任賢使能。五曰、師徒之衆、兵甲之精。六曰、四鄰之助、大國之援。凡此不如敵人、避之勿疑。所謂見可而進、知難而退也。

呉子曰く、「凡そ敵を料るに卜せずして之と戰う者八有り。一に曰く、疾風大寒に、早く興き寤めて遷り、冰を剖き水を濟りて、艱難を憚らざる。二に曰く、盛夏炎熱に、晏く興きて間無く、行驅し飢渴し、遠きを取るに務むる。三に曰く、師既に淹久して(注1)、糧食有る無く、百姓怨み怒り、祅祥數々起こり、上止むること能わざる。四に曰く、軍資既に竭き、薪芻既に寡く、天陰雨多く、掠んと欲するも所無き。五に曰く、徒衆多からず、水地利あらず、人馬疾疫し、四鄰至らざる。六に曰く、道遠く日暮れて、士衆勞懼し、倦みて未だ食わず、甲を解きて息える。七に曰く、將薄く吏輕くして(注2)、士卒固からず、三軍數々驚き、師徒助くる無き。八に曰く、陳して未だ定まらず、舍して未だ畢らず、阪を行き險を渉り、半ば隱れ半ば出づる(注3)。諸々の此の如き者は、之を撃つこと疑う勿れ。占わずして之を避くる者は六有り。一に曰く、土地廣大にして、人民富衆なる。二に曰く、上、其の下を愛して、惠施流布せる。三に曰く、賞信に刑察かにして(注4)、發すること必ず時を得たる。四に曰く、功を陳ねて列に居らしめ(注5)、賢に任じ能を使う。五に曰く、師徒の衆く、兵甲の精なる。六に曰く、四鄰の助け、大國の援けある。凡そ此れ敵人に如かずんば、之を避くること疑う勿れ。所謂可を見て進み、難を知りて退くなり。」

<語釈>
○注1、「淹久」は、久しく留まること。○注2、「「薄」は、威厳がない意。「吏」は、官吏であるが、戦場に於いては武将になる。「輕」は、権力が軽いこと。○注3、「隱」は、後ろの方に隠れることで、後れる意。「出」は前に出ることで、先に進む意。半ば後れ半ば先に進み互いに連絡が取れないこと。○注4、「察」は、「明」の意で、“あきらか”と訓ず。○注5、「陳功」は、功績の大小で並べること、「居列」は、適切な地位に居らせる事。

<解説>この章の趣旨は、勝てる敵とは戦い、負けるような敵とは戦わないということである。孫子も形篇で、「勝兵は先づ勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先づ戦いて而る後に勝ちを求む。」と述べている。戦いに勝つためには先ず勝利の条件を整えてから戦うことで、そうすれば負けることはないというのであるが、何となく絵空事のような気がする。

口語訳『荀子』巻第二 榮辱篇第四

2020-09-24 12:31:19 | 漢文
榮辱篇第四
傲慢は人にとって禍を招くものであるが、恭倹は五つの武器をも斥ける。戈矛には鋭いほこさきがあるが、恭倹の鋭さには及ばない。だから人に善言を与えることは、衣服で身を覆うより暖かく、人を傷つける言葉は、戈矛よりも深く傷つける。だから広い大地を安心して踏みしめることが出来ないのは、大地が不安定なのではない。大地に足を踏み入れても危なくて立てる場所もないのは、すべて自分の言葉に原因があるのである。大きな道は混雑しているし、狭い道には危険がある。愼まずにいようとしても愼まざるを得ない。
気ままに振る舞って身を滅ぼすのは怒りが原因である。明察なのに身を傷つけ害されるのは人を怨む心が原因である。博識なのに窮地に陥るのは人を謗るからである。清潔であろうとしながらいよいよ汚れていくのは、口先がもたらす禍によるものだ。牛や豚の美味しいものを食べているのに瘠せていくのは、道に外れた交際によるものだ。雄弁なのに理解されないのは人と争うからである。人が曲がったことをしていても自分はまっすぐな道を進む、それなのに人に知られないのは、人に勝とうとする心が原因である。清廉なのに人から尊敬されないのは人を傷つけるからである。勇敢なのに人から畏敬されないのは利益を貪るからである。誠心でありながら人から尊敬されないのは勝手な行いを為すからである。これらのことは皆小人が務めて行うことで、君子のしないことである。
闘いというものは自分の身を忘れるものであり、自分の親を忘れるものであり、自分の君主を忘れるものである。一時の怒りにかられて生涯の身体を損なうにもかかわらず闘うのは、自分の身を忘れたのである。家族の者はたちどころに誅殺され、刑戮は親戚にまで及ぶにもかかわらず闘うのは、自分の親族を忘れたのである。主君の憎むことであり、刑法が大いに禁じているにもかかわらず闘うのは、自分の主君を忘れたのである。怒りに心を乱してわが身を忘れ、内は親族を忘れ、最も大切にしなければならない自分の君主までも忘れる者は、刑法も見逃さないし、聖王でも養い育てようとはしない。子豚が虎に近づかず、子犬が遠くまで遊びに出かけないのは、自分の親を忘れないからである。怒りに心を乱してわが身を忘れ、内は親族を忘れ、最も大切にしなければならない自分の君主までも忘れるようでは、人でありながら犬や豚にも及ばないものである。およそ闘う者は、必ず自分は正しく相手は間違っていると考える。自分が本当に正しく、相手が誠に間違っているなら、それは自分が君子で相手が小人ということになる。君子でありながら小人と互いに傷つけ損ないあい、怒りに心を乱してわが身を忘れ、内は親族を忘れ、最も大切にしなければならない自分の君主までも忘れるというのは、何と大きな間違いではなかろうか。このような人は、狐父で造られた優れた矛で牛の糞を突き刺すのと同じである。それでも智者だと思っているのだろうか。これ以上愚かなことはない。それでも利益があると思っているのだろうか。これ以上の損害はない。それでも栄誉だと思っているのだろうか。これ以上の恥辱はない。これでも安全だと思っているのだろうか。これ以上の危険はない。人が闘うのは何故だろうか。私はこれを心や体の病によるものであると思いたいが、それはできない。聖王は普通の人間として誅殺するのである。私はこれを鳥や鼠や禽獣のことだと思いたいが、それはできない。外形はやはり人間であり、好悪の感情も普通の人と多く同じなのである。人が闘うのはどうしてだろうか。私は甚だこれを憎む。
犬や豚の勇気というものがあり、商人や盗賊の勇気というものがあり、小人の勇気というものがあり、士君子の勇気というものがある。飲食を争って廉恥の心無く、善悪をわきまえず、死傷を避けず、相手の多さや強さを畏れず、物欲しげに唯だ飲食のみを求めるのは、これは犬や豚の勇気である。何をするにも利益を優先させて財貨を争い、人に譲ることなくためらわず行動し、強欲で人に逆らい、物欲しげに唯だ利益だけを求めるのは、商人や盗賊の勇気である。死を軽んじて粗暴なのは、小人の勇気である。正義を行うに権力に屈せず、損得を考えず、国の全てを与えられても見向きもせず、死を重んじて正義を堅持し屈しないのは、これは士君子の勇気である。
川魚のはややみごいは水面に浮かび上がる魚である。浮上しすぎて砂地に出てしまえば、水に戻りたいと思っても戻れない。それと同じで人も災難に遭ってから謹もうと思っても役には立たない。自分をよく知っている者は人を怨まない。運命を自覚している者は天を怨まない。人を怨む者は窮迫し、天を怨む者は見識がない。自分の責任で失敗しながら、それを人のせいにしようとするのは、何と的を外れた事ではないだろうか。
栄誉と恥辱の基本的な違い、安危利害の法則について。正義を先にして利益を後にする者は栄え、利益を先にして正義を後にする者は恥辱を受ける。栄える者は常に通達し、恥辱を受けるものは常に窮迫する。通達する者は常に人を制し、窮迫する者は常に人に制せられる。これが栄誉と恥辱の基本的な違いである。質朴で誠実なものは常に安全であるが、放蕩にして乱暴な者は常に危害にさらされている。安全な者は常に穏やかに楽しむが、危害にさらされている者は常に憂え苦しむ。穏やかに楽しむ者は常に長生きするが、憂え苦しむ者は常に早死にする。これが安危利害の法則である。そもそも天は衆民を生みだしたが、人にはそれぞれ地位があり守るべき道が有る。精神の修養が完全で、徳行は極めて立派で、知慮も極めて聡明であること。これが天子の天下を得るための条件である。政令は法に基づき、事の処置は時宜に適っており、裁判の判決は公平で、上は天子の命に忠実で、下は民を安らかにする。これが諸侯の国家を得るための条件である。心も行いも正しく、官職につけば立派に務め、上は上司によく従い、下はその職務をよく全うする。これが士大夫の知行地を得るための条件である。法則・度量衡・刑罰・地図戸籍を取り扱い、その意味は分からなくとも、謹んでそのものを守り、少しも手を加えず、父から子へと相伝え、王公を支えた。だからこそ夏・殷・周の三代が亡びても治めるべき法則は猶ほ存在している。これが下級役人の俸禄を得るための条件である。孝悌を尽くし慎み深く誠実であり、常に力を出し、仕事をやり遂げ、怠ることはない。これが庶民の衣食に事足り、安楽に長生きし、刑罰を被らないための条件である。邪説姦言を飾り立て、奇怪な事を行い、人を謗り嘘をつき、人を押しのけ盗みを働き、放蕩三昧で暴力的で傲りたかぶり、乱世をよいことに、まともな生き方をせず、裏切り行為を続ける。これは悪人が危害や恥辱を受け、死刑に処せられるわけである。思慮が浅く物事を選択するのもいい加減で、判断も人を侮り慎重さに欠ける。これが危険に陥る原因である。人の資質や知能は君子も小人も一緒である。栄誉を好んで恥辱を憎み、利益を好んで危害を憎むのは、君子も小人も同じである。しかしそれらを求める方法については君子と商人とは異なっている。小人は、務めて嘘をつきながら、人が自分を信じてくれることを望み、己は人を欺きながら、人が己に親しんでくれることを望み、人にあるまじき禽獣のような行動をしながら、人が己を称えてくれることを望む。物事を考えても道理を悟ることはできず、何事も安全に行うことができず、固持していても保ち続けることはできず、結局好む所の栄誉や利益は得ることができず、憎む所の危害や恥辱を被ることになる。だから君子は自ら信実であることを大切にして、人も自分を信じてくれることを望み、自ら慈しむ心を大切にして、人が己に親しむことを望み、吾身を正しく修め物事をよく処理して、人が自分を称えてくれることを望む。物事を考えれば道理を悟り、何事も安全に行い、信念は堅個に保ち続け、ついには好む所の栄誉や利益を得て、憎む所の危害や恥辱を被ることはない。だから困窮していても世間から見放されること無く、栄達すれば大いに世に現れ、死んだ後も名声はいよいよ称えられる。小人は誰もが頸を延ばし踵を挙げて君子を慕い、「君子の知能や資質はもともと普通の人より優れているのだ。」と言うが、君子の知能や資質は自分たちと変わらないということに気づいていない。つまり君子は身の処し方が適切であり、小人は身の処し方が間違っているのである。だから小人の知能をよく観察してみれば、君子ができることは、小人もできる力が十分に有ることが分かる。たとえば越の人が越の国に安住し、楚の人が楚の国に安住し、君子が中国に安住するのは、知能や資質がそうさせているのではない。身の処し方や習俗が異なっているからである。仁義を守り徳を行うことは、身を常に安らかにする方法である。しかし必ずしも安全であるとは言い切れない。汚職や利を貪ることは、常に身を危険にさらす原因である。しかし必ずしも危険であるとは言い切れない。だから君子は常に普通の道により安全を求め、小人は例外を当てにする。およそ人間と言う者は、共通したところが有る。飢えれば食べ物を欲し、寒ければ暖かいものを欲し、疲れれば息いを欲し、利益を好んで損害を憎む。これらは生まれながら持っている本性であり、後天的に習得するものではない。この点は聖王の禹と暴虐の桀王とが共通している所である。目が色の白黒、物事の美醜を区別し、耳が音色の良し悪しを聞き分け、口が酸っぱさ、辛さ、甘さ、苦さを区別し、鼻が芳香やなまぐさい臭いをかぎ分け、肉体や肌が暑さ寒さや痛み痒みを感じる。これらは又生まれながら持っている本性であり、後天的に身に附いたものではない。これらも聖王の禹も暴虐の桀王も共通している所である。だから人は誰でも聖王の堯や禹になれるし、暴虐の桀王や大泥棒の盗跖にもなれるし、大工や工人にもなれるし、農夫や商人にもなれる。その成り行きは、身の処し方や習俗の積み重ねにより決まるのだ。堯や禹のような人間になれば、常に身は安らかに繁栄するのであり、桀王や盗跖のような人間になれば、常に危険と恥辱にさらされている。堯や禹のような人間になれば、常に愉快で安らぎ、大工や工人、農夫や商人になれば、常に心を煩わし苦労が絶えない。それなのに人は務めて桀王や盗跖、大工や工人、農夫や商人になって、堯や禹のような人間になろうとしないのはどうしてだろうか。それは固陋なためである。堯や禹も生まれながらにして聖人であったのではない。生まれつき持っている本性を変えることから始めて、身を修める努力を続け、やり遂げた結果聖人と為ったのである。人の本性は本来小人であって、教える人や規範が無ければ、唯利益を追求するだけの人間になってしまう。人の本性は本来小人であるのに、そこへ加えて乱世に遭い、乱俗に染まるのは、小人に小人を重ね、乱に乱を重ねるものである。たとい君子であってもそれなりの地位があって小人を導くのでなければ、小人の心を開いて善道に導く方法はない。だいたいにおいて人間の口や腹がどうして礼儀を知ろうか、どうして辭讓の精神を知ろうか、どうして廉恥や物事の条理を知ろうか、ただがつがつと噛み、腹いっぱい食らうだけである。人にとって教える人や規範が無ければ、その人の心は口や腹と同じように欲望を貪るだけである。今、仮にある人が生まれてから一度も牛肉や豚肉、米や梁のようなご馳走を知らず、豆や豆の葉、糟や糠のような粗末な食事だけを与えられていたとしたら、これで十分なご馳走であると満足していたであろう。そこへ突然みごとな牛肉や豚肉、米や梁のご馳走を持ってやってくる者がいたとしたら、驚いてそれを眺め、「これは何と不思議なものよ。」と言うであろう。ところが、それを嗅いでみて鼻に快く、なめてみて口にうまく、食べてみて体が喜べば、今までの十分ご馳走であると思っていた食事を棄てて、これらを求めるようになるにちがいない。それと同じことで、今かりに昔の聖王の道、仁義の教えに法り、社会生活を営み、互いに助け合い、禮義で身を飾り、揺るぎなく安楽に暮らすことができたなら、桀王や盗跖の生き方とかけ離れている程度は、牛肉や豚肉、米や梁のご馳走と糟や糠の粗末な食事との違い以上に大きいものであろう。それなのに人は盗跖の生き方にならい、聖王の道を行おうとしないのはどうしてであろうか。それは固陋の為である。固陋というのは、天下の共通の患いであり、人に大いに禍と害を及ぼすものである。だから、「仁者は進んで人に正道を告げ示す。」と言われているように、人に進んで正道を告げ示し、これを習慣にして習熟させ、それを積み重ねさせたら、かの頑迷な者もたちまち心を開き、見分が狭く頑な人も突如として寛大になり、愚者もたちまち智者となるであろう。もしこのような正道を告げ示す道が行われなければ、湯王や武王のような聖王が治めていても何の利益も無いし、反対に暴虐の桀王や紂王が治めていても何の損害も無い。だが実際には、湯王や武王がいると民はその聖徳に従い天下は治まり、桀王や紂王がいると民はその暴虐非道に従い天下は乱れる。このようなことから考えてみると、人の性情というものは、聖王の民の如く善くもなるし、暴虐の王の民の如く悪くもなるものではなかろうか。
人の情としては、誰でも牛や豚の美味しい肉を食べたいと思うし、縫い取りの美しい模様がある衣装を着たいと思うし、外出する時は車や馬に乗りたいと思うし、その上余財の蓄積された富を持ちたいと願うだろう。このように歳を重ね世を重ねても足ることを知らないのが人の情である。人の性格として、鶏や犬や豚を飼い、その上牛や羊まで飼っているのに、日常の食事は酒や肉を食べようとはせず、貨幣を蓄え、品物の入った穀物庫も有るのに、日常の衣服は絹ものを身に付けようとはせず、大切なものが入った手籠があるのに、車や馬に乗ろうとしない。これは何故なのか。それらを望んでいないのではない。先々までよく考えて、そのような贅沢をしていてはいつまでも続かないことを心配するからである。そこで欲を抑えて節約し、収縮し蓄蔵していつまでも続くようにするのである。これは先々までよく考えるという点では、立派な事ではなかろうか。ところが今の虚しく生を貪っている浅はかな連中は、こんなことさえ気づかない。食事は甚だ贅沢で先のことまで考えないので、たちまちにして尽き果てて困窮することになる。これが凍えや飢えを避けられず、瓢と袋を持って乞食となり、溝や谷に死体をさらすことになる原因である。ましてこのような連中に先王の道や仁義の教え、『詩経』・『書経』・『禮経』・『樂経』の根本が分かろうはずがない。まことに先王の道は先まで深慮した天下の道であり、天下万民の為に後々のことまで考えて万世を安んじようとしたものである。遺された美風は長く、積み上げられた恩沢は厚く、その功業は偉大であるけれど、道を修めた君子で無ければそれが分かっている人はいない。だから、「つるべの縄が短ければ、深い井戸の水は汲むことができない、知慮の浅い者は聖人の言葉を理解することができない。」と言われるのである。だいたい『詩経』・『書経』・『禮経』・『樂経』の教えは、まことに凡人の理解できるものではない。だから昔からの言い伝えにも、「一度やれば再びすべきであり、一度保てばいつまでも保ち続けるように努力すべきであり、博学にして万事に通達し、深く考えて安全を期し、繰り返し調べて益々好きになるべきだ。」とある。これにより本能を調えれば利益を得ることができるし、これにより名声を得れば栄達し、これにより集団生活をすれば和合するし、独居すれば自ら満足することができる。心を楽しませてくれるものは誠にこの『詩経』・『書経』・『禮経』・『樂経』の教えであろうか。そもそも貴い天子になり天下の富を所有するというのは、人として誰もが望むものである。しかし欲を恣にさせれば、その勢いを受け入れることはとてもできないし、満足させるには天下の物資を以てしても不十分である。だから古の聖王は礼義を定めてこれを分け、貴賤の等級、長幼の差別、智者と愚者、有能と無能の区分をつけて、それぞれの人が与えられた事を為し、その宜しきを得るようにし、そのうえでそれぞれに見合った俸禄を与えた。これが集団生活をしている者を和合させる道である。だから仁徳の有る人が君主に居れば、農民は農耕に力を注ぎ、商人は財貨の増減を明らかに察し、工人は機械の製造にその匠の技を注ぎ、士大夫以上公侯に至るまで政に携わる者は、皆官職の為に厚い仁徳や知能を尽くさない者はいない。こうしたものを最高の公平と言うのである。だから俸禄として天下を与えられても多すぎるとは思わないし、門番・客の接待係・関所の番人・木を打ち鳴らして夜回りする人になったとしても決して俸禄が少ないと思わない。昔から、「不揃いでありながら等しく、曲折していて順序があり、色々異なりながら同一である。」と言われているが、これこそが人倫というものである。『詩経』商頌の長發篇に、「諸侯の送り物である大小の玉を受けて、諸侯の善き支配者と為る。」とあるのは、この事を言っているのである。

『論語』為政第二 29、30、31章

2020-09-06 10:35:16 | 漢文
29
子貢が君子とはどういう人かと尋ねた。孔子は答えた、「言わんとすることを先づ行うことだ。然る後に言うのが君子である。」

子貢問君子。子曰、先行其言、而後從之。

子貢、君子を問う。子曰く、「先づ其の言を行いて、而る後に之に從う。」

<解説>
安井息軒氏は、「先行。其言而後從之。」と読む。どちらでもよいが、「「先行其言、而後從之。」の方が一般的であるのでこれに従った。意味する所は言行一致の重要性を説いたものである。朱注:范氏曰く、子貢の患いは、之を言うの難きに非ずして、之を行うこと艱きなり、故に之に告ぐるに此を以てす。子貢は口が達者な人物として知られていたので、孔子は言行一致の大切さを教えたのである。

30
孔子は言う、君子は広く公平に人と親しみ、お気に入りの者とだけ付き合うようなことはしない。それに対して小人はお気に入りの者とだけ付き合って、広く公平な付き合いはしない。

子曰、君子周而不比、小人比而不周。

子曰く、「君子は周して比せず、小人は比して周せず。」

<語釈>
○「周、比」、朱注:「周」は、普徧なり、「比」は、偏黨なり、皆人と親交の意なり。

<解説>
君子と小人との区別を短い言葉で端的に述べている。朱注に云う、「君子小人の為す所は同じからざること陰陽晝夜の如く、毎毎相反す、然れども其の分かるる所以を究むれば、則ち公私の際、毫釐(ほんのわずか)の差に在るのみ。」君子と小人とはその行動に於いて大きな違いがあるが、それを分ける所以のものは心の些細な違いであり、具体的には王引之の言う義と利である。

31
孔子言う。先人の道を学んでも、その意義を考えて理解することをしなければ、学んだことはぼんやりとしていてその道理を掴むことはできない。反対に乏しい知識で思索をしても、先人の教えを学ばなければ、考え方が狭く偏見に陥りやすく、反って危険である。

子曰、學而不思則罔。思而不學則殆。

子曰く、「學びて思わざれば則ち罔し。思いて學ばざれば則ち殆し。」

<語釈>
○「罔」、朱注:諾心を求めず、故に昏くして得る無し。暗いの義。

<解説>
この節の教えは、学問だけでなく、スポーツや芸事や職人芸などすべてに通ずる教えである。何事もまづ学ぶことであり、十分に学んだうえで自説を立て己の技術を確立していくものであって、十分に学びもせずに、自説を述べ己のやり方を吹聴するような半端物にはならないように心掛けることの大切さを教えている。

『呉子』料敵第二 第一章

2020-08-27 10:26:26 | 漢文
第一章
魏の武侯は呉起に言った、「今、秦はわが国の西方を脅かしており、楚はわが国の南部と国境を接しており、趙は我が北方をつこうとしており、斉はわが東方をうかがっており、燕はわが後方を遮っており、韓はわが前方に居る。これら六国の軍隊はわが国の四方を取り囲んでおり、我が国にとっては非常に都合が悪く不利である。これを心配しているのだが、どうすればよいのだろうか。」呉起は答えた、「そもそも国家を安泰にする方法は、事が生じる前に十分に警戒して備えることで、それを大切にすることにあります。今、君主は既に警戒して備えておられますので、国家に降りかかる災難は遠ざかるでしょう。私は六国それぞれの国の状況を論じてみたいと思います。斉の軍隊は充実はしていますが、実際の戦闘になれば堅固ではありません。秦の軍隊はまとまりがなく、戦闘になれば各自が勝手に戦います。楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。燕の軍隊は守備はしっかりしていますが攻撃力に欠けます。韓・魏・趙の三国の軍隊はよく統制はとれておりますが戦闘ではあまり役に立ちません。斉国の人の性格は猛々しく気が短く、国は富んでおり、君主も臣下も心が驕っており贅沢で、庶民をおろそかにして侮っております。その政治は寛大ですが、俸禄は不公平であります。ですので一つの陣営の中でも人心が二分していて、前軍は強兵で構成され後軍は弱兵で構成されており、その力は均しくありません。ですので軍隊は充実していますが、実際の戦闘になれば堅個ではないのです。これを撃ち破る方法は我が軍を三分して、その一軍を敵の前に当たらせ、二軍を敵の左右に当たらせ、敵を脅かして追撃することです。こうすることによって敵の陣を破ることができます。秦国の人の性格は強くたけだけしく、その地は険阻で、政治は厳格で、賞罰は正しく適切でありますが、秦国の人々は互いに譲り合うことなく闘争心があります。ですので秦の軍隊は分散して各自が自分勝手に戦います。これを撃ち破る方法は自軍を退かせて相手に有利であるように見せかけるのです。そうすれば敵の兵士は手柄を立てる為に将軍のもとを勝手に離れます。その隙に乗じて分散した兵を駆り立て、伏兵を設けて好機に投入すれば将軍を捕虜にすることができます。楚国の人の性格は柔弱で、領土は広大で、政治は騒がしく乱れており、国民は疲労しています。ですから楚の軍隊は整ってはいますが持久力はありません。これを撃ち破る方法はその集結している所を急襲してその戦意を奪い、少し進んでは速やかに退いて相手を疲れさせ、まともに戦わないようにすれば、楚国の軍隊は破ることができます。燕国の人の性格は実直で慎み深く勇気と義を好み、策略はあまり用いません。ですので守備に徹して機動力はありません。このような軍隊を攻撃する方法は接触してこれに圧迫を加えることです。そうすれば敵は出撃してきます。我が軍は適当に戦いながら退き、敵が退けば追撃はするが攻撃しないようにします。そうすれば敵の武将は我が軍の意図が分からず疑念に駆られ、兵たちは不安になり懼れるでしょう。そのうえで我が軍の車騎を敵の眼前に厳しく並べればこの道を避けようとします。その隙に乗じて敵の将軍を捕虜にすることができます。晋から分かれた韓・魏・趙は中原の国です。中原の国の人の性格は温和で、その政治は公平ですが、民は戦争で疲労しております。兵は戦いに習熟しており将軍を軽視し、与えられた俸給は少ないと思っているので決死の覚悟はありません。ですので表面上はよく治まっているようですが実際の役には立ちません。これを攻撃する方法は敵と距離をとって対陣して敵を圧迫し、攻めて来れば防ぎ、退けば追跡して敵軍を倦み疲れさせる。これが三国の軍を攻撃する時の自然ななりゆきです。さて一軍の中には必ず勇士が居り、鼎を軽々と持ち上げ、足は軍馬より軽く走り、敵の旗を奪い取り、敵の将を斬ることをよくする者が必ずおります。このような者たちを選んで類別し、親愛して尊重します。これは軍の運命を左右する当然の決め手になります。又巧みに五種類の武器を使いこなし、その技は優れ動きは素早く、心は敵を呑んでかかる者がおれば、より高い爵位を与えることにより、これらも勝利を勝ち取る決め手となります。これらの者の父母や妻子を厚遇し、賞を求めることに務めて刑罰を恐れるようにさせれば、これらの者は陣を堅個にする勇士となり、どんな持久戦も共に戦うことができます。このように詳しくその人の才能をはかって用いるならば、味方に倍する敵をも撃つことができます。」武侯は言った、「なるほど、尤もである。」

武侯謂呉起曰、今秦脅吾西、楚帶吾南、趙衝吾北、齊臨吾東、燕絕吾後、韓據吾前。六國兵四守、勢甚不便。憂此奈何。起對曰、夫安國家之道、先戒為寶。今君已戒。禍其遠矣。臣請論六國之俗。夫齊陳重而不堅。秦陳散而自鬭。楚陳整而不久。燕陳守而不走。三晉陳治而不用。夫齊性剛。其國富、君臣驕奢而簡於細民。其政寬而祿不均。一陳兩心、前重後輕。故重而不堅。撃此之道、必三分之、獵其左右、脅而從之。其陳可壞。秦性強。其地險。其政嚴、其賞罰信。其人不讓、皆有鬭心。故散而自戰。撃此之道、必先示之以利而引去之。士貪於得而離其將。乘乖獵散、設伏投機。其將可取。楚性弱。其地廣。其政騷、其民疲。故整而不久。撃此之道、襲亂其屯、先奪其氣。輕進速退、弊而勞之。勿與戰爭。其軍可敗。燕性愨。其民慎、好勇義、寡詐謀。故守而不走。撃此之道、觸而迫之、陵而遠之、馳而後之、則上疑而下懼。謹我車騎必避之路,其將可虜。三晉者、中國也。其性和。其政平。其民疲於戰。習於兵、輕其將、薄其祿、士無死志。故治而不用。撃此之道、阻陳而壓之、衆來則拒之、去則追之、以倦其師。此其勢也。然則一軍之中、必有虎賁之士。力輕扛鼎、足輕戎馬、搴旗斬將、必有能者。若此之等、選而別之、愛而貴之。是謂軍命。其有工用五兵、材力健疾、志在吞敵者、必加其爵列、可以決勝。厚其父母妻子、勸賞畏罰、此堅陳之士。可與持久。能審料此、可以撃倍。武侯曰、善。

武侯、呉起に謂いて曰く、「今、秦は吾が西を脅し、楚は吾が南を帯し、趙は吾が北を衝き、齊は吾が東に臨み、燕は吾が後を絶ち、韓は吾が前に據る。六國の兵は四に守り、勢甚だ便ならず。此を憂うること奈何。」起對えて曰く、「夫れ國家を安んずるの道は、先づ戒むるを寶と為す(注1)。今、君は已に戒む。禍は其れ遠ざからん。臣請う、六國の俗を論ぜん。夫れ齊の陳は重くして堅からず。秦の陳は散じて自ら鬭う(注2)。楚の陳は整いて久しからず。燕の陳は守りて走らず。三晉の陳は治まりて用いられず(注3)。夫れ齊の性は剛。其の國は富み、君臣驕奢にして、細民に簡たり。其の政は寬にして、祿均しからず。一陳に兩心ありて、前重く後輕し。故に重くして堅からず。此を撃つの道は、必ず之を三分して、其の左右を獵り、脅して之を從うなり。其の陳壞る可し。秦の性は強。其の地は險なり。其の政は嚴に、其の賞罰は信なり。其の人は讓らず、皆鬭心有り。故に散じて自ら戰う。此を撃つの道は、必ず先づ之に示すに利を以てして、引きて之を去る。士得るを貪ぼりて、其の將を離れん。乖に乘じて散を獵り、伏を設けて機に投ずるなり。其の將取る可し。楚の性は弱(注4)。其の地は廣し。其の政は騷がしく、其の民は疲る。故に整いて久しからず。此を撃つの道は、其の屯を襲い亂して、先づ其の氣を奪う。輕く進みて速に退き、弊らして之を勞せしめ、與に戰い爭うこと勿ければ、其の軍敗る可し。燕の性は愨なり。其の民は慎み、勇義を好み、詐謀寡し。故に守りて走らず。此を撃つの道は、觸れて之に迫り、陵ぎて之に遠ざかり、馳せて之に後れなば、則ち上疑いて下懼れん。我が車騎を謹みて必ず之が路を避くるなり(注5)。其の將虜にす可し。三晉は中國なり。其の性は和。其の政平なり。其の民は戰いに疲る。兵に習うも、其の將を輕んじ、其の祿を薄んじて、士は死志無し。故に治まりて用いられず。此を撃つの道は、陳を阻てて之を壓し、衆來れば則ち之を拒ぎ、去れば則ち之を追い、以て其の師を倦ますなり。此れ其の勢なり。然らば則ち一軍の中に必ず虎賁の士有り。力、鼎を扛(あげる)ぐるを輕しとし、足、戎馬より輕く、旗を搴(とる)り將を斬ること、必ず能くする者有り。此の若きの等は、選びて之を別ち、愛して之を貴ぶ。是を軍命と謂う(注6)。其れ工(「巧」に同じ)に五兵を用い(注7)、材力健疾にして、志、敵を吞むに在る者有らば、必ず其の爵列を加えて、以て勝を決す可し。其の父母妻子を厚くし、賞に勸み罰に畏るれば、此れ堅陳の士なり。與に持久す可し。能く審かに此を料らば、以て倍を撃つ可し。」武侯曰く、「善し。」

<語釈>
○注1、『諺義』に、「先戒とは、事の起きざるに先立っていましめ備うるを云う。」とある。○注2、直解:秦國の陳は、人心散じて自ら戦いを為さんと欲するは、其の讓らざるを以てなり。○注3、直解:三晋の陳は、整治して用うる能わざるは、其の死志無きを以てなり。○注4、直解:楚人の性弱しは、南方の風気、柔弱の故を以てなり。○注5、この句の解釈は諸説が多く定め難いが、直解は、「當に我が車騎を敵人に謹みて、必ず之が路を避けしむべし。」と述べており、これに從う。「謹」は厳しくする意。○注6、直解:是を三軍の司命と謂う。「司命」とは、星の名、又は神の名、どちらも人の生命、運命を司る。○注7、五兵は五種類の武器。その内容は諸説ある。

<解説>
服部宇之吉氏云う、「此の章の前段は料敵を言い、後段は選士を言う、敵を料るとは、彼を知るなり、士を選ぶとは、己を知るなり、然らば必ず先づ士を選びて、己の勢力を養い、然る後敵を料れば、乗ず可きの隙有りて勝を取るなり。」孫子の「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」に通ずる内容である。