小学五年生の娘の学習発表会があり、
実家の母が見に来てくれました。
それで三泊ほどわが家に滞在したのですが、
今年72歳になる母は娘の家でも洗いものをしたり、はたまた掃除機で部屋を掃除したりと…と
働いてばかりいます。
「お母さん、少しは座ってゆっくりしてよ」
と言うと、
「させていただいているという気持ちでやっているんよ」と一言。
「お母さん…」
私の視線の向こうには娘もいました。
この一言を聞いて以来、
ふと気づけば、こだまするように響いてきます。
「させていただいているという気持ちで」
まったくもって40半ばを過ぎても頼りない私ですが、
これからはこの言葉を生きるよすがにできたらと思う日々です。
かつて娘がまだ小さくてベビーカー時代の頃。
ベビーカーを押しながら、近くの広場に月一回やってくる
移動図書館がなによりの楽しみでした。
その時、出合ったのが山本ふみこさんのエッセイの数々。
どれだけ彼女のエッセイによって救われたか…。
今でもふみこさんのエッセイは読むのが楽しみです。
彼女の言葉つかいがとてもすきで、
いろんな表現を使ってみたいと思うのです。
「生きるよすがに」もその一つ。
やっと今日使えました。
実家の母が見に来てくれました。
それで三泊ほどわが家に滞在したのですが、
今年72歳になる母は娘の家でも洗いものをしたり、はたまた掃除機で部屋を掃除したりと…と
働いてばかりいます。
「お母さん、少しは座ってゆっくりしてよ」
と言うと、
「させていただいているという気持ちでやっているんよ」と一言。
「お母さん…」
私の視線の向こうには娘もいました。
この一言を聞いて以来、
ふと気づけば、こだまするように響いてきます。
「させていただいているという気持ちで」
まったくもって40半ばを過ぎても頼りない私ですが、
これからはこの言葉を生きるよすがにできたらと思う日々です。
かつて娘がまだ小さくてベビーカー時代の頃。
ベビーカーを押しながら、近くの広場に月一回やってくる
移動図書館がなによりの楽しみでした。
その時、出合ったのが山本ふみこさんのエッセイの数々。
どれだけ彼女のエッセイによって救われたか…。
今でもふみこさんのエッセイは読むのが楽しみです。
彼女の言葉つかいがとてもすきで、
いろんな表現を使ってみたいと思うのです。
「生きるよすがに」もその一つ。
やっと今日使えました。