太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

太陽電池統計について

2015-09-04 08:12:19 | 仕事に関すること

社外の人で(むしろライバル会社)その人が現役を退き20年以上経つが未だにお付き合いを頂いている。来年米寿という高齢でありながら未だに太陽光発電に関するあらゆる分野での洞察力、解析力に優れ、何よりも纏められる資料は個人の仕事とは思えない出来栄えである。多分多くの優秀なスタッフを抱えた企業でも真似することはできないだろう。それは我々凡人による非科学的、文学的、曖昧さを特徴とする資料とは正反対、あくまで「真実、本当のところは一体どうなんだ。」という衰えぬ探究心のなせる技である。その師が今太陽電池の歴史とも言うべき集大成を執筆中である。昨日も仕事場にお邪魔をし雑談をする機会を得たが、20年以上のお付き合いとは言え二周りも歳の違うこちらは一方的に教えられる立場であり、一言一言に慎重に耳を傾け師と弟子の関係以外の何物でもない。昨日は執筆中の章の中で太陽電池の出荷、(導入)設置統計に話が及んだ。師は各種統計(民間コンサル、団体、国、IEA著)を解析し、その矛盾(齟齬)を鋭く指摘し、(流通)在庫の問題に疑問を呈す。これは全体統計のみならずメーカ別解析にまでおよびその疑問のなかから会社別特性(経営状態まで)をあぶり出し、国情の違いまで言及する。これは最早立派な科学論文を凌ぐと思う。師が求めるのは辻褄の合う整合性であるが、こと統計については些か事情が異なる。知る限り統計の始まりは米国エネルギー省(DOE)の元役人であったポール・メイコック氏によるものであろう。同時期に法人であるストラテジ-・アンリミティッド社のものがあるが、評判はメイコック氏の方が上だったと思う。個別ヒアリングというやや非科学的なデータ集めにも関わらず評価されたのは氏の出身母体が当時太陽電池業界で世界のリーダーであったDOEであることも関係していると思う(間違いなどあり得ないお上のやることと同一視)。それにもまして業界関係者はこの統計で事業意欲を鼓舞され、うちも頑張ろうと思ったのは氏が太陽電池に対して積極的な盲信にも近い愛情を持っていたため、悲観的要素はデータからは読み取れなかった。言わば太陽電池促進のプロパガンダ的統計でもあった。そこに誤魔化しがあるわけでは無かったが、全てでもなかった。それを知りながら我々は氏の統計に随分勇気づけられた。氏と同じやり方は日本でもあった。アモルファス太陽電池を統計に載せてきたことである。当時ほぼ100%が電卓用であるに関わらず、その出力マイクロワット(μW)をもし、直射日光下に曝すと××Wになるとして換算してだ。技術的にはμWからWまで比例的に出力が伸びるはずは無い。しかし、それでも太陽電池と言う名を広めた功績だけは残る。日本も太陽電池沢山生産しています、と。始まりはこのように可なり主観に満ちた統計であるが、最近ではIEAや各種団体は可能な限り客観的事実を集める努力をしている。しかし、黎明期に自分達(太陽電池)をなるべく大きく見せたいという思いは一部の国、企業では残っており、世界は主観と客観データが混在している。科学的統計は可能な限り主観を排除するべきであるが、過去を否定することはできない。師は現在から過去を理路整然と並べたいという完璧を目指していると思うが、現在が縦糸横糸が整然と目妻詰まって布になっているとしても、その端(始まり)を辿って行くとモヤモヤして縺れた麻糸の屑になり布とはほど遠い。統計の分野だけとっても世界はフェーズ(レベル)が異なり統一した目的手法による統計をつくることは困難だがそのままで良いという結論ではない。誰が見ても、誰が作っても同じ数字になるという客観性は重要である。一方で自分を大きく見せたいという国や企業がこれからも出てくるという可能性も大である。統計のみならず米寿を迎える師が過去をどう総括し、未来を眺望するのか、集大成の完成を楽しみにしているのは私だけでは無いと思う。

 



コメントを投稿